”自分”が乗っ取られ奪われていく妊娠出産産後の話
podcast「恥を抱きしめて」第20回「妊娠報告への抵抗感 | 痛かった無痛分娩 | 母になり想う母のこと 他」のあとがきです。
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今回は子供を持つきっかけから、妊娠報告への抵抗感、辛かった妊婦生活、痛かった無痛分娩、母になって思う母について話しています。
①子供を持つきっかけ
小さい頃、母はしばしば私に
「あなたもいつか子供を産むのよ」、
と言いました。
私はその度に
「絶対に嫌だ!!!産まないよ!」
と言っていました。
未来を決めつけられるのも嫌だったし、すごく痛そうだということを聞いていたので、怖かったのです。
そんな私でしたが、大学で夫と出会い、付き合う中で、子供好きで信頼できる彼となら、子供のいる未来も悪くないかも、と思うようになりました。
それでも自分のことだってやりたいから、
産むなら30まで!
と決め、とんとん拍子に結婚し、子供のいる生活に向けて準備をしました。
②妊娠報告への抵抗感
幸いにも妊娠までに時間はそこまでかからなかったものの、私は「妊娠報告」というものに違和感があり、初期は夫と母以外に知らせず、二人にも口止めをしていました。
理由は
・いつ死んじゃうかもわからない
(流産や死産があるかもしれないのに軽々しく言いたくない)
・自分の身体の中のことが話しまわられるのが嫌だった
(この人、便秘なんだって〜!って言って回られるような感覚)
そんなところでした。
結局母親が
「これ以上秘密にできない!!!」
と嘆き、(可愛い)
安定期には親戚にはお知らせをしました。
それでも、SNSなどで大々的に報告!といったことにはやはり違和感・抵抗感があり、多くの人には事後報告となりました。
③マタニティマークを付けられなかった
また私はマタニティマークも怖くてつけられませんでした。
マタニティマークをつけた方が
階段から突き落とされた、
優先席で揉めた、
勝手にお腹を触ってこられた、
などといったニュースが怖く、なるべく悟られない格好をして過ごしました。
自分の身体が感覚的にも、見た目的にも日々変化することに戸惑いも多く、あまりそのことに言及されるのも嫌でした。
④自分だけ変化していく妊婦生活の辛さ
生理だって、出産だって、人によって違うように、妊婦生活も人それぞれ。
私の場合は
・つわり
妊娠初期から産むまでほぼ常に船酔い状態。
好物だったさつまいもやお米の匂い、味が一気にダメになった
食の好みも変わる
・坐骨神経痛
妊娠中期のある日お尻の筋肉が痛すぎて歩けなくなった
骨盤ベルトを慌てて買って救われる
・蕁麻疹
突然謎のかゆいぶつぶつができる
・必死の体重管理
安産のために、最低増加ラインの+7kg以内に収めた
安産ではなかった気もするが、妊娠線や正中線はできなかった
・産後の準備
”マタニティ〜””ベビー〜”
ろくに使わない高いものに変な名前をつけたり、
めでたさを出してたくさん売りつけてくるのが不快だった。
足元を見られてる感覚に怯え、先輩ママたちの
”必要なかったものリスト” や ”買ってよかったものリスト”
をROM専のSNSアカウントでチェック。
エクセルでリストを作り、育児がより楽しく、楽になるものを買い集め。
・妊婦健診、母親学級、両親学級
検診はとにかく待たされる。
体調が悪い中、空気の悪い室内で座り続けるのが辛い。
必要なのかわからない上にやりたくない検査をたくさん受け、
そしてお金をたくさん払わされる
辛かったことを列挙しましたが、そもそも自分の身体の中で、日々生き物が大きくなっていくのなんて、普通にホラーSFです。
身体や具合が日々変化するのに戸惑いながら、あの超絶痛いと噂の陣痛&出産が着実に近づいてくる。
動きだしたジェットコースターはもう降りれません。
自分ばかり情報を蓄え、社会は何も変わらずに動いている。
優しいはずの夫すら、線の外側にいる。
なぜ私だけ・・・?
やはり女しか妊娠出産できない仕組みは、完全にバグだよな・・・と思うのでした。
⑤痛かった無痛分娩と医師に従うしかない辛さ
産む、と決まった頃から、
絶対に女医ばかりの病院で無痛分娩をする!!!!
