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タイムリープ作品見てたら「今」が分からなくなった

自分はとにかく色んなコンテンツを見るタイプじゃないけど
それでもタイムリープ?パラレルワールド?みたいな設定を混ぜてくる映画やアニメ、ドラマを見ることがある。

小さい時には感じないモヤモヤを最近感じるようになって来たので
言葉にしてまとめてみたいと思う。

物語でありがちなのが、タイムスリップ?すると予見されていた未来が変わる。
のび太はジャイ子と結婚したり、マーティの存在が消えそうになったり。
その度に僕は「そんな未来になっちゃだめ!!」と思っていたわけだが、
年を取ってみると あれ?のび太とジャイ子の子供はどうなんの? とか思うようになってきた

作品によって、時間や世界線の考え方や表現の仕方がそれぞれだけど
凡そは主人公が存在する時間軸や世界線を正しい方向に持っていく流れが多い。
現実な世界と現実ではない世界が明確に分けられる。
僕らは主人公に感情移入するから、そこに対してドラマがあるから正しさをある程度感じる事ができけど、見捨てられた世界線の登場人物はたまったもんじゃないだろうなーとか思っている時に以下ツイートを見た

投稿の主旨は違うと思うけど、僕は以下のように感じた。
「あれ、今日というのは無数の可能性の中でなりたっており、未来も無数なのか?」

パラレルワールド?が存在すると過程して、それら全員にも可能性(ツイートで言う選べる未来)が存在する。

となると、他の世界線からみた自分は幻で、未来から見た現在は無数の可能性から成り立っている。

それらの表しきれない物事の掛け合わせをすると今ってあまりにも偶然的で幻のようにも感じる。

だけど僕は今を生きている。
なんだかよく分からなくなってきた。

ここで立ち返りたいのが、物語の話
我々はメインの時間軸を理解して共感し、そこを現実と捉える

物語では”もしも”の世界を観測することができる。
もしもの世界は非現実である。

この違いは愛着があるか、ないか。だと考える。
のび太はしずかちゃんと結婚するのが馴染み深いし、愛着があるからそれ以外の未来を受け入れづらい感情になる。

よって現実とはその時間に対して愛着もしくは執着を持っているかで決まる。
いわば主観のようにも見えてきた。

時間について詳しい知識が皆無なのでズレズレかもしれないけど
我々は時間を超越して他の人生を観測することができない。
記憶だって時間に紐づいている。

ということは時間に対して愛着が持てるとより幻っぽいのが現実っぽくなるかもしれない。

これからは時間(一瞬)に対してできるだけ愛着や執着がもてるように過ごして行きたいなと思いました。

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