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ドラマ「95キュウゴー」と主演髙橋海人の魅力の話

元々洋画房で日本のドラマは守備範囲外で生きてきたのだけれど、「だが、情熱はある」の宣伝動画1分で髙橋海人くんに感情持ってかれてしまい、まさかのまさかでここに来てアイドル主演の深夜ドラマにハマりにハマって3ヶ月楽しみまくった。

人生何があるか分からないものである。

ドラマ95キュウゴーを見て私が感じた魅力を改めてまとめてみたいと思った。


ちなみに原作は未読であるし、原作者さんの作品もお恥ずかしながら全く未読である。

そして日本の監督さん、脚本家さんはほぼ知らない。

そんな無知な一視聴者の戯言だと思って頂きたい。


と、書き始めたのは実はドラマ中盤だったのだけれど、まとめきれずに放置していた。

10話を見終わって、全私がスタンディングオベーションだったのでその勢いで手直ししてUPしたいと手を動かし始めた次第である。

作品の魅力

さて。

ドラマ「95キュウゴー」は湿度の高さがすごかった。

29年という時代差を利用した1枚ベールを覆ったような、不透明で不穏な空気感と、ここまでやっていいんだテレビで、という攻め具合。

これは原作、脚本、監督、プロデューサーといった方々の作品制作力とその熱意の賜物だろうと勝手に思っている。

既に海人くんのファンであり、かつ元々大衆映画好きな身としては、大好きな人を主演に置かれた作品をここまで濃厚に、熱意溢れる作品に仕上げていただけたのは本当にありがたいし、主演の魅力と共に、作品そのものを存分に楽しませていただいた。

海人くんを起用するために1年近く待ったというプロデューサーさんはじめ、関係各所の皆々様に心の花束贈呈したい気持ちでいっぱいだ。


実は今更だし完全に個人的な趣味趣向の話なのだけれど、「青春群像劇」も「恋愛モノ」もあまり好んで見ない方である。

なので、海人くんの役者仕事を心待ちにしていた分、ドラマ主演の発表には相当湧いたけれど、一方で「青春群像劇」と知り、「高校生か…」という思いが僅かながらあった。


けれど、蓋を開けてみたら私の持っていた「青春群像劇」というイメージからは相当かけ離れている物語であった。

青臭いと言えば確かに青臭いけれど、一般的に、というか、私が想像する青春ドラマの青臭さとは種類が違った。

少なくとも私は「青春群像劇」と聞いて将棋の駒を口に突っ込み殴るなんてシーンなんて、とてもじゃないが想像しない。

北野映画かなという衝撃であった。

(しかもまさか中川大志くん案とは思ってもみなかった。)

そんな怖気が走るようなシーンはあれど、ヤンチャ高校生たちが学校や社会に喧嘩を売って、バットで窓ガラスを割るようなギザギザハートな話でもなく、頑張れば夢は叶う的な御涙頂戴劇ではなかったのが私にはぶっ刺さった。

Qちゃんもその仲間たちも割としっかり学校には通っている。

ちゃんと朝の登校時間に登校し、友達と挨拶を交わし、自分の席に座っている。

いわゆる典型的な「不良」のイメージはない。

教養もあり、人を想う優しさも持ち合わせ、住む街や世間に関心を持ち、時代に争いつつも世を憂うような知的なキャラクターとして描かれているように感じられて、それがまた好みであった。

自分の高校時代を思い返しても、世の中の動向になんて全く興味はなく、遅刻せずに登校できるかが連日の課題であり、進学をどうするかで悩む、無気力で平凡で平和な日常しかなかったので、Qの感性と行動力には感嘆した。

大人になった今も賢い人に憧れる単純な凡人であるので、高校生役とはいえ、このドラマのキャラクター達にはとても惹かれるところがあった。

一定数の大人たちが物語の中枢に登場していることも、えげつない奥行きを出している様に感じて好きだった。

閉鎖した世界で暴走する学生たちをオウムの事件と重ねて見せてくるところや、親である大人達がちゃんと相応の歪さとかっこよさで描かれているところ、Qのバイト先に、高校時代を人生のモラトリアムだったと感じている、たった数年先輩なだけの大学生がいるところもそう。

そういうところが私的には単純な「青春群像劇」ぽくなく、逆に若者のリアルさや残酷さを浮き上がらせて空恐ろしさを呼び、魅力的に感じた部分でもあったりした。

閉じた世界で人間が狂っていく事件はオウムだけでなく、歴史上何度も起こっているのは周知の通りで、それに限りなく近い若者たちの閉じた世界と、外界の接点がちゃんと物語の中に存在しているのが妙にリアルで怖さを感じたのだ。

蓋を開けてみれば2人の高校生の恋愛話が主軸の一つだったのだけれど、私の中の「青春群像劇」というイメージとはかけ離れたドラマで、あらゆる想像、想定を裏切られた世界観がとことん楽しかった。


