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『密林の語り部』マリオ・バルガス=リョサ 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

都会を捨て、アマゾンの密林の中で未開部族の<語り部>として転生する一人のユダヤ人青年の魂の移住ーー。インディオの生活や信条、文明が侵すことのできない未開の人々の心の内奥を描きながら、「物語る」という行為の最も始原的なかたちである語り部の姿を通して、現代における「物語」の意味を問う傑作。
紹介文より

ラテンアメリカ文学を牽引し続けるペルー出身のマリオ・バルガス=リョサ。民話と現実を行き来する文体で魂の在り方を訴える大作『密林の語り部』です。

バルガス=リョサは1936年、ペルーの南端アレキーパにて生まれましたが、両親の離婚により幼少期はボリビアの祖父母の元で暮らします。しかし10歳になるとペルーに舞い戻り、学生生活を過ごします。ジャーナリストとして社会に出て、取材の傍ら執筆活動を行い文壇の道を目指します。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』を皮切りに、1960年代にかけてラテンアメリカ文学ブームが巻き起こります。フアン・ルルフォ、ガブリエル・ガルシア=マルケス、エルネスト・サバト等と肩を並べることになる『都会と犬ども』『緑の家』を出版し、作家としての地位を確固たるものにしました。

ペルーの密林(セルバ)には未開の部族が幾つも存在し、今なお近代文明から離れた生活をして暮らしています。彼らは神聖な部族民話を信仰する精神があり、それが絶対であり正しいこととして信じています。その部族民話は、断片的なものから天地創造に至るまで幅広く存在し、何年ものあいだ語り継がれてきたものです。天に住む聖なる存在と底に潜む邪な存在は、ダンテの『新曲』にも通ずるものであり、部族民話の性質を聖的なものに昇華しています。
部族は全員が一塊に定住しているわけではなく、多くの牽引者に基づいた幾つかのグループで移住しながら暮らしています。この移住も民話の教えを元に行います。こうして近隣でありながら散り々々になっている部族たちを、縫うように訪れ、部族民話を夜通し聞かせてまわる人の存在があります。これが「語り部」と言われる存在で、部族は訪問を歓迎し寝る間を惜しんで語りを聞きます。この語り部の行動が離れて暮らしていても、同じ性質の魂を持った、同じ部族であることを繋ぎとめています。

本書の主人公はバルガス=リョサ自身ですが、もう一人の主人公が存在します。サウル・スラータスというユダヤ人の友人で、民俗学を専攻しています。この彼が部族民話に触れ、近代文明から遠ざかっている生活や文化に共鳴し、「本当に彼らのためになる行為」は何かということを突き詰めていきます。そして感銘を受けた彼は、突如として姿を消し、民俗学者としての約束された成功の道を放棄してしまいます。

西欧文化、宗教、文明の調和を図るという名目で、密林に国が研究所を建て、人々が立ち入ります。文明化=幸福という信念を持って。確かに便利になり、困らなくなり、楽になると思われます。しかし、その恩恵は何に対する幸福なのか、部族にとって幸せなのか。そこから、部族の衰退ではないのか、部族文化の退廃ではないのか、という疑念が湧き上がります。19世紀から20世紀に起こったアマゾンにおけるゴムブームは、全世界的なゴムの需要(工場のベルトやタイヤのゴム)が原因でした。善悪お構いなしに分け入った伐採業者は原住民である部族たちを、陵辱し、奴隷化し、騙し、殺戮しました。ただそこに住み、独自の文化で不幸を感じずに過ごしていただけで。部族にとって不必要なタイヤのゴムのせいで。
文明の調和とは、干渉であり、吸収であり、強制である、という側面もあります。この点に疑問を抱いたスラータスは「部族の中の魂」に惹かれていきます。彼には、顔の右側に大きな痣がありました。対人関係に支障をきたすほどの。そして彼はユダヤ人でした。他社から排斥されてきた彼の魂は、「部族の中の魂」の強さと清らかさに影響を受けていきます。

自分の運命をないがしろにして、だれがより清らかで、より幸福になれるだろう?だれにもそんなことはできないことだ。私たちはあるべきものになるのがよい。ほかの決まりを果たそうとして、自分の義務を放棄すれば、魂を失う。

1987年に著された本作。物語の最終盤で文明人の密林に対する侵略行為を、劇中のバルガス=リョサの言葉で語られます。コカイン取引やマフィアの抗争、その捜査としての警察による畑の焼き打ち、そして革命軍センデーロ・ルミノーソ(極左の過激派、ペルー共産党)によるテロリズムと報復、両方による破壊が行われたことなど。この嘆きは作者の、バルガス=リョサ自身の声と受け取ることができます。

小説は訓戒めいたものではないのだろうが、本書は、豊かさを求め、発展を追いつづける地球人に警鐘を鳴らしている。人間が存続するためにはどうするべきか、人間の生き方の見直しを求めている点で、福音書を意識した作品であろう。

訳者である西村英一郎さんの解説です。人間の持つ欲望は、感情を左右しますが、満たそうが満たされまいが、それは本能的行動であって、「魂」を汚す行為になりかねないのだと思います。「魂」を守るために必要な「理性」は、どのように清らかに保つか、そのようなことを考え、生きていくことが重要なのだと気づくことができます。

「魂の選択」を自身で行う事が、人間の本質的な幸福に繋がるのではないでしょうか。ぜひ読んで、考えてみてください。
では。


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