高校生の時、石野卓球さんから手紙をもらった。
東京の若者のすべてがここに集まっています。
私は高校生の時、電気グルーヴから多大なる影響を受けていた。ファンクラブに入り、関東近県のライブを観に行き、親に隠れて『モグラネグラ』を観ていた。
みんなが大学受験の勉強に励む中、毎週火曜深夜は『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を聞くために夜更かしをしていた。
親には「勉強している」と嘘をつき、自室にこもり、教科書をなでるだけで勉強などせず、ずっと『スター対抗バカ合戦』や、『平成新造語』のネタを考えていた。
ビニールおっぱいさんのようなハガキ職人に憧れ、たまに自分のネタが番組内で読まれると、(あの頃の気分であえて呼び捨てで呼ばせて頂くが)卓球や瀧の声でラジオから流れる「いけもりりぜね」という名前に、心底、本名で良かったと実感した。
そんな私が、電気グルーヴのライブレポを書いたファンジンを作ろうと思いたった。確か、高1か高2年の時だ。当時の電気は、『PATi-PATi』や『PLUM』というようなビジュアルメインの音楽雑誌の表紙を飾るほど、(当時の卓球氏はそれを嫌がっていたと発言されていたと記憶しているが)アイドル的な人気もあった。
そんな多忙だったはずの時期に、卓球氏は手紙に返事をくれた。
ある日、石野卓球と書かれた封筒が届いた。
私は事務所宛に、ファンレターを送った。その中には、手紙のほかに切手を貼った返信用封筒と、アンケート用紙を同封した。
卓球氏もきっと多忙であっただろう時期に、何者かもわからない女子高生が「ミニコミを作りたいのでアンケートに答えてほしい」と書いた手紙に、ちゃんと返信をしてくれた。白い封筒の裏側の差出人には「石野卓球」と書かれていた。
今にして思えば、どこでどう配るのかも、そもそも制作されるのかも怪しいアンケートに、なぜ答えてくれたのだろうか。
あの時、卓球氏からの手紙を手にした時の気持ちを私は一生忘れない。
それが、今の私の活動に繋がっている。
疾走するバカ野郎たちの明日はどっちだ!
私は高校生の時に、不定期で『BINGO!』というZINEを発行し、友人に配っていた。ワープロを手打ちして作ったデザイン、そして製本まですべて手作業で作っていた。この情熱、我ながらどうかしている。そりゃあ、大学受験も失敗するよ……。
今回、この『BINGO!』も全号、文学フリマ東京38に持って行きます。自分のルーツとなるZINEをすべて発表しようと思っているので、ぜひ手に取ってみてください。
文学フリマ東京38の出店について書いたエントリーはこちらです。第一展示場ABCDホール、U-39ブースにいます。みんな遊びに来てね!