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虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #8

自分を騙し騙しなんとか学校に通っていたのも、中一の夏休みを終えた頃から不可能になっていた
小学校で基礎の勉強をしていない自分には中学の授業は理解ができないため
ただ机に伏して眠るしかない、そして何より嫌だったのは「学校が楽しい」と感じる普通の、凡庸な生徒達の無神経な質問だった
「なんで学校に来ないの?」
今の俺なら摩擦を恐れずこう言える「お前らの事が大嫌いだからだ」と
だが思春期で、さらに問題行動を控えようと努力していたためそれが裏目に出て、何も本心が言えなかった
あざとく、わざとらしく、汚らしく、小賢しく、下品で幼稚な同級生と会話をする気にはならなかった
何をしても小さな事でも嘲笑や噂になる
部活の時に履く体操着も嫌だった、短パンの丈が短すぎる、トランクスがはみ出ている生徒までいる始末だった
現在の過度のポリコレ、ジェンダー問題ほどではないが
思春期ならばこその配慮もしない、第二次大戦後にできた日本の軍隊式の“学校”という仕組み自体が俺には合わなかった。

正直この頃の家庭での記憶はあまりない、あの父の一件以降、家でも父と話す事は減っていた
あちらから話しかけてくる時には心に分厚いフィルターをかけていた感覚がある
母はヒステリックに忙しそうに別居の準備を進めながら、結婚前に修得した看護師の仕事を探し
俺の同級生のママ友にパソコンのEメールで被害者ぶった内容の文章を送っていた記憶がある。

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