『蜘蛛女のキス』マヌエル・プイグ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
アルゼンチン国土の中心部、パンパの広がるブエノスアイレス州のヘネラル・ビジェガスという地で、作家マヌエル・プイグ(1932-1990)は生まれ育ちました。裕福ではありませんが中流階級に生まれた彼は、母親の趣味に合わせて幼少期から映画館へ足を運ぶようになります。わずか三歳にして映像のなかに見える「美」に目覚め、美しく着飾った銀幕の女優に憧れを持つようになります。この憧れは彼の持っていた性的なアイデンティティを強く刺激して、同一的な「女性性」を追い求めるようになりました。母親のナイトガウンを羽織って自分を美しく見せようとする試みは、父親から激しい反感を買い、暴力的な行為をもって制されることもありましたが、彼はこのジェンダー・アイデンティティを保ち続けて成長します。
社会的な憧れも、プイグはやはり映画に見出し、奨学金を得てイタリアに向かいます。幼少期に感じた映画の「美」を、自身で作り出すことができるように、貧困と戦いながらも苦心して助監督や脚本家としての勉強に励みました。しかしながら、映画製作におけるしがらみや俗習によって、育んできた映画に対する神聖視は打ち砕かれ、結果的には夢が潰えてしまいました。脚本家として執筆を経験したプイグは、その筆をもって新たな道へと歩むために文学へと転向します。こうして書き上げた自伝的な処女小説『裏切られたリタ・ヘイワース』は好評を博し、作家としての立場を確立しました。その後も活動を続け、第三作目となる『ブエノスアイレス事件』を1973年に出版します。しかし、この作品が「性行為と政治活動を扇動的に融合させている」という国家からの批判を受けてしまいます。尾行や脅迫が激しくなり、身の危険を感じたプイグはその年のうちにメキシコへ移住、そこで二年間を過ごしてアルゼンチンの政治情勢が危険な色を見せ始めると、1976年、完全にアルゼンチンから亡命しました。そして同年、プイグは本作『蜘蛛女のキス』を発表しましたが、当然の如くに検閲が行われ、アルゼンチン国内では1983年の民主主義回復までは出版されませんでした。
スペインのラプラタ副王領であったアルゼンチンは1816年に独立しました。国家成長を目指したいアルゼンチンでしたが、英雄サン=マルティンの活躍ののちは、都市部ブエノスアイレスと広大な大農園で成り立つ農村部との摩擦によって、国家発展に二の足を踏む不安定な国政の状態にありました。結果的に物理的な力を持つ軍部による独裁政権「カウディーリョ支配」(地域軍事権力者による強引な中央政権支配)が行われました。
パンパ(広大な草原)を保有して牧畜も盛んであった農村部では、船による流通の限界によってヨーロッパへ食肉の輸出が困難な状態にありました。ところが、ヨーロッパの産業革命の恩恵で1870年ごろに「冷凍船」が開発されたことで状況は好転します。イギリスはアルゼンチンに資本をもって流通を整備し、パンパによる収穫(食肉や穀物)を次々に輸入していきます。これに合わせて多くの移民が流入し、アルゼンチンでは産業や工業が目紛しく発展していきました。この発展は中産階級たちに大きく力を与え、国家を支配していた保守的な地主層の脅威となっていきます。そして1943年、第二次世界大戦争期間中に勃発した軍部クーデターによって、アルゼンチンは独裁政権から軍部政権へと移管します。首謀者のフアン・ペロンは抑圧されていた労働者側の権利を整備し、国政改革を行ったことで国民の支持を受け、選挙によって大統領に選ばれました。労働者の保護は当然ながら、イギリスやアメリカに対して従属関係を拒否し、国家の発展を最優先とした活動を行いました。
民衆に支持されたペロンは国家の成長と労働者を守る形で政治を進めていきましたが、兼ねてからペロン体制に不満を持っていた保守派の地主層と良い扱いを受けていなかったカトリック教会が共謀し、軍隊を懐柔して体制に反旗を翻す大規模なクーデターを起こしました。これによりペロンは亡命して、保守派と中産階級のペロン派による政権奪取が繰り返されます。1973年にペロンの復帰が実現しますが、その後すぐに病死し、政権が整うことなく不安定な状態になり、軍部側の再びのクーデターによって制圧されて、1976年に軍事独裁政権が成り立ってしまいました。
この軍事独裁政権は、徹底的にペロンの遺伝子を駆逐していきます。関わりのあった政治家はもちろん、関わりがあったと思われる疑いがあっただけでも射殺され、次々に勝手な政治犯としての罪を着せて処刑していきます。また、保守派に対抗する左翼団体も徹底的に壊滅させる命令を出し、非人道的な手段を持って罪の無い人々の生命まで奪っていきます。その残虐な行為のなかでも特に知られている「死のフライト」は悍ましく、政治犯として罪を着せられた人物を飛行機から生きたまま突き落とすという非道なものでした。これらの所謂「左翼狩り」は規模と犠牲者を夥しく拡大させ、実に三万人もの被害者を生み出しました。この軍事独裁政権による白色テロは「汚い戦争」と呼ばれています。ペロン派を支え続けた労働総同盟が1979年に陥落すると、ブエノスアイレスの大統領官邸前の五月広場に、被害者の母親が集い、政府の告発を行いました。この規模として見ると小さな行動が、のちの1983年に成る民主主義回復の一歩となり、国際的な問題として露呈させて民政移管の先駆けとなりました。
