書けないときは書かない【#私の書くルール】
推しnoteクリエイターの一人であるヤスさんが、またしても面白そうな企画を。
うーん、ちょいと難しいお題である。というのも、普段から特に意識していない部分だからだろうか。
文章におけるルール。たとえば「改行を適度に入れる」とか「投稿する前にスマホでチェックする」とかはやるけれど、それはマイルールというよりWebライティングの基本だからなぁ。趣旨に反してはいなくとも、アルロンの独自性は薄い。
そんなんだから、このお題で書く内容を考えてたら5日くらいかかってしまった。そんでもって、5日くらいかかったことが、皮肉にも答えとなった。
書けないときは書かない。
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執筆スタイルには、大きく2つあると思っている。
一つは、書いているうちにどんどん書けるようになるスタイル。一度書き始めたら、すらすらと筆が進んでいく。小説なんかで「キャラクターが勝手に動く」というのは、まさにこのスタイルだろう。エッセイでも、書いているうちにいろいろな記憶がよみがえり、どんどん内容が充実していくのではないだろうか。
もう一つは、(僕はこちら側だと自覚しているのだが、)頭の中である程度完成してから書き始めるスタイル。話の大筋がだいたい出来上がってから初めて、文字に起こすのである。内容が煮詰まっていれば後は書くだけなのだが、裏を返せば、内容が漠然としている状態では書き始めることが難しい。
ということは、僕の場合、
書けない≒書く内容が固まっていない
のである。
「ウンコが出ない≒ウンコが出るほど食べていない」のとほぼ同義なのである。
じゃあどうするか。ウンコが出ないなら、諦める。だって出ないんだもん。
ただし、それが求められている場合(仕事など)は、がんばって書きますとも。ウンコをする仕事はないけれど、大事な会議前や高速道路のPAなど「今、しておいた方がいい」タイミングがあるように。出なくても、がんばってふんばって少しは出す努力をする。
また、「諦める」という表現が誤解を招きそうなので弁明しておくと、書くこと自体を諦めるのではなく、今のタイミングで書くのを諦めるのである。書けないときは、書けるようになるための努力をする。
僕の場合、書けないときは歩くことが多い。子どもの頃から、なにか考え事(もっぱらゲームやアニメや特撮ドラマの妄想制作だったが)をするとき、部屋の中や庭をウロウロ歩き回っていた。今でも、部屋を行ったり来たりする、散歩をするなど、けっこう歩いている。歩くことで、脳内が活性化され、考えがまとまる気がするのだ。有酸素運動って脳にもよさそうだし。知らんけど。
ほかにも、知識が足りなければ勉強するし、気づいたことや思い出したことは忘れないようにメモする。思考を言語化するために、できることは割とやっていると思う。
そうすることで書く内容が固まっていき、ようやく「書くこと」のスタート地点に立つ。スタート地点に立つまでは、無理に書かない。それが僕の書くルールだ。
なお、書く気になるかどうかについては、ルール以前の話。書くのは楽しいけれど、めんどくさいからね。でも商業作家を目指すからには「書きたくないから書かない」というのは通用しないだろうから、その辺が当面の課題である。