誕生日プレゼントがもたらすキッカケ
自分で言うのもなんだが、記念日は大切にする方だ。
誕生日はもちろんのこと、初めて出会った日や特別なことをした日など、割と覚えている自負がある。
こと誕生日においては、学生時代は特に顕著だった。高校で同じ部活だった同級生の誕生日はすべて頭の中にインプットされていたし、大学でも親しい友人のそれはほとんど把握していた。「林家ペーみたい」と言われたことも少なくない。
まぁ、今となっては、記念日を共有するパートナーたる相手はいないため、12月25日は会ったこともない古のおっさんの誕生日でしかない。全然悲しくなんてない。
誕生日といえば、先月末に甥・タロウが7歳の誕生日を迎えた。
実のところ、特に何かしてやるつもりはなかったのが本音である(冷たい叔父と呼ばれても気にしない)。が、日本理化学工業(株)に関する記事で身に余る賞を頂いたこともあり、絵を描くのが好きな彼にキットパス(下記リンク参照)を贈ることにした。
個人的に、プレゼントは”贈る側の自己満足”だと思っているので、タロウがまったく興味を示さなかったとしても別に気にしない。
ところが、キットパスを贈った数日後、母親である姉から驚くべき実態を聞かされた。
「今まで遊んでいたSwitchに目もくれず、もらった日からずっとキットパスでお絵かきしてるよ!」
”贈る側の自己満足”とは言ったものの、喜んで使ってくれているのであれば、やっぱり嬉しい。
任天堂のファンである僕としては些か複雑な気がしないでもないが、最新のゲームをも凌駕する贈り物ができて感無量である。
僕も、絵を描くのが好きだった。
最近はほとんど描かないので過去形にしてあるが、今も昔もお絵かきは好きな方だと思う。
小学生の頃は授業のノートよりも自由帳の方が圧倒的に消費が激しかったし、大学生になっても講義中によく落書きをしていた。勉強しろ。
絵には正解がない。綺麗に描く技術などはあっても、感性そのものには良いも悪いもないだろう。
そう考えると、幼少期に絵を描くことは、実はとても大切なことなのではないだろうか。
これは良い、それはダメ、と正しさを求められる場面の多い幼少期において、自由な発想と感性で絵を描くことは、貴重な自己表現の機会のように思える。
また、タロウに関しては、自尊心の向上にも役立っている。
保育園児の頃、お遊戯会か何かのパンフレットにタロウの絵が採用された。実際に見せてもらったが、とても未就学児の絵とは思えない。「これタロウが描いたんだよ」と姉に言われなければ、絵本作家に依頼して描いてもらったと思うほど見事な出来栄えだった。
親や祖父母、叔父に褒められたタロウは一丁前にはにかんではいたが、さぞかし誇らしかっただろう。
幼少期に何をするかで、その後の人生は大きく変わってくる。場合によっては、その道のプロとなって大活躍するかもしれない。そしてそのためには、周りの大人の手助けは必要不可欠である。
一方で、その子の得意不得意を見極めるのは非常に困難だし、無理に押し付けて主体性を失ってしまっては意味がない。
そうなると、叔父である僕がタロウに対する働きかけとして最も適切なのは、キッカケを与えることだろうか。
キットパスを贈ったことで、絵を描く、自己表現をする、という彼のトリガーを引いたのかなと思う。
まぁ、元々お絵かきが好きな子なので、「拍車をかけた」と言う方がしっくりくるかも。
いずれにしても、先の見えない未来が待っている中では、心の拠り所が多いに越したことはない。
タロウにとってのその一つがお絵かきであったならば、キットパスは間違いなく今年一番の買い物である。
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