過剰な卑下は、究極の失礼である。
ここ数か月は毎日のように読書をしている。
読書は良い。エッセイでも小説でもビジネス書でも、活字を摂取することには得もいわれぬ満足感がある。思考回路が洗練されていくような、新たな思考の道が開けていくような、とにかく気分が良くなるのだ。
しかし、書籍以外にも勉強になるものはたくさんある。漫画もその一つだろう。
かねてより愛読している漫画の一つが、吉谷光平さんの『今どきの若いモンは』だ。
本作を端的に説明すると、「個性的なキャラクターたちの支援や妨害を通して、主人公・麦田歩がビジネスパーソンとしてめきめきと力をつけていくビジネス成長譚」といったところか。
タイトルからして「パワハラ上司がやんややんや口うるさいのかなぁ」と思ったが、第1話を読んでみるとどうやら違った。強面の上司は登場するが、良い意味で裏切られた。
まだ最新話には至っていないのだが、最近読んだ話がとても印象的だったので、この場を借りて紹介したいと思う。
第195話のラスト(回想シーン)で、上司の一人である恵比寿がめずらしく麦田を褒め、麦田がデレデレしつつも「自分なんか…」と謙遜したところ、急に恵比寿がめちゃくちゃ不機嫌な顔をした。
第196話に入ると、恵比寿が「過剰な卑下は全ての人間に対し失礼極まりない 大変劣悪かつ不愉快な行為です」と麦田に説く。
その後、恵比寿は麦田に「『仕事』とは何でしょうか?」と尋ねる。
麦田は、「お金がもらえて人の役に立って…」「大変で…」と答える。
すると恵比寿は、「どれも正解ですが 一つ 私の考えを加えておいて下さい」と前置きしてから、このように話した。
絵のプロが、素人には絶対描けない美しい絵を描くように。
料理のプロが、素人ができない技術を駆使してとんでもなくおいしい料理を作れるように。
住宅のプロが、素人の知らない家や町のことに詳しく、運転技術が高いように。
麦田は以前、住宅の営業をしていた際に、家のことはもちろん、町の情報に詳しくなったり運転技術を磨いたりした。第195話で恵比寿が褒めたのはこのことだったのだ。
「それらは全て積み重ねた小さな日々の努力が可能にしているのです」と恵比寿は続ける。
運転技術だろうが、資料作成だろうが、整理整頓だろうが、どんな小さな仕事でも同じこと。
そしてそれは、麦田もさまざまな経験を通してすでに理解していた。
最後に、次の恵比寿の台詞で回想シーンは終わる。
必要以上に自分自身を卑下することは、誰のためにもならない。それどころか、マイナスにしかならない。
驕ることがNGというのは、多くの人がわかるだろう。しかし、過剰な卑下もまたNGというのは、どれだけの人が認識しているだろうか。
そして、自分に誇りを持てないということは、いつか他人への敬意も失くしていく。
過剰な卑下は、謙遜どころか傲慢につながる恐れがあるのだ。
あらゆる仕事の中に大小はあれど、優劣や貴賤はない。その仕事がたとえ小さなものだったとしても誇るべきなのだ。その積み重ねがプロをプロたらしめているのだ。
恵比寿の言葉を聞いて、僕はそう思った。
日本では、謙遜が美徳とされているように感じる。
しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。過不足なく自分の仕事を誇ることもまた大切な考え方なのだろう。
今の仕事を誇れない人は、きっと別の仕事をしてもうまくいかない。
逆に、自分の仕事に誇りを持っている人は、イソップ寓話の『3人のレンガ職人』よろしく人生が楽しく豊かになるだろう。
厳密には仕事ではないが、僕は物書きとしての活動を誇りに思う。
だから、「僕なんて大したことないっすよ」なんて思わず、今日も楽しくこのnoteを書いている。
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