内面を表現しながら自分を守るファッション
ポッドキャスト「恥を抱きしめて」#29「内面を表現しながら社会から自分を守るファッション」の後書きです。
今回は
「内面と社会の境界線ことファッション」
について、話しています。
その服を着ることで自分が得られる安心感、強さ、心地よさ、解放感。
そして他人から受ける扱いやコメントの変化。
自分が実際してきた服の変遷とその時その時の自分と周りの変化について、そして今自分の着るもの、着ないものへの思いについて語っております。
詳しくはぜひ動画またはspotify、apple podcastで聴いてください!
性的な目で見られる格好や言動をすることへの恐怖
先日観たバラエティのロケ番組にグラビアアイドルが出ていました。
露出の高い水着姿で、女性的チャームポイントを強調させながら、甘い声でくねっと身体を曲げ、一生懸命ロケをする彼女。
こういうシーンを見ると、身体に力が入り、変な扱いをされないかドキドキして、あまり楽しく笑えない自分がいます。
彼女自身は仕事にひたむきだったし、その番組では周りの方の対応も良識があったことで案じていたような嫌な展開にはなりませんでした。
ただ改めて、自分は性を強調した格好や言動を絶対にしたくないんだよなあ、なんでなんだっけと考えを巡らせていました。
そしてそれが、"恥ずかしい"、"自分の好みの格好じゃない"、などといった以前に、言い方は悪いけれど「性暴力ホイホイ」に見えてしまうから絶対に嫌なのだということに気づいたのでした。
服、および言動によるファッションは、自分を表現するだけでなく、やはり周りからの扱いをどうしても方向づけるものだと感じます。
もちろん露出が多い格好をしていたら痴漢をしていいなんて思いません。
ミニスカートをはいた方が悪いのではなく、痴漢をする方が悪いです。
ただ私自身は、とにかくそういう人に見つかるのが怖くて、女性性を強調するような服や言動を小さい頃から避けてきたのでした。
バンド文化に馴染むための装備と扱いの変化
では私が好きだったファッションは何かというと、今ライブで着ているようなワンピースや、夫もいる中でちょっとおしゃれしてお出かけする時の柄のロングスカートなど。(シチュエーションが限定されてるのも後ほど触れるような理由があります)
このようなファッションは高校生の頃から好きでした。
森ガール、蒼井優、宮崎あおい、岩井俊二監督作品、fudge、アメリ etc…
そういう女の子のファッションが好きで、憧れる女の子を意識しながら洋服を集めては着て楽しんでいました。
着る服が大きく変わったのが、大学に入る直前。
髪の毛は暗い茶髪ボブヘアーから、ジーンセバーグ並みのベリーショート(ハイトーン)にしました。
服も、スカートを捨ててバンドTにズボン、ジージャン・革ジャンといったスタイルになりました。
今思えば、これはバンド文化に馴染んでいくための装備でした。
男性の多いバンドサークルで浮かないために、また音楽をやっている人たちと同じような格好をすることで馴染めるようにとそういう格好しました。
元々自分が好きな激しめのバンド音楽と自分が好きなファッションが合わないことに混乱もしており、自分なりに音楽の方に寄せて、好きなファッションを捨てたのでした。
確かにバンド文化にはすんなり馴染めたようにも思えたのですが、これは洋服によるものかはもはや分かりませんが、雑に扱われることが増えました。
「ここいう女はこうだ」「可愛い子ランキング」「女同士はいがみあっている」「太った?」
見た目や振る舞いについて色々言われるため、どうしたら何も言われないのか試行錯誤しました。
服を捨てていき、摂食障害になっていきました。常にニコニコしていようとしてすり減っていきました。
サークルから離れてバンド活動をする中でも、服装や身体のラインのことを男性からも女性からも言われることが多く、だんだん演奏に集中できなくなっていったりしました。
ワンピースは気持ちの解放と保護
今のバンド活動ではワンピースを着ることが多いのですが、その理由を考えていたところ、3つ思いあたりました。
①自分がとにかく好きなものを着る
"バンドガールがこういうのを着ているとグッとくるファッション"というのがあったりします。でもそういうのを無視する。
”馴染めそうだから”、”ウケが良さそうだから”、”曲と合っているから”
そういうことを理由にして服を選ばずに、
”私がときめくから!””私が好きだから!””私のテンションが上がるから!””私が自信を持てるから!”
着る。
当たり前のことですが、バンド活動でそれが難しくなっていった自分としては、そこに解放感を感じます。
②母親という役割からの解放
自分が好きな服を着れなくなったのはバンド文化のための装備やコメントによる迷子以外にもあります。
それは母親になったこと。
子育てをする上ではすぐに走れたり、変な人に目をつけられなかったりすることはかなり大事です。子供を守っていくためには機能性と安全重視。
ライブをするときに、普段着れないワンピースを着ることは、母親という機能・役割を脱ぐような感覚もあるのです。
③コメントからの防具として
バンドコミュニティで、散々見た目や身体のラインのことをあーだこーだ言われた経験から、身体のラインをあまり拾わないワンピースは、そういう過去のコメントから自分を守る役割も果たしています。
これで何も言われない。安心。
という感覚でやっと、思い切った演奏ができるのです。
コンプレックスをひっくり返すファッションはしない
mamaririという活動では「ダメな自分」「恥ずかしい自分」を、抱きしめていこうね、人ってそういうとこあるよね、という気持ちを核にすえています。
歳をとっていくこともいいもんだよね。
母親になっても、女でもやりたいことってできるね。
やりきれなさや寂しさにどうしようもない日もあるけれど、自分を抱きしめてやったり、ちょっとでも種を撒いていこうね。
そんな場を作りたくてやっている部分があります。
そのため、コンプレックスをひっくり返すようなファッションはしたくないと思っているのです。
体型をくっきり見せるファッション、女性性を解放するファッション、びっくりするような勇気のいるファッションをすることで、
「自分たちを愛していこうぜ!」「好きなことをしていこう!」
というのを分かりやすく表現しているアーティストもいます。
ただそういう表現の仕方は、勇気を与えてくれるなんて言われるものの、個人的には、生贄のように見えてしまうところがあります。
弱み、コンプレックスを強調して価値観をひっくり返すパフォーマンスを、私はしたくない。
どちらかといえば、そういう弱みや引け目、隠したさも自分なので「守りたい」ということを服で表すのもいいんじゃないかと考えているのです。
ボディポジティブよりボディニュートラル
身体の状態には波があります。服も身体も、内面や環境があらわれます。
子育て、何歳だ、病気、ホルモン、薬の副作用、仕事、介護 などによって、驚くほど変化し、揺らぎがあるものです。
だから、
どういう価値観でどう言われようが自分の見た目は最高だ、愛していこう、という考え方「ボディポジティブ」でいるのは苦しく感じてしまいます。
自分の全てに光を当てて全てを愛するよりも、自分の外見や体型への感じ方をそのまま受け入れる「ボディニュートラル」という考えの方がしっくりくるのです。
身体の気になる部分は「そういう時期なんだな」と受け入れてみたり、「これで隠してみよう」と誤魔化したり、「ここにいって相談してみよう」と対処したり。
そういう意味で、自分の弱みを強みにしていくような攻めのファッションじゃなくって、ワンピースを着て自分を安心させるみたいに、守りのファッションでもいいじゃないと思うのです。