『アントニーとクレオパトラ』ウィリアム・シェイクスピア 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
本作『アントニーとクレオパトラ』は、『ジュリアス・シーザー』の後の舞台を描いており、これらを二部作と括る場合もあります。シェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』を転換点として、その作風に強く深い悲劇性を帯びさせていき、『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』の四大悲劇を生み出します。その後、『ジュリアス・シーザー』に呼応させるように、この悲劇時代の終わりを飾る最も光景な悲劇『アントニーとクレオパトラ』を執筆しました。実に四十二場面に及ぶ舞台の目紛しさ、それに伴う多くの使者や伝令の登場は、劇そのものの公的な慌ただしさと、当時の不安定な政治を表現しています。シェイクスピアの作品の中で最も地理的に広範囲にわたるこの作品は、ローマ帝国全体が舞台であり、その背景はプルターク英雄伝によるマーク・アントニウス(以下アントニー)、クレオパトラ、オクティヴィアス・シーザーの物語を元としています。作中で描かれる舞台は、『ジュリアス・シーザー』の出来事からおよそ二年が経ち、その後に進められた三頭政治(トロイカ体制)のローマ帝国が描かれます。『ジュリアス・シーザー』と『アントニーとクレオパトラ』は、ローマが共和政から帝政へ移行する際に発足された寡頭政治体制を、劇的に描いた二作品であると言えます。
ローマ帝国の三人の支配者の一人であるマーク・アントニーは、エジプトの美しい女王クレオパトラと関係を持ち、その美貌に溺れて退廃的で怠惰な生活を過ごしていました。彼の妻のファルヴィアが亡くなり、ポンペイアスが三頭政治に反乱するために軍隊を招集しているという知らせが届くと、アントニーはローマに戻ります。アントニーの不在中、アントニーと肩を並べるオクティヴィアス・シーザーとレピダスは、ポンペイアスが力を増していることを懸念しています。そしてシーザーは、アントニーが政治家や軍人としての義務を怠っているとして非難します。妻の死と迫る戦いの知らせがアントニーの支配者としての自覚と義務感を刺激し、ローマへと戻り自身のなすべきことを果たそうと決意します。口論を挟みながらも、ポンペイアスを倒すには同盟が必要であることを理解した三人は、互いの心身の結束を強めるため、アントニーがシーザーの姉オクティヴィアと結婚することになりました。アントニーの親友であるエノバーバスは、その結婚を見守りながらも、アントニーは必ずクレオパトラに戻るだろうとシーザーの部下に予言します。エジプトでは当然ながら、クレオパトラがアントニーの結婚の知らせに嫉妬して激怒します。しかし使者との会話で、オクティヴィアがさほど魅力的な女性ではないと知ると、クレオパトラはアントニーを取り戻すことを確信します。
ポンペイアスとの争いは、結果的に戦うことなく互いの意見の相違を解決し、ポンペイアスはシチリア島、サルディーニャ島の支配と引き換えに平和を維持することにしました。その夜、四人は休戦を祝うために船上で宴を催します。その時、ポンペイアスの兵士の一人が、酔い潰れた三人の支配者を暗殺し、それによって全ての権力をポンペイアスの手に渡すという計画を提案すると、彼はその計画を自分の名誉に対する侮辱だとして却下しました。一方で、アントニーの将軍の一人がパルティア王国に勝利を収めたという知らせが届きます。それを受けて、アントニーとオクティヴィアはアテネに向けて出発しました。そうして彼らがいなくなると、シーザーは独断的に休戦協定を破り、ポンペイアスに向かってレピダスの軍隊を使った戦争を仕掛け、ポンペイアスを打ち破ります。勝利すると、シーザーはレピダスを反逆罪で告発し、投獄したうえに土地と所有物を没収しました。そして更に、公の場で堂々とアントニーへの非難を語って民衆の支持を独占しようとしていました。これらの知らせはアントニーを激怒させます。しかしオクティヴィアは弟シーザーとの平和的な関係を継続して欲しいと懇願し、自らの手で平和的解決を試みるためにシーザーの元へと向かいました。怒りの収まらないアントニーは、オクティヴィアに託して見送ると、すぐにエジプトのクレオパトラの元へ向かいました。そこで大軍を編成してシーザーとの戦いに備えます。一方、姉の扱いの酷さに憤ったシーザーも同様に強大な海軍を編成してエジプトへと向かいます。アントニーは昔ながらの決闘をシーザーに求めますが、それは拒否されて海上での戦いとなります。エノバーバスの強い反対にもかかわらず、アントニーはクレオパトラが自ら船を指揮するという希望を受け入れました。当然の如くクレオパトラの船は敗退逃亡し、アントニーが後を追ったため、シーザーがこの大規模な戦いを制しました。
