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なんでわからないのか、わからない。その恐怖。

わたしの通っていた小学校は受験校で、
ほぼ全員が中学受験をする学校だった。

6年生になると、成績順にクラス分けされ
年間10回あるテストの結果でクラスが変更される。
それに加え、ほぼ全員が塾にも通い
昼間も、夜も、両方受験のための勉強をしていた。

小学5年生の終わりに、自分の成績順位が記された紙が配られ
6年生から自分がどのクラスになるのかを知らされた。

その紙に記された順位は、
全体、12位。女子、2位。
クラス分けでは、一番のクラスになった。けれど。

わたしより、頭がいい男子がたくさんいる。
女子も、一人いる。
その女子は誰かを、わたしは知っていた。

そこから、わたしは勉強がうまくできなくなった。
毎回のテストでは順位が伸び悩み、
その結果表を渡されるたびに焦り、怯えた。

そしてある日。
算数の小テストの時。
配られた問題を見ても、全く、何も、どれも解けなかった。

わたしはパニックになった。
考えても、考えても、さっぱりわからない。
なんでわからないか、わからない。
今まではなんとかできていた。
いつも通り復習も予習もしていた。
でも、一問も解けない。

焦って、怖くて、悔しくて、
涙が出た。
鉛筆に力が入りすぎて、
消しゴムで何度も消して、
テスト用紙はぐしゃぐしゃになった。

声を殺してはいたが、
顔を歪めて泣いているわたしに先生が気づき
声をかけた。

そこまでは、覚えている。
その後どうしたのか、わからない。
ただ、その後、わたしは二番目のクラスになった。

あの、算数の小テストの時の
なんでわからないのか、わからない、ということの怖さが
今でも忘れられない。

それは多分、
認知症になった人が自分はいつも通りのつもりなのに
周りからおかしい、そうじゃないと言われ
何を言われているのかわからない
その恐怖に似ているのではないだろうか

認知症などの病気だけではない
わからないことに気づくことができていなければ、
なんでそれがわからないのか、と責められても
怯えるだけで、どうしていいのかわからない

だから
誰かが自分にとっては理解し難い言動をしていても
そんなこともわからないのか、とか
常識だ、とか
そういう断罪をしないようにしたいと思う

それを強く責めたところで
相手には傷がつくだけで
直りもしなければ、
防御のために反撃するだけだから

なんでわからないのか、わからないことの恐怖。
今でも思い出すと、胃の奥が締まる気がする。

どんなに苦手な人でも
嫌いな人でも
わざわざ、そんな思いをさせたくはないし
そうさせない人でありたい。

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