と決めていました。
だって身体いっぱい見られるの嫌だもの。せめて女性がいい。
だって痛いの怖いもの。せめて麻酔を使いたい。
それくらいの「自分」は許してほしい。
結果から言うと、”無痛分娩”とは名ばかり。
陣痛が数時間ないタイミングがあっただけで、(しかしそれがとても助かった)あとはずっとめちゃくちゃ痛かったししんどかったです。
私の出産は麻酔を入れてもらってから、子宮口が8割開いたところで、膠着しました。
途中からやってきた”ベテラン助産師”の浅はかな判断によって、お腹の中の娘の容態が急変。
あっという間に緊急体制のような状態になり、たくさんの医師たちが駆けつけ、立ち合いの夫や母はいつの間にか部屋から追い出されました。
酸素ボンベをつけられ、帝王切開の可能性があることを告げられ、
「ここまでこんなに時間かけて苦しかったのに、さらにお腹を切るなんて絶対に嫌だああああ!」
と思い、お腹の中の娘にたくさん声をかけて、酸素を送ることを最大限意識しました。
最後の最後がなかなか大変で、何かしらの装置に手伝ってもらいながら、なんとか経膣分娩で産むことができました。
妊婦健診でもそうでしたが、とにかくなされるがまま、選ぶ余地なく医者の言うことに従うしかない状況は、人権を奪われたような感覚で、辛かったなあと思います。
⑥感動の対面と終わらない痛みの連続
自分の中から、自分じゃない泣き声が聞こえた瞬間、私は感動で大号泣していました。
横を見ると夫も大号泣していました。
一生守るよ、としわしわの背中をさすった日のことが本当に昨日のことかのようです。
私が感動してカンガルーケアをしている中、縫合の処置が手こずり、大量出血し、バタバタする医師たちの様子を、夫は不安に思っていたそうです。
さあ、感動の対面も束の間、出産って、産み終えてからも痛いことの連続なんです。
・10ヶ月かけて広がった子宮が一気に収縮することで起きる後陣痛(めちゃくちゃ痛いのに医者に押されたりする)
・自分の股とは思えないぐちゃぐちゃの股、(トイレと風呂がめちゃ怖い)
・母乳を出す準備をしてゴリゴリの岩のように固まる胸(熱を持ってめっちゃくっちゃ痛くて眠れない)
・娘が泣いてるのにうまく母乳があげられずに自分が泣く
・寝ずに母乳をあげつづけてフラフラ(やっと寝れたと思うと他の部屋のナースコールで起こされる)
・ホルモンバランスが崩れて寂しさや不安、自分の母への感謝で泣いている
・骨盤が痛くてうまく歩けない
・寝続けていて身体中が痛い(一週間退院できず、ホームシックになる)
・自分の場合は極度の貧血によって導尿したのですがこれもめちゃくちゃ痛かった
⑤母になって向き合う夫と母
妊娠から出産、産後は身体も心も日に日に変わっていくし、全てが初心者な中で、お金が四方八方からたくさん奪い取られていったり、言われるがままに身体を開け渡さなければならないので、自分が乗っ取られていく、公共のものになっていくような感覚が辛くて怖かったです。
理不尽なことを受け入れていくしかない。諦めていくしかない。
育児の辛さもこれの延長線にあるなと感じます。
夫とは恋人から家族になるという新しい試練のはじまりでした。
変化を引き受けるのは女側ばかりなので、うっかりコミュニケーションや気の掛け合いを怠れば、
「お前(男)はいいよな」「お前(男)は何も変わんないもんな」
になってしまいうる。
幸いにも我が夫は一緒に頑張ってくれました。
夫自身まで超初期は悪阻になったり(共感性が高い男性に起きるらしい)
臨月から産後しばらくはいつでも動けるようにお酒をやめてたり
出産の翌日筋肉痛になるほど立ち会い出産で手を握り励まし続けてくれたり
3ヶ月も育児休暇を育児を一緒にしてくれたり…
「所詮は他人」という恋人の関係性から、
「我々はチームだ。協力して、このチームを安心で楽しい場所にするぞ!」
という意識に大きく変わったのも子育てがきっかけだったなと思います。
母になってみて味わった理不尽な出来事の連続、その孤独さ。
母があの時
「あなたもいつか子供を産むのよ」
と言ったのは
その景色の壮絶さを、その尊さを、身をもって分かってほしい、
そう思ったからなのではないか、そんな風に思うのでした。