続・永瀬廉くんのオトコマエ具合に惚れた話
廉くんのオトコマエ具合に惚れた経緯は気持ち悪いほどに熱弁した。
賛同してくださる方も多くとてもありがたかった。
そこからまたかれこれ半年以上が経過して、よりその魅力が具体的に見えてきてて、ちょっとぶちまけたくなって殴り書きをした。
のだけれど。
またも放置していた。(そんなんばっかやん)
そんなわけで。
結局また時間が経過してしまったけれど、先日海人くんにぐわーっと愛を叫んで(書き殴りして)一回落ち着いたところで、この書きかけを思い出して戻ってきた。
私の中で海人くんにやや比重があるのはもう許していただきたいところだけれど、前回の「オトコマエ具合に惚れた話」でも書いた通り、廉くんにだって相当にやられているのも事実であるので、それも残しておきたい。
自分でこのnoteを書いていて気づいたのだけれど、多分、私の中で2人の「ここが好き」がすごく明確で、それすら対照的なのだ。
誤解されたくはないので明記しておくけれど、どっちが優位とかいう話ではない。
2人ともまるっと好きなのだけれど、特出して好きなところを挙げるとすれば、という私の個人的好みの話である。
私の中では、海人くんはその感性と非言語的な表現力、廉くんはその思考であったり言語的な表現力がそれぞれドストライクなのだ。
だからと言って、海人くんの言葉が好かんとか、廉くんの表現力がどうこうという話ではないのはくれぐれもご理解いただきたい。
海人くんの語る言葉ももちろん好きだし、廉くんの歌やダンス、役者として表現ももちろん好きである。
(そもそも対極に見えて実は2人して本質はよく似ていると思っているくらいだ)
ただ、特出してあげるならば。
私が廉くんに感じる最大の魅力は、その脳みそ、思考であり、言語表現なのだ。
考え方、愛情表現、使う言葉、そういうものがめちゃくちゃ魅力的だと思っている。
人として憧れる、自分がそういう考え方をできるようになりたい、という類の「好き」である。
これはKinKi Kidsの堂本光一くんにもよく思う。
何度も書いてしまうが、廉くんと光一くんはどうにも気質が良く似ているように思えて、二人の考え方、立ち振る舞いは、共に私の憧れである。
(そして剛くんに関してはやっぱりその感性と非言語の表現力といった部分がより好きだったりしている)
言葉たちの魅力
Xでもことあるごとに喚き散らしているけれど、廉くんの持つ言葉は廉くんの最大の魅力の一つだと思っている。
あまり賛同されないだろうが、その魅力はご尊顔の上を行くと思っている。
例えば。
少し前になってしまうが、メモっていたのでそのまま例に挙げると、東京タワーの発表日のことである。
私とてざわついたのは感じた。
個人的にはまた1つ役者としての廉くんの魅力が切り拓かれるという風に受け取ったのだけれど、一部の熱心なファンの方々にはなかなかしんどいものらしかった。
それを、本人がものの見事に察していたのである。
と、少なくとも私は感じた。
たった数行のブログで。
あのセンスには脱帽した。
いつも通りっぽさは装いつつ、ファンの想いも汲みながら、たくさんの人たちがこの制作に携わっていることを暗に伝え、自分だけの問題ではないことをやんわりと提示し、理解を求めつつ、無理はしないでいいからね、という思いやりまで伝えてきた。
ものすごいセンスだと思った。
しかも、きっと、短時間で当たり前のように書いたのだろう、と思わせる気楽さもあって。
なんて頭のいい人だろうと。
こういうことが出来る人が大好きなのである。
(この、ここぞというタイミングで、ざわついたファンを端的な言葉で一瞬にして鎮める手腕にもつくづく光一くんと似たセンスを感じる…)
こういう対応は、優しさと、想像力と、言葉のセンスと、瞬発力と、どれもが携わった賢さがないと出来ないのではないだろうか。
私は個人的に優しさには種類があると思っていて。
例えば、目の前の人に寄り添い、その感情を我が事のように感じ一緒に涙する優しさ。
そして、相手に対して自分にできる限りで物理的な手助けや直接的なアドバイスをする優しさ。
それから、相手の感情を想像しつつも感情輸入はせず、自分と相手を明確に分けたまま、寄り添う言葉をかけれる優しさ。
これは同じ「優しさ」で表現されるけれど、それぞれ少し種類が違う。
私の中で廉くんは3つ目のタイプの「優しさ」が大きい人に感じるのだ。
もちろん、一つ目、二つ目も持ち合わせていると思う。
器に入った優しさの種類に質量があるなら、3つ目が1番大きいんじゃなかろうか、という感覚的な話である。
一見冷たく見えることもあって、その優しさに気づけない人がいたり、誤解されることもありそうだけれど、他者と自分を明確に分ける感覚は秀悦だし、言葉はいつでも思いやりでできている。
