気合いや根性は最後の手段
「気合いで乗り切る」
「根性でなんとかする」
いわゆる根性論というものは、一昔前には美徳とされていた。
僕は平成生まれではあるが、バブル真っ盛りの頃に爆誕したので、そのあおりをもろに受けたと思う。
学生時代も体育会系の組織に所属することが多かったので、年功序列の理不尽を被ることも少なくなかった。
ただし、根性論を是としていたわけでは、決してない。
貧弱かつ軟弱だったので、むしろその逆だ。耐え難きを耐えられず、忍び難きを忍ばなかった。この頃からすでに小物臭がプンプンする。
そんなこんなで波にもまれているうちに、(微々たる量ではあるものの、)それなりに気合いや根性の類が身についたとは思うが。
◇
たとえば、仕事で膨大な量の封筒に宛名を書くことになったとき、
「気合いと根性でなんとかするんだよ! 」
みたいなことを言われたとする。
いやいやもっと効率的な方法あるでしょ。
印刷機を使えばすぐに終わるのに、なぜこんな手間のかかるやり方をしなければいけないのか。
と思っても、上司や先輩にはなかなか提言できない。
加えて、別の手段を考え、試し、判断する時間がもったいないというのもあるだろう。
しかし、最善手の模索を放棄し根性論で片付けることは、ただの思考停止であり、暴挙である。
ただ、そのときの状況が「印刷機が故障し、修理を待っていてはとても間に合わない」というのなら話は別。
こういうときこそ「気合いと根性」でなんとか乗り切るしかない。それしか方法がないのだから。
そう考えると、根性論は全否定すべきものではないように思える。最後の手段として、とっておくこともアリなのではないだろうか。
◇
大学生の頃、高校のバドミントン部のOB・OG会に参加したことがある。
行ける人だけ行くゆるーい忘年会ではあったものの、3学年以上の先輩はほとんど知らないので、当然緊張はしていた。
予約の店にやってくると、知っている顔と知らない顔とが総勢20人くらいいた。
空いている席に座ったら、両サイドが初対面の女性の先輩だ。うう、やっぱり緊張する。
開始時間となったので乾杯をし、宴が始まった。
テーブルの上には、寄せ鍋。蓋を開けると湯気がぼうっと出て、中にはたくさんの野菜や肉、魚、きのこなどが所狭しと詰め込まれている。
こんな風に書いておいてなんだが、僕には苦手な食材が多い。
今まさに目の前にある鍋の中にも、NG案件が豊富に取り揃えられている。
でも心配はない。僕は最年少だから、先輩方の分を取り分けてから、ゆっくり自分の食べられるものを吟味すれば良い、それだけのことだ。
さぁ、僕になんなりとお申し付けください。
ところが、右隣の名も知らない女性先輩が、「はい、どうぞ」と僕に取り分けてくれたのだ。
そしてその器の中心に、ああ、見るのも恐ろしい、アイツがいるではないか。
椎茸だ。僕は椎茸が大の苦手なのだ。
しかも器の中のそれは、大ぶりで、肉厚で、なんか手裏剣の形みたいな切れ込みがあって、見る人が見れば大層美味しそうに感じるのだろう。
しかし、僕にとっては恐怖でしかない。
僕に言わせれば、キノコはすべて毒キノコなのだ。一かじりすれば、たちまち汗と涙があふれ出し、不快感と絶望感に苛まれ、五臓六腑が悲鳴を上げて暴れまわり、フリーザにやられるクリリンのように体が爆散しかねないのだ。
そんな危険なものを口にするなんて、愚の骨頂ではないか。
ただ、隣の先輩は僕のやんごとなき事情など露も知らない。それどころか、良かれと思って取り分けてくれたのだ。心なしか、顔がキラキラ輝いているように見える。それはそれは無邪気な笑顔だ。そんな彼女の好意を無下にして「あ、椎茸NGなんで」と言い捨てられることができようか。いや、できない。
食べなければ。僕はこのにっくき椎茸を食べなければならぬ。
手裏剣カットのそれを口に入れる。
うおあああ…!独特の風味とブニブニした食感が絶妙にキモい(個人の感想です)。
うう、やばいな。爆散こそしなかったものの、体が拒絶反応を起こしている。今にも吐いてしまいそうだ。
しかし、ここでアイツを吐き出してしまえば、この後の忘年会が台無しだ。
それだけにとどまらず、僕は「椎茸リバース野郎」として名を残し、バドミントン部の歴史に泥を塗ることになるのだろう。
ダメだ。それだけは避けなくては。
僕はジョッキを手に取り、椎茸の存在をかき消すかのようにビールを流し込んだ。
そして、ほとんど咀嚼されていない、原形を保ったままのアイツを強引に飲み込んだ。
喉や食道がおったまげているのがわかる。「おいおい、こんなでっけぇ客は初めてだぜ」と言わんばかりだ。
一口目で満身創痍になった。もう帰りたい。
幸い、その後は特になにも起こらず、トータルで楽しい思い出になったので良しとしよう。
◇
あの事件(?)以来、鍋物の宴席では「苦手なものが多いので自分でやります」と言うようにしている。
それに、「苦手なものありますか? 」と事前に確認してくれる有能な後輩が多かったので、以後アイツと対峙する機会はほとんどなかった。
たかが椎茸くらいで、と思う人も多いだろう。
ただ、絶体絶命の大ピンチを乗り越えられたのは事実だ。
気合いがなければ口をつけられなかったし、根性がなければ飲み込めなかったと思う。
まさに火事場の馬鹿力だ。
この経験から、気合いや根性は最後の手段として用意しておくに越したことはないと確信した。
そして、それを発動させないように人事を尽くすこともまた同じくらい重要だと痛感した。
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