【創作note】夢を語る(思い出の暴言)
思い出というよりトラウマと言った方が近いのかもしれない。
けれども、ただ痛いだけではない。
書くことに向けたテーマとしてもその言葉は残っている。
「こんなもの書いても誰も読みませんよ」
隣人がこんなものと言ったのは詩でも作品でもなく、ただモチーフを書き留めただけのメモ帳。言ってみればネタ帳のようなものだった。
他人に見せるものではない。その時だって勝手に見られたのだ。
その点だけでも不条理だが、その断言も厳しい。
果たしてそんなことがあるだろうか……。
(誰もいない)ことはないと僕は信じた。
しかし、(多くの人には届きませんよ)くらいの意味だったら、それを否定する自信は持てなかった。
それはもうずっと昔のことなのだ。
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時々あの言葉が頭上に現れる。
「……誰も読みませんよ」
ほんの少し気の迷いが生じた時。
例えば、昨日見た夢のかけらを集めて書き起こそうとしている途中に、突然現れるのだ。
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「面白い夢見たんだけどね」
そう言って話しかけてくる人の話が、よくわからなかったり、どこが面白いのか理解できないということはよくある。
(他人の夢の話はつまらない)
それは一般的にはそうかもしれない。
「面白い夢」だったというのが本当ならば、ちゃんと話せば面白いのではないだろうか。それが伝わらなかったのは、本当はそれほど面白くはなかったか、面白い部分を忘れてしまったか、伝え方がよくなかったのではないだろうか。
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世の中には夢を題材にしたお話がいくらでもある。素敵な物語が世界中に存在するのだ。「面白い夢」を話したくなるのは自然ではないのか。また、どんな夢であろうと、それが面白く伝わるかどうかは語り方一つではないのか。見せ方次第ではないだろうか。
どんな題材にしてもそれは同じことだろう。
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「こんなもの書いても……」
(こんなもの)であっても、それを守りたい人はいるんだよ。
きっと、どこにだってね。