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最近、暇していると気になる「アート」について思うこと
おはようございます!
今日は、アート大好きだけれども
超がつくほどド素人の私が、
庶民が思う「アート」について
つらつらと、書きたいと思います。
話題のアマンレジデンスの前澤さんのルームツアーでも見ていただいてから、こちらの記事を読んでいただくと面白いかもしれません(彼こそアート大好きなので)
いつものワーママエントリとはちょっと趣向が違いますが、興味があればぜひどうぞ!
アートとは「THE・不愉快さ」
展覧会を見た後に「もやっと」するのがアートであり、
アーティストとは、時代の表現者であると同時に、問題を提起する存在。
私は何年も前の宗教画を見てすら、よくわからないけれど
「もやっと」しますし、
不思議な、不愉快な気持ちにならないアートはなかなかない。
全ての作品に理解しきれない深い意味があるからだと思います。
綺麗な風景が出会っても、綺麗な印象派の絵であっても、私はもやっとしていつも帰ります。
私の絵の先生は、
「みんながどれだけ長い間、絵の前で立ち止まってくれるかが大事」
と言っていますが、
よくわらからないけれど、人を惹きつける作品が、芸術性の高いアートなのだと思います。
最近はNYの美術館で、ほぼ意味不明な現代アートを見るのすら、楽しめるようになってきました。
国立西洋美術館ーモネ展
最近、ワーママ辞めて、超がつくほど暇だったので、
やることがなくなり、
ふと思いついて、国立西洋美術館に「モネ展」観に行ってきました。
オーディオ解説は石田ゆり子。
話し方のつたなさ、純粋さ、未完成さがまた、ビリビリ痺れました。
ドビュッシーの曲も美しい。
以前のアンリ・マティス展の時も思ったのですが、巨匠と呼ばれる方は、晩年までずっと描く。
むしろ晩年の方が良い作品を描けたりする。
モネの場合は、白内障を患って、途中目が見えなくなっていた中、
その渦中で荒々しい絵を描いていますが、
「目が見えなくなったら、画家として終わりだ」
と思っていたそう。
3度の白内障の手術の末、視力を取り戻します。
有名な「睡蓮」というのは、彼の中で同じテーマである「自然の中」でそのうつろいの美しさを描きたかった、
睡蓮自体ではなく、水に映る柳や、空など、自然の美を描きたかった、
ということが理解できました。
自然以外に、美しいものがモネにとっては存在しなかったのでしょう。
(そういえばロータス=睡蓮はヨガでもよくつかわれる概念。泥水=執着の中にきれいな花を咲かせる)
油絵の色使いが青・紫系がとてもきれい。
睡蓮という会のタイトルですが、睡蓮自体ではなく、睡蓮を描くことを通じてモネが見ていたものがとても興味深かったのです。
画家はやはり、天から何かを受けて伝える媒体なんだなーー(シャーマンや占い師みたいに)
と、思いました。
モネの絵は、1枚1枚、観る人を長く立ち止まらせる魅力があります。
大きめの絵がたくさん囲むように飾ってある工夫も、本当に睡蓮の池に浮かんでいるようで気持ちよかったです。
平日なのに、混んでいて、ルーブル美術館みたいに広くて比較的空いていてゆっくり見られる場所だったらいいのになー!と思いました。
また、普段はあまり風景画は描かないのですが、自分でも絵を描きたくなりました。
いろいろ気にしていたら、巨匠たちのようにやりたいことを追求もせず、
すぐ死んじゃいますね(はい、自戒を込めて。)
東京国立近代美術館ーフェミニズムと映像表現
私はこちらの美術館、初めて伺います。
MOMAT常設展が観たかったのですが、ついでにフェミニズムと映像表現も観ました。
常設展は、初期を除くと女性画家による作品が多いイメージ。
アーティスト=男性という思い込みが覆されました。
ジェンダーバランスは、キュレーターの意図しているところなのでしょうか?