もう一つ、うまいなぁと思えて仕方なかったのが、最初にも触れた時代差の使い方だ。

この29年という微妙な時代差がフィクションとノンフィクションの隙間を埋めているようで。

実際に起こった歴史的な事件も存分に絡めているし、当時のニュース映像をそのまま流すことでもそれを感じた。

今と地続きの時間軸という見せ方がフィクションとノンフィクションを繋いでいるような錯覚を起こして、非日常的な物語なのに現実の過去だったことを妙に感じるというか…。

そして、現代の主人公Qの語りもそれに一役買っていたんじゃないだろうかと思っている。

1人の高校生にとって大事件だった出来事があっても、世の中は何も変わらなかったし、何事もなかったかの様に過ぎていった。

けれども、仲間は足を不自由にしたし、その代償に、人一人の命を繋ぎ、一組の母娘の生活を守った、というのが妙にドラマチックだった。

(ついでに翔の家の現実味のないお金持ちさ加減が全て帳消しにしたという、一般庶民が強制的に納得させられてしまう大技もとてもよく効いていた。
物語の矛盾に対して「んなわけないじゃんwあれはどうしたw」と突っ込んでしまいがちな人間なので、強制的とはいえ何事も無くなった理由が添えられていたのはありがたかった。)

第一話の感想でも書いたけれど、波乱の時期を超えたQが、危うさの片鱗をわずかに抱えたまま普通におじさんになり市井で生活している、という設定と、メケメケという喫茶店や、雑居ビルといった建物が2つの時代で変わらずに存在し、2つの時代を見事に繋いでいるという、あの見せ方も好きだった。


同じく第一話の感想で書いたけれど、全編通してタバコの使い方も好きすぎた。

湿った空気に漂うタバコの煙が常に画面を覆っているかのようで、その向こうにある過去の記憶という世界に白い靄がかかったような印象すら与えていたように思う。

Qちゃんがタバコに慣れていく過程といい、最後のカラオケシーンでは当初吸っていなかったQちゃんだけがタバコを咥えていたことといい、粋がすぎる。

それを時系列バラバラで撮影したにも関わらず演じ分けた海人くんには盛大な拍手である。

あと中川大志くんの翔も本当に最後の最後までこんな高校生いてたまるかというくらいカッコ良すぎて痺れた。

なんだあの「見てるか?綺麗だろ」(10話)

あれは高校生じゃない。その道のオトコだ。(褒めてる)


時系列関係なく一気に撮影したからこそであろう編集?構成?も大変好みであった。

1話の最初と最終話の最初のリンク。

1話のエピローグの謎かけと10話の答え合わせ。

こういった作品全体を通したあれこれはもう原作者さん、脚本家さん、監督さんのお仕事が私の好みに近いんだろうなと思わざるを得ない。

翔の行方やセイラの現状を、たった一言添えられた1枚の絵葉書、病室のワンカットで示す潔さも最高だった。

存分に楽しませていただいて、「ありがとうございます」に尽きる。

主演の魅力

なぜこんなにもドラマとしての出来具合と魅力に「ありがとうございます」なのかというと、今現在の私は相当に主演の髙橋海人くんにやられまくっているから出てくる感情である。

役者髙橋海人の1ファンなので、「魅力を全開に引き出して、色々な海人くんを見せてくれて、かつ物語を楽しませてくれて、良き作品と感じさせてくれて、心からありがとうございます」なのだ。


あまり日本の役者さんは存じ上げないのだけれど、スタート時点から「豪華」と言われていたのは、見てすぐに納得できた。

そんな錚々たる役者陣を脇に添えてなお、全編通して主役として魅了し続けてたのは本当にお見事としか言いようがない。

もう贔屓目だろうがなんでもいい。

声を大にして叫ぼう。

めちゃくちゃ魅力的なQちゃんであった。

ここまでも何度も書いているけど、懲りずに言う。

役者、髙橋海人が大好きだ。


最初の方で衝撃を受けた、抱える内面の解像度、表現力。

そこからずっと、Qちゃんの成長過程をこの短期間で見せていく中で、絶対にぶれない一人の人間であることを、全身で、表情で、目つきで、視線で、丁寧に描いてくれた。

映画の中で、急に違う人になった、と感じるような成長具合を何度か見ている記憶があるせいもあり、これはすごいぞとずっと思っていた。

霞ヶ関に白い花を一輪持っていくその感性を、ずっと根底にちゃんと抱え続けて成長していた。

だからこそ、世の中を人より一段上から眺めているような視野を持っている翔が固執し信頼し、誰にも相手にされない寂しさを抱えひねくれてしまった健吾が慕い、たくさんの高校生を見てきた牧野さんがQちゃんを欲しがるのも、納得がいくのだ。

