妙にリアルな創世記~「天地創造」
日本人にはなかなか分かり難いのがキリスト教の教義だ。
いや、知識くらいはある。でも、それが刷り込まれていないので、アタマだけの理解に留まっているのだ。日本にはこのような教義はないのではないだろうか。
現に欧米では、聖書を題材にした作品が定期的に作られているように見受けられる。その古典とも言うべき作品がこちら。1966年公開の「天地創造」
この映画の個人的見どころは3つあった。
”もしもノアの方舟を作るとしたら”のリアリティが素晴らしい
有名なノアの方舟と大洪水。神はノアに対してこう告げる。
・いとすぎの木で方舟を作りなさい
・方舟の中に部屋を設け、アスファルトでその内外を塗りなさい
・長さは300キュビト(1キュビトは約0.5メートル)、幅は50キュビト、高さは30キュビトでその上に1キュビトの屋根を設けなさい。3階建てにしなさい
と。
そして、すべての生き物をつがいで載せなさい、と。
文字にすればこれで終わり。しかし映画となるとこれを映像として、そして時間の経過とともに描かないといけない。
方舟の中はさながら動物園のよう。食物連鎖はだいじょうぶかと心配になるくらいだ。ノアの家族は飼育員ばりに餌を与えて回る。それが40日間も続くのだ。小動物だけではない。象やカバやトラといった猛獣もいるのだ。
一部の動物は合成のようだが、ほとんどは一堂に会しての撮影のようなのだが、どうやったのだろう。演者たちはさぞ恐ろしかったに違いない。
”イサクの犠牲”の場面が現実的すぎる
この映画では創世記の22章、いわゆる”イサクの犠牲”の場面まで描いている。イサクの犠牲といえば美術史において、傑作やドラマを生んできた名場面である。フィレンツェの洗礼堂の扉のデザインにおけるギベルティとブルネレスキの対決はことに有名である。
だからこの映画でも、特殊効果で天使が舞い降りてきてストップ!をかけるかと期待していたのだが。
結局は天の声が聞こえてきて、アブラハムは思いとどまるという結末。映像技術もまだ発達していなかったことを考えれば、この演出が精いっぱいだったのだろうか。
神に翻弄される人間の姿
キリスト教(旧約聖書なのでイスラム教も共通だが)の信仰を持たない者からするとやはり理解が困難なのが、「そこまでして神を信じるものか」ということ。
信仰のために我が子を殺すことが美徳とされる教義である。そりゃ、異教徒を殺すことに何のためらいも覚えないことだろう。それでもアブラハムは苦悩し、カインは嫉妬に苦しむ。
こうしてみると、人間とはなんて健気で一途で儚い存在なのだろう。神は天にいるのではなく、神を信じる心こそが神性を帯びていると言えないだろうか。
そういえば、ソドムとゴモラの滅亡の場面は描かれていたが、ロトのその後については触れられていなかったな。
あの場面はどう描かれているのか少しドキドキして待っていたのだが、やはり今の倫理観では難しかったというわけか。