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『武蔵野』国木田独歩 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

武蔵野を逍遥しながら独歩は愛着をこめて「生活と自然とがこのように密接しているところがどこにあるか」と言っている。作者は、常に自然を通じて人生を、また人間を通じて自然を見、その奥に拡がる広々とした世界を感じとっていた。このことは表題作を始め、所収作品のすべてからうかがうことができる。


西欧より興ったジャン=ジャック・ルソーの思想を皮切りとした「ロマン主義」はあらゆる芸術家が影響を受け、自我の解放という主張のもとで多くの作品が生み出されました。その大きな影響は明治維新を通して日本にも広がり、それまでの封建的な社会からの精神解放や思想の目覚めといった思潮の変化を見せて、森鴎外や徳富蘆花、泉鏡花などが活躍しました。本作の国木田独歩(1871-1908)も、代表的な一人です。


独歩はその短い生涯で執筆に専念した時期は僅か一年程度という、常に生活の上で苦悩を抱え続けた人生を送っていました。社会に出るとすぐに東京専門学校(現早稲田大学)の校長排斥を目的とした学生運動に参加して中途退学し、その後帰省して村の小学校分教場で塾を開くと、ふたたび上京して政党の機関紙記者となり改革を目指し、次に大分県佐伯の旧藩主の設立した学校に赴任するという、改革と教職を行き来するような慌ただしい生活を過ごしていました。父親の専八が司法省の役員であったことで食べていく生活には困窮していなかったため、若いあいだは自身の思うように行動していたものだと見ることができます。この頃、特に記者や編集といった仕事に就いている間には元々関心を持っていた読書にも励み、イギリスのウィリアム・ワーズワース、ロシアのイワン・ツルゲーネフなどの作品に強く影響を受けました。やがて自分で作品を書くときにもこれらに感銘を受けていることがありありとわかるほどに彼の作品からは如実に現れており、本作『武蔵野』に至っては中核的に引用までされています。

その後、日清戦争が始まると従軍記者となって戦場へ向かい、そして書いたルポルタージュが好評を博し文壇に一歩を踏み出しました。そして戦後に帰国すると早々に熱烈な大恋愛を繰り広げて結婚しますが、独歩の強烈な独善性と男尊女卑的思考によって、その生活は破綻しました。また、彼は敬虔なクリスチャンであったため、理想主義的な思想を思い描いていましたが、方々に突き当たる無情な現実の衝撃に、やがて苦悩しながら文学の道へと歩み始めていきます。


独歩が苦悩した原因は、変革を遂げる明治社会に見られる俗物性であったと考えられます。日々の苦悩で精神が削がれ、自らの人生を主観的に見ることが困難となり、やがて自己を含めた社会そのものを俯瞰的に見るようになっていきます。自己を見つめていた境界が薄らいで、社会のなかにある一つの自己という見方に変わり、その目線を通して自分の人生を見つめるという行為は、社会そのものに自己の詩性を重ね合わせるという結果に至ります。ここに見える景色には独歩が強く望んでいた「愛」を見出そうとする感情が働き、見える社会や自然から愛の詩性が滲み出てきます。この自然の心情描写とも言える表現が集中的に見られる作品が本作『武蔵野』です。


本作は日本で初めて「言文一致」で書かれた随筆体小説作品です。ツルゲーネフを媒介として接していた二葉亭四迷の筆致の影響もあり、独歩は自らに湧き起こる感情を自然に描こうとするあまり、口語体での執筆を行いました。この手法では自由や解放といった効果だけでなく、自我の主張という意味合いが文体に宿り、読む者へ心情の変化を感じさせます。広大な武蔵野の落葉樹林を美しく描くなかに、独歩の苦悩する心情が見えて、訴えるように読者に迫ります。この感情は郷愁的なものではなく、新たな視点による新たな景色の新たな描写であり、自然に眼に入る景色を映す描写ではなく積極的に景色を切り拓いていくからこその力強さを持っています。自我を通して自然を、自然を通して自我を、それぞれ見据えたその奥に、神や運命というものが見え隠れします。


すなわちかような町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えて言えば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が二つ三つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点を言えば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ち合って、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。


独歩の見せる新たな描写は、実際の景色の美しさに「目にも留まらないような暴かれた美」が込められています。彼が苦悩の末に持ち得た「独特の積極的な観察眼」は、口語体の自然な獨白に乗せられて、読む者の心へ滑らかに入り込んできます。社会の俗物性を受け入れないままに、理想主義的な美の探究が本作には随所に込められています。

独歩の生きた時代に彼の作品はあまり評価されませんでしたが、現在では日本文学ロマン主義のなかで絶対的な存在感を放っています。彼の代表作『武蔵野』。非常に心を揺さぶられる作品ですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


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