雨上がりの夜空に/RCサクセション Ameagari No Yozora Ni / RC SUCSSESION
隣町のI市市民会館にRCがやって来た。
「I市にRCサクセションを呼ぶ会」なる団体が主催しているらしい。
ちょうどアルバム「ラプソディ」が発売された後で、RCの名前が全国区になって、いたいけな田舎の高校生にも情報が届き始めた頃だった。
当時はその勢いもあって音楽雑誌の裏表紙に「シングルマン」の再発嘆願広告が目に付くようになっていた。
「こんなに素晴らしい音楽が廃盤なんて」というような内容だったと記憶している。
俺はRCの存在はぜんぜん知らなかった。
RCサクセス?
RCセクション?
名前がイマイチ覚えられない。
一つ上の先輩のS藤さんの影響もあり、ちょうど日本語のロックに興味が沸いてきた頃で「ラプソディ」が話題にもなっていたので買ってみた。
S藤さんはプリズム、サディスティックミカバンド、四人囃子などの日本語ロックのレコードを持っていて家が近所だったのもあってよく家に行って聴かせてもらっていた。
RCは洋楽ばかり聴いていた耳には少し馴染みが薄かったが、このレコードにはライブの熱いエネルギーが満ち溢れていた。
収録されている曲も一風変わった感じで、今までに聴いたことのない衝撃を受けた。
こんなこと歌にしていいんだ。ていうか歌になるんだ。
そんな感想を持った。
洗濯物を畳んで俺の部屋に持ってきた母親が、かかっていたRCの「ボスしけてるぜ」を聴いて、「変な歌(笑)」と言って去って行った。
こう見えてもうちの母親は若いころ喫茶店でレコードをかける仕事をしていたのだ。お客さんのリクエストに応えて。
今でいうDJだ。
だから俺が買ったスティービー・ワンダーの古いレコードをかけていたら、カバー曲なんかはあわせて英語で歌っていたりする。
なかなか侮れない母親なのである。
話をRCに戻そう。
そのRCがI市に来るというので、さっそくT本君とK林君とチケットを買いに行った。当時はコンサートのチケットは楽器店やプレイガイド(!)の店頭に並んで買うのが普通だった。
F原さんの分も買って当日は4人で一緒に観に行った。
会場に入って驚いた。
なぜって、座席が真ん中少し右側の前から2列目だったからだ。
チャボのど真ん前。
うおおおおおおおおおおおおっ!
すげーいい席!
しかし、さらに驚いたのは全部で前から5列ぐらいまでしか座席が埋まっていなかったことだ。
お客さんの数は全部で2~300人しかいなかったと思う。
座席数は全部で1500ぐらいはあるはずだ。
6列目から後ろはガラーンとしていてなんだか寂しかったのと、怒りのような感情が交錯した。
なんでこんなにすごいバンドが来てるのに、みんな見に来ないんだよ。
実はS岡県というのは、こういうサブカルチャー的なことに非常に疎い。
その後、RCがビッグネームになってS岡市民文化会館でコンサートを開いたときに、教育委員会から大真面目にRCコンサート禁止令が出た。
ああいうコンサートに行くと風紀が乱れるのでけしからんということらしい。
それを知ったRC側も茶化して「教育委員会のバカどもベイベエ」などと煽ったそうだ。
そういう土地柄なのである。
田舎だからね。
まだRCもバンドセットで全国を回り始めた頃だったのか、そんなことにはお構いなしに、ど派手なロックンロールをぶちかましていた。
ラプソディからの曲や定番の「ステップ」「君が僕を知ってる」「スローバラード」などなど。
清志郎はジャラジャラといろんなアクセサリーを身に着けて梅津和時にのしかかり、エッチな仕草をするし、G2は肩からキーボードを下げてステージを所狭しと駆け回り、チャボはガポガポのブーツを履いてキース・リチャーズみたいにテレキャスを弾きまくった。
そして最後は怒涛の「雨上がりの夜空に」になだれ込んで大団円を迎えた。まさかこんなに長い間みんなに歌われ続ける歌になるとはその時は露ほども思わなかった。
とにかくRCもノッていたように思う。
観ている客も飛んだり跳ねたりして汗びっしょりになった。
会場はもう大騒ぎだった。
今まで座ってみるコンサートしか行ったことがなかったので、ライブは思い思いに大騒ぎするものだとこの時に知った。
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