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育児ノイローゼを抱きしめて

ポッドキャスト『恥を抱きしめて』第21回「育児ノイローゼ|インフルエンザで休めない母|"全てどうでもいい"からの回復記録」のあとがきです。

spotifyからもapple podcastからも聴けます!

さて今回は、「育児ノイローゼ」と「育児鬱」について。
つい最近、育児ノイローゼからの鬱状態(言ってしまえば「死にたい」「消えたい」という状況)に追い詰められていた私。

正直、このような状態になったことは娘を産んでから何回かあった。
大抵、娘とずっと一緒に居続けることから始まり、自分の時間がなくなり、自分の思うような未来を描けない、頑張っても報われない、と感じることで時間をかけて鬱状態に陥っていく。

原因や条件を意識するようになり、他人の手を借りたりすることで、こん詰めないよう工夫するようになった。
ひどい状態に落ちる前になんとか乗り切れるようになってきた。

それでもやはり今回は徹底的に落ちてしまった。
病気の時は、外部に頼ることが全くできないからである。
また自分自身も、体調を崩すことでうまく動けなかったり考えられなくなるからである。

頑張っても頑張っても報われず、そしてこれからの見通しも立たないと感じられ、全てがどうでもよくなってしまった。

結構暗い話なのですがこれが育児の中で私が見てきた実際の景色なので私なりの回復過程も含めて共有していきたい。

「一家インフルエンザ感染」はただのきっかけ

今回完全に詰んだ状態になったきっかけは、家族全員のインフルエンザ感染。

症状がしんどいことはもちろん、動かない身体を動かして娘を看病し、家の家事を回さなければならなかったため、拷問のようだった。
ただ私が無気力な鬱状態になったのは、その出来事単体が原因ではない。

それまで蓄積してきた我慢、頑張りと、その報われなさがインフルエンザによって完全体となり、疲れ果ててしまったこと、希望を持てなくなってしまったことが原因だった。

育児ノイローゼの始まり

育児ノイローゼになる入り口は、娘と一緒にいる状況が連続すること。

娘に話しかけられたり構い続けながら、

料理する。娘の時間を潰す予定を立てる。
準備をする。片付ける。
最低限の掃除をする。日用品を補充する。
衣替えをする。サイズアウトした服を買い替える。
10分に一回機嫌を損ねる娘の話を聞く。
機嫌をとりながら互いにとって望ましい方向に導く。娘を尊重できているか自問自答する。
パパとママが話すのが寂しくてぐずる、嫉妬からパパを殴る、夫の機嫌が悪くなる、その仲介をする。お互いの気持ちをくんだ言葉がけをする。
理不尽な「〜がしたかった」で1時間泣きぐずられる。

そんなことを全て同時に、連続してやり続ける。

自分の時間も気持ちもなくなっていく。
それでもなんとか
朝は5時前に早起きをして、昼は昼寝をさせている間に、自分がやりたいと思っている筋トレや音楽の作業を進める。
夜はたまにある夜泣きに備えて21時前には眠る。
ゆっくり考えたり迷う時間もなかなか取れない。

夏休みはそれが1ヶ月以上続く。
そんな毎日をぐるぐる回していると、育児ノイローゼになってくる。
ただ夏休みは娘のお友達との交流もないため、風邪をひかない。
大事な予定を立てることもしやすいので息抜きをしながらなんとか乗り越える。

幼稚園は風邪をひく場所

しんどかった夏休み。
9月に入り、幼稚園始まる。

自分の時間がやっとできた!!!

と思ったら、そこからはほぼ休みなく
①娘が風邪をもらい熱を出す
②病院へ連れて行く
③幼稚園を休ませ一週間かけて治す
④自分も風邪をもらう
⑤歌が歌えなくなる
⑥病院へ行きながら看病と家事と遊び相手をする
というのを繰り返していた。

9月
娘発熱。
自分も喉風邪をもらいなぜか結膜炎になる
音楽の大事な撮影が潰れそうになるも気合いで乗り切る
連日夜泣きと看病

10月 
行事と祝日で3連休が続く。
行事のために預かり保育がない日も続く。
娘が発熱し喉風邪をもらう、というくだりを3回繰り返す
連日夜泣きと看病
幼稚園の休みと早退が続く

11月
夫が発熱インフルエンザにかかる
隔離で夫が不在なことに夜泣き 
夜泣き対応で連日ほぼ眠れない

娘と自分がインフルエンザ感染
自宅待機のため解熱後も幼稚園休む
自分の身体がしんどい中、先に治った娘の遊び相手をする

大事なMV撮影とライブを控えていたが、その準備の予定がいくつか飛ぶ(ここでメンタルが完全に壊れる)

病気が影を落とし大きくなっていく

健康に娘と離れる時間があって初めて
「これしたいかも」「これしようっと」
という気持ちになれる。

やりたいことができた、何か前に進んだ、
という感覚があることでやっと娘とまた楽しく過ごすことができる。

子供が病気になってしまうと、自分で診るしかない。
誰も助けてくれない。

泣きじゃくる娘の様子を注意深く見て、薬をあげたり着替えさせたり身体をさすったり話を聞いたりぬいぐるみとおしゃべりをさせたり励ましたりする。
どんなに感染対策を頑張っても毎回喉風邪をうつされる。
喉が痛くなってしまうと、歌が歌えなくなる。
毎日発声してメンテナンスしてるものがゼロになる。
こんなに頻繁に自分も体調を崩すなら、大きな予定(ライブハウス企画など)を立てることなんてできないと思う。
日を固定して人を巻き込んだりお金をかけることはできない。
心に暗い影が落ちる。風邪をひくたびにその影は大きくなっていく。

