平成生まれの呪い
「平成生まれなんだ~。じゃあ『ゆとり世代』だ。土曜日は学校休みだったでしょ」
シャラップである。
新卒で就職したての頃よく言われたこの「ゆとり世代」という言葉が、僕は大嫌いだ。
平成2年4月1日生まれという生年月日の「平成」だけに食いつくその虚しさ、愚かさ、浅はかさたるや。4月1日の方をいじれよ。「え~、エイプリルフールなんだ~! それって、学年どっちになるの?」って聞けよ。「うわ~、平成生まれや~」じゃないのよ。海の宝石箱じゃないのよ。
僕の記憶が正しければ、完全週休二日制になったのは2002年度(平成14年度)、僕が中学に入学した年からだったはずだ。したがって、小学校の頃は普通に土曜日は学校へ行く日だった(午前中だけとかだった気がする)。
中学生にもなると部活動があるので、土曜日も完全休みではない。したがって、土日休みという概念は大学生以降に体感している。
それなのに、ただ昭和64年1月7日までに生まれなかっただけで、新人類か、外来種か、異星人かのような扱いを受けるとは、これ如何に。
「ゆとり世代」呼ばわりにしても、好きでこのタイミングに生まれたわけじゃないのに、「いいよな、ゆとりは」的な、「お前らは甘やかされている」的な、「俺たちの若い頃はな」的な、昭和生まれマウントを取られるとは、コレイカニ!!!
きっと、おそらく、いや絶対、あと10年くらいすれば「うわ~、令和生まれや~」って言う奴出てくるから。令和生まれ潰しの彦摩呂が出てくるから。今は令和6年だから、現在令和生まれの最長老は満5歳。まだ年端も行かない、なんだったらまだ影も形もない令和生まれの彼ら彼女らが、ただ平成31年4月30日までに生まれなかったことを非難される未来を思うと、僕は今から胸が痛い。
よく考えてみてほしい。
人は生まれる時代を選べない。そしてその時代とは、ここでは元号のことだが、先人たちが勝手に決めて勝手に定めるものである。いわんや、教育制度をや。
だから、生年月日とか出生地とか親とか、選択の余地がないもの、変えることができないものをやんややんや言うのは、愚行だ、悪行だ、ナンセンスだ。
しかしながら、「平成生まれの市民権を守る会」の終身名誉ハイパーゼネラルマネージャーであるこの僕は、ある呪いにかかっている。
たとえばテレビを観ていて、スポーツ中継なんかがわかりやすいだろうか、選手のプロフィールが表示されることがある。氏名の後に()書きで年齢が表示されていることがある。
それを見て自分と同じかそれより若い年齢だったとき、
「あ~、この人も平成生まれか~」
と思ってしまうのである。
うわあああああ!!!!!
自分がされて嫌だったことをやってるううううう!!!!!
口に出しているわけではないし、そもそも本人の耳には届いていないので、誰かを不快にさせたり、SNSが炎上したり、「平成生まれの市民権を守る会」から除名されたりすることはない。ていうか、なんですか「平成生まれの市民権を守る会」って。
しかし、自分が誰かを「平成生まれ」という型にあてはめ、あまつさえ年上マウントを取ろうとしたこと自体が、ショックなのである。自分で自分をコブラツイストしているみたいな感覚である。
結局、「平成生まれ」だの「ゆとり世代」だのという心ない言葉が、性根のねじ曲がった僕という生物を生み出してしまったらしい。
ほんとなんなんだよ「ゆとり世代」って。ゆとりが甘やかしみたいな言い方をしおってからに。ゆとりは大事だろ。
じゃあ聞きますがね。「ゆとり世代」じゃない人は皆もれなく優秀なんですかって。ゆとりは悪で、それ以前のやり方が絶対正義なんですかって。
違うだろ。ちーがーうーだーろー!このハg
おっと、少々熱くなりすぎてしまったようだ。
なにが言いたいかと言うと、ちょっと自分でもよくわからなくなってしまったが、まぁあれだ、生まれた時代をとやかく言うのは良くないということだ。
その時代に生まれ、その時代を生きてきた人にしかわからない時の流れや物の見方があるだろう。逆も然りで、大正も昭和も同じだ。
生まれた時代が違う者を異物扱いするのではなく、「新しい風を持ってきた者」くらいに考えてほしい。生まれた時代は、ただの整理券だ。
ただ、昨今は「平成レトロ」なる言葉も出てきている。僕の青春時代の親友の一人であるゲームボーイアドバンスについて「昔のゲームは……」と語る小学生くらいの子を、テレビで観たことがある。
昔のゲーム……GBAが……むかし……だと……
その子に会ったらぜひ言わせてほしい。
「シャラップ」と。
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