この取り上げられている絵は芥川(間所)紗織の作品。
何点か、岡本太郎の作品と一緒に飾られていたのですが、当時でも、今でも前衛的なエネルギーを感じました。
「相手がいる」展も、日本が戦争時代にどう相手を描いたのか、興味深い内容。暗い雰囲気にも関わらず、淡々と飾ってある絵に長い時間立ち止まりました。
最後の「フェミニズムと映像表現」は、どれも面白かったのですが、出水真子の「主婦たちの1日」という映像が衝撃でした。
上品な主婦たちが、映し出される間取り図に、自分の1日をおしゃべりしながらコマを動かして
「○○時ごろは、お食事。」
「○○時になったら、窓を閉める」
「○○時になったら、うちはお風呂かな」
などとタスクについて、コマを動かしながらずーっと、淡々と、語る、
昔のテレビのような古めかしい映像。静止画のように間取り図とコマと音声だけが映し出されてます。
談笑しているので、途中笑い声が入り、とても明るい雰囲気であるにも関わらず、
タスクで埋め尽くされた、閉鎖的で繰り返しの狭い世界での主婦の生活を表現しています。(今なら、ワーママ版もできそう!)
そうそう、フェミニズムは、こういう個人的なことが政治的なことなんだよなー
ということを思い出しました。
上野千鶴子の家父長制と資本制の本も、思い出しました。
女性アーティストたちが表現したかった、女性に生まれたがゆえに感じる不条理さ、ジレンマを感じました。
今もその感覚、女性にはありますよね。例えば、ワーママのタスクリストが際限なく長い、とか。
誰もわかってくれず、女性が1人で耐えていること、それは実は政治的なのだと思います。
私が「痺れた」言葉たち。
どちらもすばらしい展示だったのですが、私が素晴らしいと思ったのは以下のモネの言葉。
・影によって存在を、断片によって全体を強調させる、日本の考えを反映した作法(註:作品解説に書いてある)
→おお!日本人が暗くて細かいのは、そういうことだったのか。
そしてモネは日本の表現にも影響を受けていたのか。
・変な色だと今の人には批判されても、未来の人には綺麗な色だと言われるものだ
→今ビジネスをやりたい人、将来を考えている人は、この原則をモネから学ぶべきなのかも。今いいと言われるものは将来もいいと言われるわけではない。逆も然り。
モネの美しい紫を見て、改めて思いました。
自分のやっていることを、未来の常識にすればいいんだ!
さらに、東京国立近代美術館の常設展には、草間彌生の初期の作品「集積の大地」が飾ってあり、
後ろにいた外国人旅行客が
「これ、あのかぼちゃとドットの草間彌生よ!」
と驚いていました。
そっか、草間彌生はかぼちゃとドットか。外国人に知られているんだな!
と、素朴に「へー!」と思いました。
美術館には、かぼちゃもドットもなく、麻袋をテーマにした絵しかなかったので、私も、その外国人旅行客も、えらく戸惑っていましたが。
この作品の解説に書いてあった草間彌生の言葉は、
・アーティストは、歴史への批判と、現在の代表者であることを読み間違えてはいけない。
・現代の代表者が自分。アーティストは時代の空気を読んで表現するもの。
私は、完全に「枠外」で生きていたイメージのある草間彌生が
「時代を背負って表現している」という強い「意図」を持っていたことに、衝撃を受けました。
巨匠たちは、そういう意気込みで絵と向き合っているんだなあ・・
改めて尊敬。
草間彌生のルーツは(過去の作品は焼き捨てたそうですが)日本画だったということも、知りませんでした。
モネも草間彌生も、アーティストを生涯ずっと続けている人については、私は尊敬の念しかないのですが、改めてすごい。
草間彌生はフェミニストだったんだな、ということも知りませんでした。
これからは、時代の表現者として女性アーティストも応援していきたいな!と思うきっかけとなる美術館巡りでした。
草間彌生美術館にも行ってみよう。
とにかく脳みそが刺激を受けたー!
もやっとした感覚だらけの展覧会でした。
やはり、アート好きです。
興味がある方は、ぜひ行ってみてください。
どちらも、2時間くらいあれば見られると思います。
絵を見終わった後のモヤモヤ感、私はとても好きなのですが、皆さんはいかがでしょうか?
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