敗北したアントニーは、エジプトに住むことの許可をシーザーに願いますが、シーザーはオクティヴィアの思いも汲まず、徹底した態度でこれを却下します。一方で、クレオパトラが望む自分の王国(エジプト)を正当な後継者に引き継いでほしいという願いは、アントニーとの関係を切り離すことを条件に公正に検討すると応えました。これにアントニーの怒りが爆発し、彼女の自分に対する裏切りを罵り、無実の使者に鞭打ちを命じました。これを見て、エノバーバスは主人の役目は終わったと判断し、シーザーの陣営へと逃亡します。エノバーバスの脱走を知ったアントニーは、大切にすべき部下の信頼を裏切ったと自分を責めて嘆きます。彼は友人の財産をシーザー陣営内にいるエノバーバスに送ります。すると彼は、自分の不誠実さを恥じて自責の念に打ちひしがれ、罪の重さにひれ伏して自害します。別の日には新たな戦いが起こり、アントニーは海で再びシーザーと出会います。以前と同様に、クレオパトラが率いるエジプト艦隊は戦いを放棄し、アントニーに二度目の敗北を与えます。恋人が自分を裏切ったと確信したアントニーは、クレオパトラを抹殺することを誓います。彼女は自分を守るために、霊廟の中に身を隠して、アントニーに自害したという知らせを送ります。アントニーは悲しみに暮れ、死後の世界で女王と結ばれることを決意して、後を追うように死を望みます。彼は部下の一人に、疑いの余地のない奉仕の約束を果たし、自分を殺すように命じました。しかし、従順なる部下は代わりに従者自身が自害します。その後、アントニーは自らの剣によって生命を差し出しますが、急所を外して死にきれません。血を流すアントニーはクレオパトラの隠れる霊廟に運ばれ、短い再会を果たして生命が尽きます。シーザーは女王を捕虜として捉え、ローマ帝国の力の証として、彼女をローマ中の見せ物にしようと企みます。しかしながらクレオパトラはシーザーの計画を知り、数匹の毒蛇を道化に差し入れさせて、胸を噛ませて自害しました。シーザーはクレオパトラをアントニーの隣に埋葬し、幕は降ります。
舞台が西洋と東洋で揺れ動くように、登場人物たちの心情も理性と感情で揺れ動きます。ローマ帝国の公人であるが故に求められる理性、エジプトの艶やかな情熱に溢れる感情、アントニーの心が揺れ動き、両国の情勢も同様に揺れ動きます。双方に求めようとする源泉の欲は権力であると言えます。ローマ支配者としての権力、エジプト女王の愛の獲得者としての権力、理性と情熱が相反する二つの欲望は、一人の人間を引き裂くように悩ませます。アントニーが『ジュリアス・シーザー』における反乱で掲げた強靭な大義的理性は、クレオパトラへの溢れる情熱を抑圧し、支配者としての義務として、その上から覆い被さります。彼に求められる公人としての立場は、情緒を捨て去った非人間的な姿でした。ローマの同盟者であったシーザー、レピダスたち、そして忠実に仕えるエノバーバスでさえも彼を見捨てるなか、アントニーは自分自身に陶酔していることを自覚し、自らの生命を絶って高貴な(と自認している)アイデンティティを救おうと思い至ります。しかし、これを側面から見るならば、理性的であろうとし、理性的であると自認したいがゆえに見落としていた自分の情熱の強さに、死の間際まで支配され続け、理性が炎に包まれたのだと見ることができます。情熱を押し殺し、理性を貫くことが非常に困難であることを、実に見事に表現しています。
劇中で西洋と東洋は、対照的に特徴付けて描かれています。シーザーが西洋の支配者として徹底的に理性を体現する一方、クレオパトラは溢れる情熱に身を任せる、自由を求める奔放な姿が表現されています。
クレオパトラの不幸は、アントニーを求めながらも、女王としての自身の権力をより愛していたことであると言えます。名誉とは、西洋や東洋の各文化によるものではなく、彼らが自分自身を定義しようとする意志によって決定されます。アントニーもクレオパトラも、自分たちのアイデンティティの侵害を阻むため、名誉ある死という形で拒否することになります。
この西洋と東洋の邂逅は、シーザーによるアントニーとクレオパトラへの戦いによって果たされます。そして、西洋であるローマが、東洋であるエジプトに勝利したにもかかわらず、その地の征服には至りません。この大きな要因はクレオパトラの自害にあり、劇中に表される東洋精神とも言うべき誇りと情熱が、シーザーの西洋的理性による支配を跳ね除けています。
クレオパトラが毒蛇に自らの胸の膨らみへ噛み付かせて自害する場面は、情熱と妖艶で満たされています。理性と情熱、愛と権力、それぞれが対比的に描かれる壮大な作品は、シェイクスピアの悲劇時代に終止符を打ち、ロマンス劇へと進化していく片鱗を垣間見せています。『ジュリアス・シーザー』を読んだ方にはぜひ読んでもらいたい作品です。機会があればぜひ。
では。