【第9回】地方で回す「義理経済」
のっけから強烈な三河のじいさんの出会いもあったが、嬉しい出会いもあった。
こっちが呼んだのではなく、ふらっとやってきたと言った方が正しいのかもしれない。店に立ち寄った若者5人が自立していったのだ。
お茶の仕事がしたいと言ってた保母の女の子、民泊をやりたいと話していたショップ店長の女の子、独立して自分たちの名前でやっていきたい陶芸家夫婦。地元でプロダクトやグラフィックの仕事で独立したばかり男の子。そのだれもが1、2年で実現していき、いま活躍中だ。
独立することは困難を伴うし、正直怖い。自分の足で立とうとしている若者たちがふらっとやってきてくれたことは、彼らがすでに決めていたということでもあるが、この場所を作ったからこそ出会えたのだ。
なんとなくやっていきたいと、なんの確証もなく、不安でいっぱいの若者たちと話をして、背中を押すことはこの場所を作った本人としては嬉しかった。
この街でいろんな人たちに触れた。ウチのディレクターEも自分なりに九州でネットワークを繋げて行っていた。地方の良さは、何かをすれば目立つし、行動を起こしている者同士が繋がれることだ。
一方、少々面倒なこともあるにはある。
義理で回す経済
誰かが何かをすれば、応援する人たちがいっぱいいる。
ある時、ディレクターEがこう言っていた。
「この辺の人たちは義理経済で回ってるんですよ」
なるほど「義理経済」か。
「行動している時に、支援してくれる人が多い人が裕福なんですよ」
お金じゃなく(もちろんお金もだが)繋がりが指標になるのだ。
これっていまでいう「シェアリング・エコノミー」なんじゃないの?
しかも昔からずっと変わらず、シェアしているのだ。
逆に東京の方が遅れているんじゃないかとも思った。
地方は、目立ちすぎると杭を打たれることもある。しかし、目立たなければ支援が受けられないのも事実。
承認欲求など冷ややかに見てしまうけど、ここではそんなこと言ってられない。人との繋がりはお金以上に大切で、それがお金を生み出すことだと知った。
これは俺たちにとって衝撃だった。教科書通りは通用しないのだ...。
特に接客の商売に関しては、そのことが顕著だと思う。
この街の雰囲気に飲まれまいと、ある一定の距離を保ち、移住ではなく東京ー佐賀の往復を選んだ俺たちだったが、やはりその土地に住んで、暮らしをやっていく中で繋がって、お互いを補うようにしていかないと、いざと言う時に話しかけることができなかったり、東京に帰ってしまえば、会ったりすることができなくなってしまう。もちろん、その地域の煩わしさを遠ざけることができるけど、深い繋がりは生まれない。
距離感を見誤ってしまったのかもしれないと気づいたのは2年目を迎えた時だった...。
(つづく)