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マルコムX。信念を貫いた革命家の最期【2月21日】



2月21日――この日は、アメリカの公民権運動の象徴的な存在であったマルコムXが暗殺された日(1965年)。
彼は黒人の権利を強く訴え、従来の非暴力運動とは一線を画す過激なスタンスで知られた。

しかし、その人生は単なる「過激な運動家」のものではなかった。
彼は信念と経験を通じて成長し、最期には「人種の壁を超えた平等」を訴えるようになる。
彼の生涯と、遺したメッセージを振り返りながら、現代に生きる私たちへの教訓を考えてみたい。

マルコムXとは?


マルコムXは1925年5月19日、アメリカ・ネブラスカ州に生まれた。
幼い頃から差別と貧困に苦しみ、父親は人種差別的な暴力によって殺害される。
母親は精神を病み、彼は施設で育つこととなる。

やがて、犯罪に手を染め、1946年に窃盗の罪で逮捕され、刑務所に収監される。
しかし、ここで彼の人生は大きく変わる。

獄中でイスラム教の一派「ネーション・オブ・イスラム(NOI)」の思想に触れ、改宗。
教育に目覚め、知識を深めることで、自らのアイデンティティを再構築していった。

出所後、彼はNOIの指導者となり、「マルコムX」と名乗るようになる。
「X」は、奴隷制度によって奪われた本来の姓を捨てるという意味を持っていた。

公民権運動と過激な戦い


1950年代から60年代にかけて、アメリカでは公民権運動が活発化。
マルコムXは、黒人差別撤廃を訴えながらも、「暴力を受けたら暴力で対抗せよ」と強く主張し、
マーティン・ルーサー・キングJr.の「非暴力運動」とは対照的な立場を取った。

✅ 「黒人による黒人のための社会を築くべき」
✅ 「白人社会に頼らず、独立した黒人社会を作れ」
✅ 「我々は自由を求めている。平和的手段が無理なら、暴力も辞さない」

彼のスピーチは強烈で、多くの黒人たちに希望を与えたが、一方で「過激すぎる」と批判されることも多かった。

しかし、マルコムXの思想は、その後大きく変化していく。

変化のきっかけ メッカ巡礼と「真の平等」


1964年、マルコムXはNOIと決別し、イスラム教の本流であるスンニ派へと改宗。
彼はメッカ巡礼(ハッジ)を経験し、その旅の中で「人種を超えた平等」の可能性を目の当たりにする。

そこで彼は、白人の信者たちとも共に祈るという体験をし、「白人すべてが敵ではない」という考えに至る。

✅ 「真のイスラム教は、人種の壁を作らない」
✅ 「黒人と白人の対立ではなく、正義のための戦いをするべきだ」
✅ 「アメリカの問題は、黒人VS白人ではなく、人間VS抑圧だ」

この思想の転換により、彼はより広い層に受け入れられるようになったが、
同時に「裏切り者」として多くの敵を作ることにもなった。

1965年2月21日 最期の瞬間


1965年2月21日、マルコムXはニューヨークの講演会場で演説をしていた。
彼が「アッサラーム・アライクム(平和があなた方にありますように)」と挨拶をした直後、銃声が響く。

彼は、かつての同志であったネーション・オブ・イスラムのメンバーによって暗殺された。
享年39歳――あまりにも早すぎる死だった。

マルコムXが遺したもの


✅ 「アイデンティティの確立」
•黒人としての誇りを持ち、自分自身を肯定することの大切さを説いた。

✅ 「変化を恐れない勇気」
•彼は自身の思想を修正し、「敵対」ではなく「共存」の道を模索した。

✅ 「信念を貫く生き方」
•命をかけてでも正義を貫いたその姿勢は、今なお多くの人々に影響を与えている。

彼の死後、その言葉はより大きな力を持つようになり、現在のアメリカにおける黒人の権利運動にも受け継がれている。

未来へのメッセージ


マルコムXの人生は、「人は変わることができる」という強いメッセージを持っている。
彼は怒りに満ちた革命家として始まり、やがて「人種の壁を越えた平等」を訴えるようになった。

「我々は皆、人間である」

この言葉が示すのは、どんな社会の中でも、真の平等と自由を求め続けることの大切さだ。

2月21日――この日に、彼が貫いた信念と、その変化の意味を考えてみたい。

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