見出し画像

かなしいクンの四コマまんが(ネガティブな感情について)

今朝、ふと思いついて「かなしいクン」の四コマまんがを描いてみました🥺

「えーんえん😭」と泣くかなしいクンに、
「ダメ!」と笑った顔の張り紙がされてしまいました。
笑顔の張り紙をされた「かなしいクン」は、
その裏でずっと、悲しみを溜めています。


InstagramやX、Threads、Facebook…ありとあらゆるSNSにアップしています(笑)

ここから↓はInstagramのキャプションに書いたものの引用です。(少し修正を加えています)



「痛い」とか「悲しい」「寂しい」「怖い」「腹が立つ」
ほかにも「嫌だ」「不安」etc…

できれば感じたくない感情・感覚はいっぱいあるけれど、その子たちを否定すると、その子たちがその子たちでいられないまま、悲しみはもっと膨らむし、未消化のまま心に溜まってもっと苦しくなっちゃうよなぁ、などと思ったりしました🥺⁡
⁡⁡
⁡⁡
⁡幼い子がめちゃくちゃ笑ったと思ったら急に激しく泣き出したりして、心配になったり慌てたりしてもちょっと時間が経つと全然平気になってたりする。

⁡⁡さっきまで仲良く遊んでた子たちが、急に激しく喧嘩しだして、でもまたいつの間にか仲直りして…とか。
⁡⁡
⁡子どもたちって、感情との付き合い方が素直で真っさらでその場ですぐ表現できたりするから、後腐れなく日々を楽しめるのかな、なんて思ったりしたんです。(わたしには子どもいないけど)(余計なことは言わなくていいの🙃)
⁡⁡

抑鬱が酷かった頃と比べたら、最近だいぶメンタルが安定してきたわたしだけれど、メンタルが安定していても、悲しいことがあれば悲しむのは当然だし、

メンタルの安定=ずっとポジティブな感情・感覚しか抱かない わけではないよな、と思いました。当たり前に。🥺

ずーーーっと悲しい状態がそこはかとなく続くのは、もしかしたらその子(その感情が)
「ぼくを認めて!」「もう許して!」「僕でいさせて!😭」と思っているのかも知れない。

悲しみを表現することは、決して悪いことじゃない。🥺

いつか誰かの為に悲しみを我慢したことが癖となって残り続けているのかも知れない。
悲しむと「変な顔するな」とか「場の空気を壊すな」とか「泣いて済まそうとするな」とか言われた経験があったり、自分でもそう思ってしまって、悲しめず、泣けなかったのかも知れない。


だけど、にんげん。

にんげんは、悲しい時に悲しんで、
泣きたい時に泣いていい、いきものなんだよ🥺

悲しみには「悲しみ」という名前がついてる。

それをそのまま認めてあげてもいいんだ。

その子を否定しないで、許してあげていいんだよ。別の顔をくっつけなくていいんだよ、と、
今のわたしは思います。🥺

なんかやっとそこにたどり着けたのかな、という感じ。

当たり前に自分の感情を許すことも認めることもできなかったし、表現をするなんてもっともっとダメだと思っていたけれど、今後は素直に表現していきたい。

いきなりそんな上手くはできないかもだけど、せめて一人の時や、安心できる場所、人間関係の中では、素直に気持ちを表現していきたい。

または、こんな風にわたしなりに整理して表現していきたい。

そう思ったのでした🥺




ここから追記↓

どんな感情も、感覚も、嫌なものでも、
ぜんぶまるっ!!
感じちゃいけない、思っちゃいけないことなんて、何ひとつない。
それを表現するかどうか、どんな風に表現するかは、その人次第🥺

だから、なきものにしなくていいんだよ。
すり替えなくてもいいんだよ。
平気なフリしなくていいんだよ。
そう思います。



いいなと思ったら応援しよう!