『美少年』団鬼六 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
団鬼六(1931-2011)は、滋賀県で映画館を営む父親の元に生まれました。この「金城館」は幼い頃の遊び場でもあり、早くから映画に触れて感性を磨く場でもありました。しかし鬼六が十二歳のとき、父親は相場で大きな借金を抱える事になり、全てを手放して大阪の軍需工場で働くことになったため、鬼六も大阪へと移り住むことになりました。関西学院大学中等部へ進学すると勤労動員として鬼六自身も軍需工場で働くことになります。この頃から文学に関心を持ち始め、井原西鶴などの浮世草子に惹かれていきます。そして高等部へと進み、多感な年頃となった頃にサディズム・マゾヒズムを中心に取り扱った雑誌「奇譚クラブ」に出会います。強い性的衝撃を受けた鬼六は、自身の性癖に戸惑いながらも深く興味を持って追求していきます。また、同時期には学内に演劇部を設立させて学生コンクールで鬼六の手掛けた脚本が賞を受けるなど、文学の才能も開花し始めていました。進学を続けて関西学院大学法学部を卒業すると、1957年に文藝春秋「オール讀物」新人杯で『親子丼』が次席入選し、本格的に執筆活動が始まりました。
前述の井原西鶴や岡本綺堂などの作品に影響を受けた鬼六は、それらに傾倒した文芸作品を生み出していきましたが、先物取引などの自身の経験を反映した作品なども並行して発表していました。映画化など、順調に作家として生計を立てられるようになると、鬼六はバーの経営や相場に手を出し始めます。これらが見事に失敗し、全てを手放して、後の妻となる英語教師の伝手で中学校の英語教員となりました。この頃、個人的趣味の延長で執筆していた官能小説が「奇譚クラブ」で連載され、思いの外の大評判となり、官能小説の枠を超えて世間一般の読書層に受け入れられました。これが後に日活ロマンポルノで映画化されて大成功した『花と蛇』でした。その後、ピンク映画の脚本や映画製作を生業とする「鬼プロダクション」を立ち上げ、1970-1980年代を牽引するSM映画の巨匠として世に知られるようになりました。こうして作家として大成功を収めた鬼六でしたが、1990年頃になってまたしても多大な借金に苦しめられることになり、手にした豪邸も手放すことになりました。
本作『美少年』は1996年の作品です。1989年に絶筆宣言をし、その後、1995年に作家として復活した頃の作品です。晩年(2000年以降)のエッセイ中心に向かって、本来の官能小説から文芸性を帯びた作風へと変化していく時期の作品で、鬼六自身も多くの経験を乗り越えた、或る種の達観を備えた作品となっています。語り手の名が明かされないことから私小説の要素を含んでいるように感じられ、当時の鬼六の年齢とも重なり、実際の出来事も含まれていることが見受けられます。しかしながら、読み進めると詰将棋のように現れる見事な文芸性を考えると創作が大部分であることが窺えます。この「ファクション」(フィクションの要素を含めたノンフィクション)の描き方によって、より劇性と臨場感が高められ、作品の持つ熱量を大きくしています。
冒頭は四十年前の大学生時代を懐かしむ、語り手とその友人の会話から始まります。主人公は学生時代を懐かしむ会話のなかで、徐々に当時の思い出を鮮明にさせていきます。そして過去に戻り、詳細を一人称で語り始めます。
主人公は学生時代に、美しい容貌の舞踊の家元の御曹司と出会います。風間菊雄というその下級生は邦楽部で、主人公は軽音学部であったため、それが近付く切っ掛けとなりました。菊雄はあまりに美しく妖艶で、主人公は彼女がいるにも関わらず性的に惹かれていきます。言動の全てが理想の女性のようであり、尚且つ、主人公に対して熱心に尽くすため、主人公は心を異性に対するように開いていきます。そして、菊雄はホモセクシャルであることを明かして、主人公もまた一線を超えて接し、軽い肉体関係を結ぶことになりました。しかしこの関係はやがて周囲に明らかにされ、彼女の久美子、その友人のマリ子、学生ヤクザと言われる山田に知られ、菊雄との関係を問い詰められます。
