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【雑談】『平成羊羹』裏話

令和の時代が始まりました。

以前『平成羊羹』なるミニエッセイで、「時代が平成ではなくなったとしても、時間は相変わらず続いていく」なんて書いてしまった手前もあり、当初は特に投稿などせず静かに過ごしていようと考えていたのですが、やはり何かしたくもなるものですね。そうは言ってもわいわい騒げるようなノリもないので、自分にできそうなこととして思いついた唯一のこととして、例の『平成羊羹』の裏話でもしゃべろうと思います。

あれは、新時代に向けて平成が終わりに近づく中、「とはいえ、令和がスタートしても私は私のままだし、身の回りの景色も変わらないんだよな」という感覚がぼんやりと浮かんできたときに、ちょっと書いてみようかと思い立ったものです。「新時代の幕開け!」と浮足立ってきた世間に異議を申すだの、食って掛かるだのということでは決してないのだけれど、ただ、すごく不思議に思えたのです。時代の変わり目だけでなく、正月とかも実はそうなんですよね。

そして、『平成羊羹』発表後にミオールさんという方のnote.に運良く取り上げていただけて。

この羊羹の喩えを目にして、オングの書『声の文化と文字の文化』(下)を思い出した。口承文化に属する人びとは日の切れ目を真夜中で切るようなことはしないと。そのような切り方は文字文化に属するのだと。

自分ではそこまで考えていなかったのでちょっと嬉しかったです。同時に、さらに興味深いなとも思いました。一日の切れ目を真夜中で切り分ける文字文化と、そういうことをしない口承文化、この二つが、私だけでなく他の人の体の中にも同時に流れているのだとすれば、何だか素敵だなあ、と。

そんなことに気づけたので、だいぶ粗削りになった『平成羊羹』ですが、世に出してよかったなあと思っています。


あと、もう一つ裏話があります。実は、平成羊羹の例えは羊羹から始まったものではないのです。

最初、「平成がいよいよ終わる」と意識し始めたときに頭に浮かんできたのは、学校の社会の資料集などによくある、色分けされた時代の帯グラフでした。縄文時代、弥生時代、平安時代・・・明治、大正、昭和と並ぶ中に平成も仲間入りするのかと思うと感慨深かったのです。

そこで、「いや、でも、時代ってそんなに簡単に切り分けられるものなのかな」と考えたときにもう一つ出てきたイメージが、クリスマスのブッシュ・ド・ノエルでした。数年前、某ホテルのクリスマスランチビュッフェで超ロングなブッシュ・ド・ノエルが置いてあり、それをスタッフの方が切り分けているのを目にしたことがあったのですが、まさしくそのイメージでした。でも、ブッシュ・ド・ノエルだとエッセイ内で説明するには字数を取り過ぎるので、それじゃあロールケーキにしようとも考えたものの、「日本の皇室に関係するトピックなのだし」ということで和菓子である羊羹にしました。

すみません、何だか。『平成羊羹』の出発点は羊羹ではなく、ブッシュ・ド・ノエルとロールケーキだったのです。

実はそれを一番言いたくて今日こうして筆を執っているのかもしれません。「最初は羊羹ではなかった」ということを黙っているというのが何となく後ろめたかったので。


でも、令和、良い時代になるといいですよね。


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