私自身は「他者の気持ちなんて本来共有できないもの」と頭では理解しているし、そういう考えを持ちたいと思っているのに、バリバリ想像で感情を引っ張られるタイプなので、この足元の揺るぎなさにとても憧れる。
そして、こういう人が近くにいるのは、どんなことがあっても共倒れは絶対にしないだろうという心強さもあり、自分に必要なものを自ら気付けるきっかけになったりもするのではないだろうか。
今回のドラマの件に関しては私が憧れる優しさと想像力がめちゃくちゃ発揮されていたように感じてしまった。
かっこいい。
私の思うオトコマエど真ん中で、相当に痺れた。
同じ優しさを、先日の休養中にもやはり感じた。
自身が一番しんどく悔しくつらい思いをしただろうにもかかわらず。
ファンに対しても、相方に対しても、仲間やスタッフさん含め、全方向への優しさと配慮に隙がなかった。
個人的にはあれ以上何ができようかという隙のなさであった。
復帰した時のラジオもしかり。
本当につくづくオトコマエである。
こういう言葉センスやタイミングの良さはライブのMCやバラエティでももちろん発揮されているけれど、その言語能力に感嘆させられるのは雑誌のインタビューも同じである。
活字として入ってくる分、どこか、すとんと入り、ずしんと響く。
毎回毎回廉くんのインタビュー記事には心動かされるし、歴浅ファンとしては本気で日日恋廉は書籍化して頂きたいと思っている。
廉くんのあれこれを見るようになってまだ初期の頃、どこかの雑誌で語っているのを読んでびっくりしたのが、「うわ、この人こっちの言う"かわいい"を寸分違わず理解してる」と感じた流れがあった。
私たちの言う「かわいい」は山ほど意味があると思うのだけれど、この人は自分に向けられるかわいいの意味を正しく受け取ってる、と思ったのだ。
これはめちゃくちゃ強かろう。
こっち(お客さん)の求めていることが手に取るようにわかっているのだから。
商売は本来お客さんのwantsを探すのが大変なのだ。
エゴサはしないという話は聞いているが、何だかんだと状況は常に把握していて、頭に入ってるんだなこの人、と思わせる場面を良く見かけて、それも敬愛する一つでもある。
(このあたりも光一くんに感じるのと同じなのだけれど、優秀な秘書的存在がいるなかな、などと勘ぐっている…)
大学ではマーケティングなんかも学んだのだろうか…。
あの忙しさで、どのように把握しているのか本当に不思議に思うほど、こちら側(ファンの全体像)の動向も感情も余すことなく見透かされている気がしてならない。
そのくらい出てくる言葉に的確さがあり、納得感があるのだ。
事実を伝える上手さに加えて、そこにしっかり自分の思いもさりげなく織り込んでいて、それがまた響く。
光一くんの方が年齢も経験も積み重ねている分、話題は自分達の活動のみならず、後輩や業界のことにまで広く言及していることは多いけれど、根本的な考え方や話の運びはよく似ていていると感じている。
私は廉くんと光一くんの言葉たちがものすごく好みである。
もう一つ言わせていただくと、自分に必要のないものは一切脳みそに残らないあの省エネ加減も大好きである。
例えば、SNSは絶対に使っているはずなのに、ハッシュタグの記号が書けないとか最高な省エネ脳だろう。
意味も使い方もわかるのに、自分では書く機会がなく必要がないために、書けるほどに覚える必要なしと脳が判断して、覚えるという行為を完全に切り捨ててる。
光一くんも、「嘘でしょ?」と思うような常識や知識がスコーンと抜けていることがあって、剛くんに「地球で生きてる?」と心配される人である。
そもそもに知性を感じるがゆえに、ふとした時に、「え?そこ?」というところで省エネ脳さ加減が登場すると、それがめちゃくちゃ愛おしくなる。
(ついでに言うと、背負ったプレッシャーや忙しさ、体の不調などでしんどい時期はひたすら無言で耐え、ほとぼりが覚めた頃、人に聞かれてからポロッと喋るというあのやり口も2人そっくりである)
器の大きさと素直さ
廉くんの最大に惹かれるところはその言葉選びだけれど、もう一つ、私の惹かれるところとして上げておきたいのが、懐深さ、器の大きさと、素直さだ。
2023年12月某日、某音楽番組生放送の日。
掘り返すのも憚られるほど地獄絵図となったあの日、私は密かに廉くんの豪胆さと懐の深さに感嘆していた。
知らされなかったはずはあるまい。
その上で、あの状況での、あの魅せ方である。
ひたすら通常運転を振る舞いつつも、私には全方向に向かって「大丈夫だよ」と笑いかけているように見えた。
それこそ、全方向、だ。
ファンにも、スタッフさんにも、海人くんにも。
あれは私の中に物凄く残っている。
うわぁ…すごいな…と。
うわぁ…永瀬廉だぁ…と。
私の気のせいなのかもしれない。
廉くんに寄せる信頼感からくる勝手な思い込みに過ぎないのかもしれない。
