『光のない。』エルフリーデ・イェリネク 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
2011年3月11日、太平洋沖地震は大津波を生みました。日本の東北地方を飲み込むほどの巨大さで、あらゆる人やあらゆる物を攫いました。しかし、災害は止まらず、福島第一原子力発電所の事故を引き起こします。決して忘れてはならない東日本大震災。ノーベル文学賞受賞作家であるエルフリーデ・イェリネクは嘆き悲しむと共に、世に伝え、そして問うべく執筆した作品が『光のない。』です。
エルフリーデ・イェリネクは現代のドイツ語作家として代表的な人物です。大変裕福な家庭に生まれたイェリネクは、ギムナジウム時代(ヨーロッパ中等教育機関、日本の中高一貫)よりウィーン市立音楽院にて学び、オルガンを中心に才能を発揮します。その後、ウィーン大学で演劇および演劇学を専攻し、在学中に詩集を出版します。作家として活動するために大学を中途退学しますが、一方で、音楽での才能は開花し、オルガン奏者の国家試験に合格し世間に注目されます。
イェリネクは詩、小説、戯曲など、表現技法はさまざまながら、社会に向けた政治的著作品を生み出し続けています。自国であるオーストリアの因習性を糾弾するような作品が多く、そして性描写が過激なことから、自国民から「ポルノ作家」と揶揄されることが多くあります。しかし、世界的な男女差別の撤廃が色濃くなるにつれ支持者が増え、オーストリアの父権性社会が見直される機会が増えています。
イェリネクは2004年に 「その小説と劇作における音楽的な声と対声によって、社会の不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した」として、ノーベル文学賞を受賞しました。彼女が書く戯曲は「演劇の素材」とも言えるほど細かい設定が無く、純粋に語る台詞のみで構成されているものが多く存在します。これを「音楽的作風」と解釈することがあります。彼女の描く作品は音楽のように直接的に脳内へ入ってきます。或いは心に響いてきます。これは心地好いという訳では無く、苦しさや切なさがより直接的に、より強く伝わり、心を激しく揺さぶります。
しかし、この受賞は問題を引き起こしました。2005年、ノーベル文学賞選考を務めるスウェーデン・アカデミーのクヌット・アーンルンドは、イェリネクの作品を「不愉快なポルノグラフィ」「芸術的な構築を放棄した文章の山」と吐き捨て、ノーベル文学賞授賞に抗議する形でアカデミーを退会します。アーンルンドは1996年からずっと選考活動はしていませんでしたが、イェリネクを選出したことがノーベル文学賞の価値に「回復不能な損害」をもたらしたと主張しています。
政治的著作は、社会が受け入れにくいものです。個人の思想がさまざまであり、価値観がさまざまである以上、個人の集合体である社会は一層に統一思想を持つことが困難であり、社会の代表者もまた個人であるため、薄く綺麗で偏った標語ばかりが並ぶことになります。しかし、その中に隠れている「社会の全面性」を、片方だけではなく「両面の声」を、一つの演劇に音楽性を持って表現する描写力こそイェリネクの特徴であり個性と言えます。
今回の作品『光のない。』は、「3.11」における「社会両面の声」を描き、世に問う作品です。本編はAとBの対話で進められます。Aは第一ヴァイオリン奏者、Bは第二ヴァイオリン奏者と説明されます。ドイツ語の慣用句で、第一ヴァイオリン(主旋律/指導者)・第二ヴァイオリン(伴奏/従属者)という表現があります。
「電子」「照射」「電磁波」「器官」など、災害を連想させる語句が散りばめられ、また、原題「Kein Licht」から判断すると「光がない」となり、これも希望を失った、または視界を失ったという印象を与えられます。そして届かない声は、原因側への被害者の声、災害で離れてしまった愛し合う者同士の声、救助に駆けつけた者の声、身体を失った魂たちの声、受け手により変化して心に入り込みます。
種々の機関は、対応や管理を糾弾されました。しかし、イェリネクは「エネルギーを必要としていたのは誰か、そして何故か」から問い、双方の声を2人のヴァイオリン奏者が演奏するように語ります。そして最後に読者へ問いかけます。
「もっと光を!」と求めた「あなた」の事だと語りかけ、答えを考えさせられます。
日本のロックバンドAcid Black Cherryのヴォーカルyasuは「3.11」で、最も悩み、悲しみ、苦しみ、考え、行動した一人です。その苦しみは身体にも及び、歌うことさえ困難になりました。考え抜いて出した答えは「自分にできる音楽」で伝えていくことでした。
悲しみ、彷徨い、受け止めることが出来ない心は一つの答えに辿り着きます。
悲劇を忘れずに心に留め、前を向いて歩く困難さは、人間の意志に委ねられます。出した答えの道はただ耐えるだけではなく、想い続ける強い心が必要です。
見失った「光」を新たに灯すのは「あなた」、つまり自分自身であり、苦しくとも受け止めて乗り越えることが、今を生きている我々に最も必要なことであると思います。
災害により生命を失った方々へ、ご冥福をお祈りします。
改めて深く考えるべきことを考えさせてくれる作品です。未読の方はぜひ読んでみてください。
では。
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