『暗い絵』野間宏 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
野間宏(1915-1991)は、第二次世界大戦争直後の文学における草分けとして、そして第一次戦後派の代表作家として、世に知られています。武田泰淳、埴谷雄高、椎名麟三、梅崎春生などと肩を並べ、戦前から戦後への思想変化や、戦時中の戦地体験、被災体験に影響された価値観で社会を眺めた作品を次々と生み出しました。
日露戦争に勝利したことで得た満州の鉄道は、後の日中関係を歪なものへと導きます。1931年に大日本帝国関東軍が自作自演の鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こしたことを皮切りに、対中国への敵対心を明らかにします。翌年には上海での日中両軍の激しい衝突が行われ、日露戦争と並ぶ大きな被害を出しました。そして1937年の北京近郊の盧溝橋で勃発した抗争(支那事変)は激化の一途を辿り、日支衝突の規模は拡大を続けて両国による全面戦争(日中戦争)へと発展していきます。1938年に日本は収束を図ろうとするも蒋介石に抵抗を続けられ、1941年に第二次世界大戦争を拡大するように真珠湾へ無宣言攻撃を行い、アメリカ・イギリスへ宣戦布告します。日中戦争継続のために必要となる軍需、資源を獲得するため、日本はマレー半島からシンガポール、フィリピン、インドネシア、ビルマへと進軍して各地を蹂躙します。しかし、本腰を入れたアメリカの反撃に制圧した国々は奪い返され、広島、長崎への原爆投下によって立ち行かなくなり、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏を決定しました。
野間宏は1935年に京都帝国大学の仏文科へ入り、フランス詩を中心に学びながら思想を構築していきます。ギュスターヴ・フローベールに強い関心を抱いていた彼は、抽象主義的目線を培い、文学における基礎を築き上げていきました。卒業した彼は、1941年令状に応召して中国、フィリピンへと戦地にて行軍しますが、マラリアに感染して帰国します。このときの戦争経験を反映させた文学作品を執筆して戦後直後に発表しました。それが本作『暗い絵』です。
冒頭に綴られるピーデル・ブリューゲル一世の絵画の印象は、陰惨で暗く締め付けられるような描写が続き、ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄編を想起させる筆致は、悍ましい苦しみのなかに埋もれているような圧迫感を受けます。当時の日本は天皇制ファシズムと言える社会にあり、反戦的社会主義の思想を抱いた若者たちは全てを捧げて革命を起こそうと活動していたため、ブリューゲルの絵画からは地獄に生きる大衆の姿が浮かび上がったのだと考えられます。主人公の深見進介を含む活動家たちは、現在に変化を起こして将来を掴もうと熱心に語り合いながら、思い思いの絵画の感想を呟きます。
そのような環境下で深見は仲間内との言い得ぬ距離を感じ始めます。彼は思想の乖離、或いは衝突によって起こる諍いに躍起になる友人達とは一線を引き、もっと内にある自我の不明瞭さを自身に対して問題視しています。エゴイズムに括られる、自己を守りたいという欲、自己に対する執着、自己の真の姿(本自己)、を追求して得心したいと考えて一人悩みます。そして時系列を前後させて描く終盤では、反戦を掲げる三人の同志が思想犯として投獄されていずれも獄死すると記述され、対象的に思想転向した深見のみが生き残り、死の知らせを戦地から帰還して聞かされると語っています。
この物語には野間宏の自伝的要素が多分に含まれています。思想指標のない思考の漂いが不快となって心を穿ち、根元的な人間としての性質を永遠とも言える意識の中で咀嚼を延々と繰り返した自我への執着は、一つの考えを生み出します。
フランス詩より影響を受けた物事の抽象化、その概念をレアリスムに昇華させる現実を見る観察眼とその咀嚼は、野間宏の文体の特徴として明確に現れています。そして戦争経験による「人間の闇」をその敏感すぎる観察眼で眺め分析したことで得た地獄の経験は、人間の底に、もとい人類の底に眠り流れている粘着質な醜い本性を、戦争から帰還した社会の中に厭でも見出してしまう心情が滲み出ています。永遠の時を圧縮して延々と過去の地獄の咀嚼を繰り返した彼は、戦後の社会にも通底する人間の苦味を底の流れから掬い続けます。
政治革命以前に、自己の存在革命に対して深見は一人で苦悩していました。そしてそれは野間宏であるとも言え、地獄を生き、戦後を生きなければならないなかでの彼の苦悩に、やはり自我の不明瞭さが付き纏っていたのだと考えられます。この「視点を変えた自同律の不快」とも言える彼への呪いは、前後社会に順応しなければならない、生活をしていかなければならない、欲を満たしていかなければいけない、というようなエゴイズム的自我を苦しめ続けます。満たしたい欲を、地獄を生きた自身が満たして良いものか、という苦悩は人間の尊厳を自身が尊重出来ないという不幸であり、生きる世さえも地獄と変えさせる性質をも帯びています。
肉体の求める欲と幸福は、漂い続ける思想と乖離し、自我の不明瞭さをより深くしていきます。それでも野間宏が貫き続けることは人間への尊重であり、それはエゴイズムを凌駕して親鸞的な救いを求めます。
命を賭して戦った三人の同志、フィリピン行軍中に見捨てた同志、その屍の上に立っている地獄の戦後に、懸命に救いを求める野間宏の姿が見えました。
第一次戦後派の第一人者である野間宏の初期の傑作『暗い絵』。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。