けれど、もしそう感じたのが私1人であったとしても、たった1人にでもそう思わせる何かを物言わず伝えてきたのはすごいことではなかろうか。
あの立ち振る舞いと笑顔は本当に見事であった。
裏でどんなやり取りがあったのかは知る由もないけれど、こちらから見ることができたあの数分については、ただひたすら廉くんに感動させられたのを覚えている。
ついでにこれも勝手な思い込みの話なのだが、木村先輩のラジオに登場した際、廉くんが選んだ1曲を聴いた時、ああ、書き換えるんだ、と咄嗟に思った。
廉くんのお父さんが好きで車で聞いていたという話は既に聞き及んでいたけれど、瞬間的に思ってしまった。
書き換えるつもりなんだな、と。
きっと、こっち側で過剰反応をしているのを知っていて、いやいや、自分の思い出話でも、2人の思い出話でもよく出してるアーティスト名でしょ?と。
そっちを思い出してよ、と。
本当の意図はもちろん知らないし、そんなつもりなんて甚だないかもしれないし、完全なる見当違いなのかもしれないけれど。
廉くんがそのつもりならそれでいい、と少なくとも思った人が1人ここにいたわけで。
私の廉くんへの信頼度に自分でもびっくりするくらいである。
そして、つくづく正直で真っ直ぐな人なんだなぁと思うのが、好きな相手に対する素直さだ。
これは本当に、溢れかえるばかりの枯れない愛の泉が心にある人なんだろうな、と見てて思ってしまう。
仲良しの人といる時の”大好き”の溢れ具合がひどい。(褒めてる)
あの顔であの笑顔であの溢れんばかりの愛情を浴びたら、相手は廉くんがさぞかし可愛かろう。
時々本気でわけわからないことを言っているけれど、その後の愛溢れる笑顔の可愛さで全て帳消しにする魔法はずるい気がするほどだ。
そんな廉くんの素直さを見ていて、個人的に「一番いい顔するじゃないか…」と思って泣きそうになってしまったのは、ライブ中、海人くんを見つめる顔だった。
なんとも言えない、愛情溢れる笑顔で、思い出しただけでちょっとグッとくる。
雑誌でも毎月のように表紙を飾り続け、特集が組まれ、さまざまな表情を見せて数多くのファンを虜にしている人だけれど、言葉なく、ただ、相方を見つめるそのワンカットの笑顔が、今の私の一番好きな廉くんの表情だったりしている。
愛しいものをただ、愛を持って見つめる。
ただただそれだけという真の純粋さを、2万人をこえる会場のど真ん中で無防備に丸出しにしている素直さにもびっくりするし、そんな姿を見せてくれてありがとうだし、なんだかとても尊いものを見たような感動すらあって、なんだか良くわからないけど、泣けてきてしまうのだ。
あれはやられた。
そりゃあ10年来一緒にいたって照れて逃げたくもなるだろうと思ってしまった。
残してくれて、お裾分けしてくれて、ありがとうであった。
さらに永瀬廉のすごいところは、この溢れる愛情を努力に変換すらできるところだとも思っている。
海人くんのダンスを廉くんこそが愛してやまないことも知っていたけれど、海人の武器を無くさせるわけにないかないと、腹を括った永瀬廉の仕上げてきたダンスは本気で涙腺大崩壊であった。
愛情と情熱とを物言わず努力に昇華させ、自分を磨き上げて魅せてくる永瀬廉、どこまでもカッコ良すぎる。
おわりに
つい先日、休養から復帰した廉くんと、海人くんの2ショットがお披露目された。
色々と心配してしまったけれど、しっかり検査もした上で、予定通りの復帰とのことで心から安堵したし、海人くんの嬉しそうな笑顔がまたとても良かった。
Xにもよろこびに溢れた「おかえり」が溢れ、本当にこれほどの人たちに愛され、その愛を背負い立つのはすごいことだなぁと改めて思ってしまった。
2週間まとまった休養が取れたようで、気持ち頬がふっくらして、より可愛さが増していたのはちょっと嬉しかった。
これも個人的な趣味だけれど、あのくらいの方が可愛い。
ただでさえ細い人だから、あまりに痩せられると余計なお世話だと分かっていても、ちょっと心配をしてしまうというのもあり、少なくともあのくらいでいてくれた方がありがたい。
どうか詰め込みすぎず、ほどほどにと、つい勝手なことを願ってしまうけれど、その辺りはもうあちら側のお仕事であるはずなので、本来口を出すべきところではあるまい。
ファンへの供給は途絶えさせず、過剰な心配はさせず、その塩梅を測りながら怒涛に仕事をこなしていかなければならないなんて、難しい仕事だなぁなんて呑気に思う程度にとどめておこう。
けれど、密やかに、すこけんで、と祈りつつ、愛を叫ぶことくらいは許していただきたい。
廉くんのおかげで、私の中で「永瀬廉」という「かっこいい」の種類が増えたので、「永瀬廉…!!」っと心で叫び転げ回るのも日々の楽しみの一つである。
忙しく、愛おしい、知性と努力と根性と慈愛の溢れる別嬪オトコマエ永瀬廉よ、どうか、いつもすこけんで。