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サッと読める大男の散文

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働きも暮らしも人育ても、主体的に自分を活かして生きる「イキ活」の実践者、河合義徳が、ふと思うこ心の叫びの短文エッセイ集。
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2022年2月の記事一覧

自分達の可能性を楽しんでみよう

納得できるまでやり抜くのは楽な事がないが、そつなく今日をやり過ごすだけも楽しくない。 誰だって上手く行かないことのほうが多いが、成功よりも失敗体験のほうが得るものが多い。 結果よりプロセスに自分の意味を見出せるが、まずは自ら行動しないとプロセスも創れない。 成功すると一時的に周りからの賛辞はあるが、それに酔うことなく再び次の事を試し始める。 目標達成は確かに自信になることもあるけど、納得するまで探究は続くからゴールではない。 僕らは物事を見抜ける術を持ってはいないが、行

夢を持ちなさいと言える大人

『夢を持ちなさい!』…子どもの頃には、とてもよく言われた言葉だ。 ところが、大人に近づくにつれ…『いつまで夢を見ているんだ!』と様相が変わってくる。 「いつまでも夢ばかり語っていないで、やるべきことを先にやりなさい」 そのように諭そうとする側は、「こんなことを言う私だって、いろんなことを犠牲にしていたり、我慢して生きている」という、その人なりの「正当性の主張」を押しつけているのが実態であることも多い。 「やりたいことは、やるべきことをやってからにしようとしている」という

「センスが良い」とは何を意味して、どこからくるのか?

自分に似合う装いを知っておくとか… 等身大の佇まいや暮らしを築くとか… 自分の苦手な事を素直に認めるとか… 自分が活きる場を自ら切り拓くとか… 身の丈を受け入れて歩んでいると、がんばり方を間違えないようにもなる。 順風満帆な事ばかりではなくとも、多少の失敗も自ら笑い話に変えている。 もしかしたら「センスの良さ」というのは… 「素直な自分でいる状態」に表れるのかも… だから簡単なことじゃないのかもしれない。 以前、デザイン協会の会長を長年務めておられた人生の大先輩が、

「人を見る心」が感じられる瞬間

自分の仕事に「ひと手間」かける。 目の前にいる人の「想い」に寄り添って「ひと声」かける。 自分達が提供する価値の先に、お客様の暮らしにどういう変容をもたらせたいのか…または、その価値づくりの現場となる職場でも、どういう心配りをするとお互い気持ちよく仕事ができるか…相手先に「想い」を馳せる。 「ひと手間」も「ひと声」も…かける背景には、必ず「想い」がある。 その「ひとつ」の「想い」が、本質的に未来のつながりになる。 人を見る心…「想い」が生まれるから、自然と誰かのために「

チームになる

受け身なら仕事が楽しいはずがない。楽をしても仲間の信頼は生まれない。 挑み続ける人に頼るだけでは虚しい。人に頼るばかりだと楽しくならない。 信用される過去の実績が無くっても、信頼される未来への覚悟を示そうよ。 信頼を得るには何一つ楽はできない。それでも本気で楽しむことはできる。 変化に対応するだけなど楽しくない。対応ではなく進化は自ら起こすもの。 恐れずに挑むことは一人でもできる。成長し続けるのは一人ではできない。 甘えと馴れ合いがないのは仕方ない。自分達にしかできない

欠点は個性だから責める必要はない

試合から得られる最大の成果は、子供達がもっと挑戦したくなること。 試験から得られる最大の成果は、子供達がもっと探求したくなること。 教育から得られる最大の成果は、大人が自ら襟を正す事に気づくこと。 成果にならない潜在的原因は、大人のエゴに子供を付き合わせること。 たとえ失敗しても成果なのに、つい大人は子供の欠点を責めてしまう。 不完全であることを指摘して、本人の興味関心を奪うのは大半が大人。 自ら果敢に挑んだ結果としての失敗は、全て次の糧にすればイイだけ。 それなのに失敗を

潤いのある言葉で寄り添う

言葉は浴びせるものではない。 言葉は「添える」程度でイイ。 人を育みたいのなら、言葉を浴びせてはいけない。 本人がやろうとしたことの言語化に付き合って、一緒に考えてあげるだけでイイ。 それは、店頭での接客の場面でも同じ事。 来店者の心を開かせたいなら、闇雲に言葉で畳みかけてはいけない。 来店者が実現したい未来に、可能性の高まりを感じさせる期待値を言語化することにお付き合いすることで、充分安心してもらえる。 子育てでも、接客でも、職場でのコミュニケーションでも… 相手を慮