『獨樂園』薄田泣菫 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ロマン派そして象徴派に挙げられる薄田泣菫(すすきだきゅうきん 1877-1945)は、詩人として日本で初めてソネット(絶句)を発表し、文士として芥川龍之介を文壇に立つ足掛かりを与えました。
詩人の島崎藤村、土井晩翠による「藤晩時代」が切り開いた詩壇におけるロマン主義は、明治後期に活躍した「泣菫・有明時代」が引き継ぎました。語彙や拍に工夫を凝らした蒲原有明、漢詩や古語を活用した薄田泣菫は、素晴らしい詩篇を数多く残します。当時の泣菫の代表作『白羊宮』は古典ロマン主義の絶頂に達したと言われ、後世に名を残す一因となっています。しかし時流の動きは速く、島崎藤村の小説にも見られるように文壇が自然主義へと傾倒していくと、象徴派の有明は批判を強く受けて精神を病み、泣菫はパーキンソン病の罹患で療養を余儀なくされ、二人の詩壇における活躍は徐々に遠のいていきました。
泣菫は病が発症する少し前の1915年に、大阪毎日新聞社でコラムの先駆けと言える『茶話』の随想連載を始めます。これが大いに読者に受け入れられ、後の彼の代表作の一つに挙げられるものとなりました。泣菫は手足の自由が利かなくなり始めると休職して治療に励みながら、夫人に口述筆記を依頼して随筆を幾つも発表します。本作『獨樂園』もその一つで、晩年の作品にあたります。
同じ「自然」から創作すると言っても、自然の在り方から飛躍して想像力を働かせる島崎藤村とは異なり、泣菫は、自然そのもののを仔細に見つめて感情を共鳴させる表現が多く見られます。花びら一枚、雫の一滴、風の流れ、虫の所作、熟れた果実の爆ぜ、日々の生活において気付くことのできない細かな息吹に、泣菫は目と耳を凝らします。そこから語りかけてくる「自然の声」は病床の彼を励まし、生気を与えます。詩人としての感性が小さな一つの変化に美しさを添えて文章を生み出し、自らを悲嘆から抜け出させる励みの力を打ち出しています。そして感じられる生命の萌芽、溢れる活力は、病で疲れた彼の心にこそ強く響いていたと思います。また、その感銘の強さこそが、随筆の美しさに昇華されていたとも考えられます。
病に臥しながら命を紡ぐように書き上げられた文章の一つ一つは、築き上げられた人生観を形作るように綴られていきます。生活における喧騒で目も耳も閉ざされている日々の中で、豊かな生命が身の回りに溢れていることを本作は気付かせてくれます。そして自身の魂が痩せ細り、心を狭く苦しめることとなっていることを目の前に突き付けて省みさせられます。
自邸を「雑草園」と名付けた泣菫。そこで暮らして見出した生命の息吹は、彼の心と魂を救いました。「獨樂園」と名付けた本作は、闘病中に出会った自邸に溢れる生命で埋め尽くされています。抱えていた苦悩や苦痛を吐き出すのではなく、詩才を存分に発揮した魂の美しさを文章に宿して書き貫いていることが、彼の魂が清く浄化されていることを強く感じさせられました。
生活に追われて幾つもの大切な魂を見失っている現代人にこそ、響くものが多くあると言える本作『獨樂園』。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。