Qちゃんに、どこか惹かれる人間的な魅力がないとそもそもの説得力にかけてしまう物語なのに、それを納得させるだけの演技を見せてくれたのだから嬉しくて仕方ない。

外見が垢抜けても、どこか拭えきれない陰キャ感や、付き纏う劣等感が見え隠れするし、真面目であるが故の賢さも融通のなさも頑固さも弱さもあって。

でも素直で優しく可愛げのある少年ぽさもあり。

であるが故に、キレた時のキレ具合が仲間が困惑するほどであるのも、また良かった。

翔がやられたことでキレて、翔に止められるシーンも、最高に魅せてくれた。

”戦隊モノの赤”とも違うし、かの時代のドラマの中の”キムタクさ”もないし、純粋に視聴者が惚れ惚れするような”ヒーロー”ではないけれど、とても人間味があって、魅力的なQちゃんで、間違いなく物語の”主人公”だった。

多くの人が共感する部分を持っていそうな姿がよかった。

そんな役を感情を一瞬で持っていってしまう海人くんが演じてくれたことで、そういう物語と主人公が好きな私はガッツリやられまくった。


あと、単純だけれどケンカシーン、乱闘シーンもかっこよかった…。

エグいなぁー…と感じるシーンも満載だったし、最初の宝来を殴るシーンなんかはそれこそ感情持ってかれてしまって大変だったけれど、Qちゃん優勢なケンカは気持ちよく楽しませていただいた。(Qちゃんへの肩入れひどい)

最後の大乱闘シーンも見事だったし、アクションシーン繋がりの感情の解像度も相変わらずの鮮明度で本当に素晴らしかったと思う。

あまりに見事で、アクションシーンのあれこれはある種ダンスのフリ入れに似てるんじゃなかろうかと、ふと思ってしまった。

以前、海人くんの踊っている姿になんでそんなに魅了されるのかとても不思議で、パッと一時停止をかけたり、スクショを撮ってみたりしたことがあるのだけれど、どの瞬間を切り取っても、そういうポーズで写真撮りました?っていうくらい綺麗だったことに驚き、描く軌跡が全部綺麗なんだろうな、と思ったことがあって。

そういう動きをずっとしてきた人だから、どんな動きでも綺麗に見えるように動けるんじゃないかなと思ったりして、しみじみすごいなぁと感心した。

そして単純に跳躍力?

回し蹴りが思った以上に飛んでてめちゃくちゃびっくりした。

めっちゃ惚れた。(惚れてる)

あれは素直に単純にかっこよかった。

才能と努力につくづく驚かされるし、感動する。

共演者さんの魅力

先にも挙げた通り、ほとんど初めましてな共演者さんばかりで恐縮だったのだけれど、「豪華共演者」と言われていたのは大いに納得だった。

何度もXで呟いたので繰り返しになってしまうが、中川大志くんの翔然り、安田顕さんの大人Qちゃん、三浦貴大さんの牧野、斉藤由貴さんの翔の母はなかなかに好みであった。

桜井ユキさんの新村萌香も、鈴木仁さんの宝来も、桜井日奈子さんのお姉ちゃん、も存在感あって好きだったし。

これも完全に個人の趣味だろうけれど、主要キャラを演じる方々に、んー…となるタイプの人がいなかったのも見てて興醒めすることがなく、ありがたかった。

後半の好きだったシーンがいくつかあって。

せっかくなので書き残しておきたい。

その一つが、飲み帰りの牧野に絡まれたセイラを助ける翔のシーンでの、牧野と翔の会話。

ああいう、頭の回転の速い人同士でしか成り立たない、お互い嫌味だらけなのにスマートな会話、とても好きだったりする。

そして、翔の母の「図太く、自分のためだけに生きなさい」

あれは効いた。

さらには最後の牧野の独り言「俺だけ年越せねぇじゃねぇか」

センスよ…。

原作にもあるセリフなのか、脚本さんのセリフなのかは存じ上げないけれど、そういう要所要所に好きなセリフが登場し、それを浮かさずに命を込めて口にしてくれた役者さんたちがいて、それをすごく楽しませていただいたドラマだった。

おわりに

95年に解散したTHE BLUE HEARTS「少年の詩」で締めた最終話。

10話が始まる前には、終わってしまうことの寂しさを構えていたのだけれど、あまりに見事に幕を引いてくれたため、「終わった…!!」という感覚がもはや、爽快であった。

とはいえ、見終わった直後は、凄すぎて放心した。

元映画好きとしては、映画のようなエンディングロールがまたよく効いた。

エンディングロールを見ながらじわっと涙が込み上げた。

良質な映画を見終わった時に感じる前頭葉の心地よい疲れに痺れた。

THE BLUE HEARTSの歌のタイトルが、主題歌であるmoooove!!の歌詞に鉤括弧付きで入っていたことと、最後の曲がTHE BLUE HEARTSでつながって、本当に最後までセンスに脱帽であった。

こんなにハマれるドラマを心から感謝だ。

3ヶ月楽しませていただき、ありがとうございました。

皆々様の今後のご活躍を陰ながら祈りたい。

そして。

海人くんの次の役者仕事もまた楽しみになった。

感動も未来の楽しみもありがとう海人くん。

大好きだ。

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