本作『蜘蛛女のキス』は、保守派が軍部を懐柔してペロン派を打倒せんと勢力を増していた軍事クーデターの直前、1975年のブエノスアイレスを舞台に描かれています。「左翼狩り」が争いの手段の一つであったころの不安定な治安と政治情勢は、多くの人々を検挙して投獄していました。革命を望むヴァレンティンもやはり検挙され、牢に入れられていました。そこに同房者として入れられたのが同性愛者のモリーナでした。未成年への性的加虐を罪として投獄されたモリーナも、バレンティン同様に社会から疎外された存在という共通性から、同房としての縁を契機として会話の距離を近付けていきます。本作はこの二人の会話のみで進行していきます。二人は精神的な安らぎのため、就寝前に会話を交わしますが、主にモリーナの豊かな表現力によって語られる「映画」のストーリーが大部分を占めています。
ラテン・アメリカでは、「マチスモ」(machismo)という男性優位社会が根付いています。ヨーロッパから流入した家父長制的な風習と、インディオ的な解釈によるメスティソ文化とが融合し、男性の雄々しい筋力、勇ましさ、誇りなどを、一つの価値観として優先する社会が広がっています。反面、この考えは女性への蔑視や差別につながっており、現在でも社会的な問題として取り上げられています。このような社会にある同性愛者のモリーナは、その価値観を周囲に認められることが困難であり、疎外的な感情を持ちながらも自我を高めようと励みます。その一環に「映画」の存在が挙げられます。映画のなかで描かれる幻想的な物語、またそのなかで映される美や愛は、モリーナ自身が「自分の心を理解する」うえで重要であり、前向きな心を保つ刺激となっています。そして「美しい愛」と「大切な人の犠牲」として死を求める「ヒロイック」(英雄的犠牲)な存在に憧れます。そして同房のヴァレンティンに素晴らしい表現力で「映画」を語ることは、社会から疎外された二人が、苦しみから逃避し、互いを理解し合う、重要な儀式となって浸透していきます。プイグがヨーロッパで学んだ映画助監督としての経験と感性が、モリーナの語りに大いに反映して、そこに込められた「さまざまな犠牲的な愛」をヴァレンティンに伝えると同時に、読者の深層へと流れ込んできます。
社会から疎外された二人の関係は、モリーナの積極性によって徐々に親密さを帯びていきますが、作中の半ばで明らかになるモリーナの立場によって、様相は変化していきます。モリーナは、刑務所所長に恩赦と引き換えに指令を与えられていました。これは軍政府(作中では明言されない)より所長が受けた指示に基づくもので、過激派組織に属しているヴァレンティンから本拠地や今後の作戦などを聞き出すため、モリーナに近付かせて情報を引き出そうとするものでした。所長はヴァレンティンに食中毒などを起こさせ、心身ともに弱らせることでモリーナに情報を吐露する機会を何度も作ります。しかし、持ち前の献身的な「女性の心」を持つモリーナは、甲斐甲斐しく世話を焼き、親密さをより一層に強めていきます。感謝と信頼が募るヴァレンティンと、強い信念に惹かれるモリーナは、精神の親密さから身体の親密さへと関係を深めます。セクシュアリティにおける価値観の相違はやがて消え、人間の本質としての相互の愛情が芽生え、モリーナの女性性とヴァレンティンの男性性が強い絆を築き始めていきます。
本作では、マスチモによる男性的支配と、異性愛主義を非難しています。そして男性性ヴァレンティンと女性性モリーナによって、それぞれの精神が両セクシュアリティを代表して、呼応して描かれています。支配によって抑圧された感情は、ヴァレンティンは革命的に、モリーナは同性愛的に象徴され、二人が望む「解放」に、互いは親密さを通して理解に及び行動に移します。そして二人が交わす「キス」には、政治的革命と性的革命が表現され、その革命は精神から肉体(行動)へと連なっていきます。終幕では、モリーナとヴァレンティンの「解放」が美しくも儚く描かれています。
作中に挿入される詳細な脚注は、プイグのクィア観を大いに表現しているものと言えます。特に同性愛に関しての記述が大部分を占め、そこでは心理学的なアプローチから細かに意見を提示しています。同性愛あるいは両性愛は、「二元性の一種」として定義し、物理的には生殖的観点から、精神的にはマスチモ等による男性優位思考によって、異性を求める愛や生殖器以外の性を否定してきたことによる誤った差別的な考えが蔓延し、それ以外の性を疎外していると断じています。つまり「性」とは、身体的なものや生殖行為に基づくものだけではなく、精神的な性別にも理解を示す必要があり、それを受容する社会的な解放が必要であると記しています。これはまさに、終幕に見せるモリーナのヒロイックな行動、そしてヴァレンティンの精神が辿り着く境地として、作中に見事に描かれています。
全てが会話で進められ、場面も変わらずに物語られる作品という点には、プイグの脚本家としての経験が活かされており物珍しくも感じますが、なかに込められた思想とその緻密な表現力は目を見張るものがあります。彼自身がクィアとして困難に感じていた精神生活と、それを解放できる精神的なユートピアを目指す革命は、一つの作品に願望として残されたのではないかと考えさせられてしまいます。時代背景を把握すると、より一層に理解が深まり、作品にのめり込むことができます。マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。