報われない頑張りと涙が止まらない

インフルエンザと判定された時、ほっとした自分がいた。
夏休みからずっと走り続けてきて、風邪をひいてもお迎えの電話がきてもやりたかったことを延期させられても、その都度落ち込みつつ、
「まだまだ。まだまだだ!」
と自分を奮い起こして頑張ってきた。

だけどもう私は、
頑張らなくていいんだ。
休んでいいんだ。
頑張りが足りないんじゃないんだ。と思ってほっとした。
(結局看病と家事と育児のために全然休めなかったが)

インフルエンザにかかり、大事な予定をお金を払ってキャンセルし、痛みに唸りながら娘の看病をして家事をする。
自分は食べないのに家族のご飯を用意する。
そんな2〜3日を過ごした後、身体が少し楽になってきても、涙が止まらない日々が続いた。

大好きなバンドの演奏をyoutubeでみながら
「私はこういう曲を、こういう仲間と、こんな風に、ただ演奏がしたかっただけなのに。」
なんで今こんなことになっているのか。
悲しくて悔しくて涙が止まらなかった。

母親になる前から積み上げてきたものが全て育児に吸い取られ奪われていく。
誰も、本当に誰も。助けてくれない。
ただ娘が成長するのを待つしかない。
身体が強くなるのを。
一人でもう少し時間が過ごせるのを。
事件や事故を自分で注意したり親に報告できるようになるのを。

でも、今、私は確かに生きているのに。
確かにこれがしたいと思っているのに。
なぜ諦めなくてはならないのか。

誰にもこの気持ちはわからないし、分かってくれなくてもいい。
そう思ってしまう。家族の言葉も心に届かなくなってくる。
SNSでちらりと入ってくる知り合いの活躍に、「まあ子供いないもんね」、
なんて思ってしまう。
そんな自分が情けなくて泣けてくる。SNSを見ないようにする。

何も大事じゃない、誰も大事じゃない、と空に言い捨てる。
でも本当は大事なので、その言葉に涙が出てくる。
何のために生きているんだろう。
ご飯も美味しくないから食べなくなる。

”全部どうでもいい”から回復する過程

生まれてからずっとつきっきりで娘を見てきたこと、コロナでビクビクしたこと、言葉の発達に悩んだことなどで何回も同様の深刻な状況になった。

そういう状態を繰り返す中で、
「このままだとまずいな」
「ここから回復するにはこうした方が良い」
というマニュアルもできてきて、落ちすぎる手前で食い止められるようになってきた。

今回はとにかく風邪が続いてしまい、外の力を借りることができなかったことが新しいパターンかつ、解決方法が成長を待つしかないということに絶望をしてしまい、久しぶりにかなり深刻なところまで落ちてしまったなと振り返る。
またmv撮影とライブというなかなかのビッグイベントが直近に控えており、それに間に合わせられるのかというプレッシャー、それを諦めなければならないかもしれないという虚しさがあった。

さて、この”全てがどうでもいい。どうにでもなってしまえ。”状態から回復していく私の定番の手順が以下の通りです。

①一人になる時間を作る(これが難しいがどうにか確保する)
②ぼーっとする(自然のあるところを歩いたりも良い)
③気が向いたら掃除したり料理したり洗濯したりして、ちょっとした達成感を積み重ねる
④自分の中の「これやりたいかも」という小さい声を見逃さず、一つずつ叶えていく
⑤「これやりたいかも」が多くなっていき、「できるかも」と思えるようになり、復活する

見通しが立たないままやれることをやる

自分は目標、夢に対して課題を作って、毎日達成して向上するのが好きだったので、育児をするようになってからそれができず、絶望しちゃうことが多い。 

結構な頑張り屋なので、育児も家事も音楽も、全力で目一杯やるのだがそれが報われないとその分だけ絶望してしまう。
もっと手を抜けたらいいのだが
それが自分なので そのままでいいと思う。

できないことはあるけれど、「これならできるしやりたい」、と思うことに絞って、頻度を上げて頑張る方向でいこうかな、と思っている。

それにしても育児してる人はみんなどうしてるんだろう。
あれやりたい、と思ってもできないことだらけだけれど。

でも大事なのは
自分自身が、最終的には自分を幸せにすることを諦めない、見離さない、という強い気持ちかなと思う。
自分の大切なものや人、幸せをどうでもいい、と思った途端、救いようもなく悲しい気持ちになる。

自分を、周りの人を、信じることを決めて、休むなり、目の前のことを頑張なり、そのときの最善を尽くす。
そうして頑張ったことがいつか実を結ぶと信じてコツコツやってくしかないなというのが今の気持ち。

なおたった今は娘も私もすっかり回復してすこぶる元気。
根本解決はできないけれど、毎日娘の体調をよく観察してグレーと思ったら前もって休ませたりしている。
年内にまた熱を出すんだろうな、と覚悟しながら母はまた強くさせられつつ、アルバムのリリースに向けて全力で動いている。

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