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『青い鳥』モーリス・メーテルリンク 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

クリスマスイヴ、貧しい木こりの子チルチルとミチルの部屋に醜い年寄の妖女が訪れた。「これからわたしの欲しい青い鳥を探しに行ってもらうよ」ダイヤモンドのついた魔法の帽子をもらった二人は、光や犬や猫やパンや砂糖や火や水たちとにぎやかで不思議な旅に出る。<思い出の国><幸福の花園><未来の王国>──本当の青い鳥は一体どこに?世界中の人々に親しまれた不滅の夢幻童話劇。

モーリス・メーテルリンク(1862-1949)は、ベルギーのガン(ヘント)でワロン・フラマン人(フランス語を話すゲルマン民族)のカトリック家庭に生まれました。母親は裕福な家柄で、父親は公証人を務めるという上流階級で不自由なく育てられます。家業を継ぐためにガン大学で法学を学ぶ傍ら、勉学の合間に元来関心の強かった執筆を行い、詩や小説を書き上げていました。大学を卒業すると、同年のグレゴワール・ル・ロワ(後のベルギー象徴主義詩人)とともに父親を説得して、表向きはフランス法を勉強するという名目でパリへ向かい、数ヶ月を過ごします。この期間(1885-1886)は、パリの文壇を中心に象徴主義運動が活性化していました。二人はその運動に参加し、作家たちとの交友に力を注ぎ、人脈を構築するとともに、その思想に感化されていきます。シュルレアリスム詩人の先駆者サン=ポル=ルー、詩的リズムの開拓者ステファヌ・マラルメ、清貧高潔の魂で描くヴィリエ・ド・リラダンなどと交際し、自らの詩性をより具体的なものへと成長させていきました。そのような心情で帰国し、弁護士となった四年間は、当然の如く良い結果を生むことはありませんでした。代わりに(むしろ力を入れていた)同時に進めていた執筆活動はフランス文壇に認められ始めていきます。


メーテルリンクは短篇小説、詩集、翻訳、戯曲など、さまざまな手法で執筆していましたが、自費で上演した戯曲『マレーヌ姫』を切っ掛けにして、彼の作家人生は大きく変化していきます。この戯曲台本をマラルメに渡すと激しく絶賛し、過激な芸術擁護者と知られる劇作家オクターヴ・ミルボーにその気持ちを共有します。ミルボーもまた強く感銘を受け、熱狂的な賞賛の言葉を『ル・フィガロ』の誌面に綴りました。こうして世間的に受け入れられたメーテルリンクは作家として成功を収めていきます。


文学における象徴主義運動は、1857年にシャルル・ボードレールによって発表された『悪の華』によって花開きました。自然主義が不自然で教訓めいた作品を押し付けるように感じた他の作家も同調し、この自然主義への反動という形で象徴主義運動は隆盛し、多方面の芸術へと影響を与えます。詩においてはアルチュール・ランボオ、ポール・ヴェルレーヌなどが続き、音楽ではリヒャルト・ワーグナー、クロード・ドビュッシーといった作曲家が象徴主義の美学を昇華させました。また絵画では、「オフィーリア」などで知られるジョン・エヴァレット・ミレイ、「受胎告知」などでファム・ファタルを描いたダンテ・ガブリエル・ロセッティといったラファエル前派と呼ばれる画家たちが賛同していました。それまで各芸術が縛り付けられていた「こうあらなければならない」という定義を破壊した象徴主義運動は、堰を切ったように各方面に広がり、多くの芸術家たちを目覚めさせました。


芸術作品は第1に観念的であるべきである。そのただ1つの理想は観念の表現であるから。第2に象徴的であるべきである。その観念に形を与えて表現するのだから。第3に総合的であるべきである。諸々の形態や記号を総体的に理解される形で描くのであるから。第4に主観的であるべきである。事物は事物としてではなく主体によって感受される記号として考えられるのであるから。第5に装飾的であるべきである。

アルベール・オーリエ「象徴主義芸術の定義」


芸術家が訴えたい「芸術観念」を、受け手の「観念」に直接感受させる表現が象徴主義の目指すところであり、必要な定義です。この技法を(作中において)視覚的に映し出し、且つ、児童に向けた戯曲「児童劇」として作り上げたものがメーテルリンクの代表作『青い鳥』(L'Oiseau bleu)です。


本作は「夢幻劇」と言える、兄のチルチルと妹のミチルが青い鳥を求める夢の旅を描いた寓話です。「光」に導かれて、彼らは多くの「精」と出会います。光、夜、時、植物、動物、霊、幸福、不幸など、さまざまなものが精となって、チルチルとミチルに語りかけます。死者が生き続ける記憶の地、眠りと死が共存する夜の宮殿、植物や動物が話しかける暗い森、そして胎児の魂が人間としての生活に入るのを待つ光の国といった地を巡り、多くの精と出会い、対話をして、人間としての大切な考えを二人は幾つも学びます。そして夢の旅が終わり現実へ戻ると「幸福」とは何かを理解します。


メーテルリンクは宿敵との戦い、情熱的な闘争、復讐を果たす物語といった劇的な表現から離れた、或る種の悲劇的な作品を作り上げています。彼は、劇的に取り上げられない、日常に存在するであろう「観念」を具現化するように試みています。「生きるという単純な事実の中の驚くべきこと」を示し、真実や美を大きな問題として対話する「普通の人間」を描こうとしました。そのため、作中では「精の具現化」だけではなく、多くの隠喩が用いられています。青い鳥は幸福、ダイヤモンドは絶対的な力、黄金のカギは成功といったように、劇中の表現だけでなく、主題を伝える要素として存在しています。こうした具現化や隠喩を通して目に見えないものを表現し、言葉では言い表せないものを伝えようとする手法には、メーテルリンクの象徴主義が強く反映されていると言えます。また、こうして作られた彼の演劇には、「不在」という概念を文芸の根本に置かれて描かれています。この夢幻劇では、目の前に有りながらも気付かず、手にしたと思えば逃れていく、そのようなものが生きる上では幾つもあるということを訴えているように理解できます。しかし、それをどのように捉え、どのような目線で見つめることが人間として重要なのかを諭し、悲劇的な余韻は残らず、希望に満ち、幸福で溢れた終幕となっています。


「不幸」たちは「幸福」の花園のすぐ隣に住んでいてね、その境はもやかごくうすい幕のようなもので区切られてるだけで、それが「正義」の高みや、「永遠」の谷底から吹いてくる風に、始終吹きまくられているんだということを忘れてはいけません。だから、わたしたちはちゃんと準備して、十分用心してかからねばなりませんよ。「幸福」たちはたいていごく善良なんだけれど、でも、中には一番大きな「不幸」よりもっと危険で不誠実なのもいますからね。


人間として生きるうえで出会う、逃れることのできない不幸や悲哀を、どのように受け止めるかを考え、その後に出会う幸福にどのように感謝できるか。見つめるべきものを見失い、幸福の顔を被った快楽に身を委ねて成長しないようにと、未来のある者へメーテルリンクが優しく諭しているように感じます。本作『青い鳥』は、生きることに勇気と自信を与えてくれる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


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