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ランも音楽も数字のためにやってない

podcast「機微を抱きしめて」#9「走ることは自分と向き合うこと」のあとがきです。

(apple podcastからも聴けます!)

「走ること」という切り口ではありますが、音楽活動でも人生でも、私は
「自分と向き合う」ということに重きを置いているよ、
という価値観に触れた回となりました。

約10年ぶりに早朝ランニングの習慣を取り戻した私。
ランニンググッズとして、靴、靴下、帽子、そして村上春樹のエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」もゲット。
久しぶりに読み返しました。

エッセイの中で特に共感して嬉しくなったのが、走ること自体の喜びや面白さ、老いと共にマラソンのタイムが落ちることへの焦りと葛藤、そして走る時の孤独と執筆活動との類似性についての言及。

エッセイではタイムが落ちていくことへの焦りと葛藤が書かれていましたが、私は高校時代の友達からの一言による傷つきと葛藤について話しました。

確かに夢や目標があって走ったり創作したりするし、その努力が報われないことに焦ったりもする。
でもそれとはまた別軸にその行為自体が自分にもたらしている価値がある。
孤独に積み上げていく走行距離と創作活動に一人向き合い続けることが自分には欠かせない行為なのだ。
春樹も、私も。(あら失礼っ!)

余談ですが、この回を後日走りながら聞き返していたら、高校時代の友人からのきつい一言のくだりについて、新しい解釈が自分の中に生まれました。

え、これって彼女、私に嫉妬して嫌味を言ったんじゃない…? 
あれ、気のせいかな…。あれ。。。

自分の話をラジオとして聴いていると、違う人の話を聴いている感覚になり、思ってもいない視点が生まれて面白いものです。
ランニングで頭が空っぽになっていると余計新しい発想が生まれるのかもしれません。


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