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他人じゃなく、過去の自分と比べて成長していきたいねという話

おはようございます、躁鬱&発達障害なんとかギリギリパート勤務の瑠璃です。

実は私は学生時代には個別指導塾の講師をしていて、夫も、その先輩にあたる人でした。今でこそ夫婦ではあるものの当時はまだ恋人同士で、たまたま!その2人で可愛がっていた生徒がいました。(夫が数学や社会を教え、私が英語を教えるなどしていた)

当時でいえば私は20〜21歳。その生徒は当時中2〜3辺りでしたから14〜15歳、やんちゃで少しだけ問題児で可愛い子だったわけなのですが、今日、その子もついに私が教えていた頃の年齢を超え、22歳、就活にも成功したそうです。

「いろいろすっきりしたからさ飲みに行こうよ」
そう言ってその子は連絡をくれました。そして夫婦教え子ともども3人でメキシコ料理屋へ赴きました。

その時の写真はこちら

ミチェラーダやコロナ


カクタスサラサ
タコス3種
フライドチキン
サプライズパフェ
記念撮影

途中お高いテキーラショットもキメつつ、とても楽しい時間を過ごしました。随分まあ喋り倒してましたが、10年近くも前もそうだったなと。ずいぶん自分は体力無くなったもんだなと実感しました。

そして、あんなにやんちゃ坊主だった子が、名の知れた大学を卒業し、就職も成功し、これからまた新たな世界へ飛び出そうとしているこの光景はとても眩しいものでした。

嬉しい。感慨深い。

それと同時に、私の中にある悔しさ、社会への恐ろしさ、そういった感情も同時に吹き出してくるような感覚がありました。

この子らはまだ何も知らない、社会のキツさ。そして守られる側から1人で生き抜いていかなければならない大人としての責任からの逃れられなさ。

それを知っている自分として、言えることは「体おかしいと思ったらすぐに連絡してね!」くらいのもんでした。

期待に溢れるように社会へ飛び立とうとしている人を見ると、私は苦しくて涙が出そうになります。

私は新卒の正社員として働いてしばらく経った頃、結婚、夫の難病発表、引っ越し、職場トラブル、コロナ第一波、そして自身の繊細さ、それで完全に体を壊したから。

希死念慮で首を絞めるようにベッドの上でジタバタして、お金もなくて、働ける体もなくて、生きていける気がしなくて、いや、生きている意味がない気がして、もう本当に死ぬかと思った。

でもかろうじて「生きていてほしい」と願い、助けてくれる夫がいたから、綱渡りのような生活をしながらなんとかここまで生きてきた。

その時に比べたら、まさか自分が、今パートではあれど1日8時間、週4で働けていること奇跡のようなものなんだよね。

周囲の人は当たり前のように正社員をして役職にもつく年頃になって、しっかりお金をもらって貯金もして、人によっては出産したり子育てしたりしているけど、比べるのは他人の今ではなく、過去の私だ。

いや、正直焦る。昔から子供は好きで子育てをしたいと思っていた。大好きな夫と、子育てを頑張ってみたいと思っていた。でも私は今28歳。そして躁鬱発達障害持ち。ずっと目を逸らしてきた「さあ、どうする?」に直面しなければならない時期でもある。でも、もちろん夫と2人で存分に幸せいっぱいにつくる生活も最高に素敵だと思う。ね、わからないね。

ちょっと話は脱線したけれど、大切なのはまず何よりも過去の自分から自分が成長しているかどうかだと思う、ということ。他の人間の人生と比べずに、自分や自分にとって大切な人にとっての幸せを増大させることができているかということ。迷ったり悩んだりすることはあるけれど、そこに間違いはないはず。時に休みながら、前進し続けよう。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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瑠璃
あなたのこと忘れない