周囲の視線が苦痛となってきた主人公は菊雄との関係を解消させたいと思い始めていたとき、菊雄の行動が主人公の逆鱗に触れて、一気に関係を解消させようという決意を固めさせます。卒業が近づいて主人公との別れを惜しんだ菊雄は、主人公の決まっていた東京の就職先へ断りの手紙を差し出して、菊雄の家元が進める新たな事業へ携らせようとしたのでした。主人公は以前から菊雄と肉体関係を持ちたいと言い寄っていたバイセクシャルでもある山田に協力を仰ぎ、菊雄を罠にかけて陵辱する計画を立てます。何も知らずに主人公の下宿にやってきた菊雄を、服を剥ぎ取り、鴨居に結び付けた縄に吊り下げて、屈辱的な姿を晒させます。そして山田が呼びつけた情婦のマリ子と、主人公と別れた久美子たちと一緒に、絶望的に菊雄を蹂躙します。
本作は過去を回想する枠物語として語られます。四十年の時を経た主人公と、末期癌に冒されて死を待つだけの山田の再会によって、ようやく思い出を掘り起こすという内容です。稀有な経験を超えてきた鬼六の辿り着いた虚無主義(ニヒリズム)とも言える物語の終幕に、官能小説の枠を超えた美と恐怖を感じさせられます。現在の山田が語る、マリ子の死、久美子の死、そして菊雄の死が一本に連なるとき、読み手に深い執念を垣間見せます。
菊雄が勝手に就職先へ送り付けた手紙を持って、舞踊の舞台準備をしている菊雄の楽屋へ主人公が押し掛ける場面で、菊雄は「どうしても東京へ行きたいのなら行きなさい。うちは清姫になってでも追いかけて行くさかいな」と、激しく言い放ちます。菊雄が出演する演目は、歌舞伎舞踊の中の代表的な演目である「京鹿子娘道成寺」(きょうかのこむすめどうじょうじ)です。この清姫として菊雄は登場することになっていました。
その前日譚である「安珍清姫伝説」は、悲恋と情念が主題となっている物語です。美しい容姿をした山伏(山中で過ごす修行僧)の「安珍」が宿を借りに訪れると、豪族の娘「清姫」はひと目で恋に落ち、感情を抑えられずに、その日に夜這いを掛けて迫ります。僧である安珍は喜ぶと共に修行の身であることを思い返して困惑して戸惑い、「修行の帰りに再び立ち寄る」という言葉を残して、清姫から逃げるように立ち去りました。安珍が逃げたことを悟った清姫は憤激し、後を追い掛けました。神仏に願いながら必死に川を渡って逃げる安珍を、怨念によって龍蛇に変貌した清姫が火を吐きながら追跡します。道成寺に辿り着いた安珍は梵鐘を地面に下ろしてその中に閉じこもりますが、清姫はその鐘に身体を巻き付けて、鐘ごと安珍を焼き殺してしまいます。安珍を滅したあと、清姫は道成寺近くの入江で入水自殺をしました。
「京鹿子娘道成寺」はその後日譚として成っています。清姫に執念の炎で鐘を焼かれた道成寺は、暫く女人禁制とされていました。そして新たな鐘が漸く奉納される運びとなりましたが、そこに白拍子(舞踊の芸人)の花子がやってきます。鐘の供養があると聞いたとして訪れ、拝むことを懇願する花子に、舞うことを条件に道成寺の修行僧たちは入山を認めました。花子は舞いながら鐘に近付くと龍蛇へと変貌し、花子は清姫の怨霊であったことが明らかにされます。こうして新たな鐘も清姫の祟りに遭ってしまいます。そこへ破邪の青竹を手にした押戻(妖魔祓い師)の大館左馬五郎が登場し、怨念ごと清姫を祓い、退散させて幕が降ります。
この物語に見られる清姫の煩悩、その執着は菊雄の欲望に呼応します。山田によって明かされる、事件の数年後に起こった菊雄の服毒自殺は、純粋な悲しみだけではなく、清姫の怨念による蘇りを連想させます。そして山田が語った近年のマリ子と久美子の死、さらには山田自身の癌による死は、清姫のような菊雄の怨念の所業ではないかと考えさせられます。青竹を持った大館左馬五郎の居ない主人公は、清姫の祟りに怯える余生が目に浮かびます。
菊雄は大阪生まれなのに標準語を使うのだが、これは本人にいわせると他所行きの言葉、親しくなって来た人間には彼は気軽に関西弁を使う事になる。これも家庭の躾というものだろう。
菊雄に対する清姫の投影、言い換えれば演劇的な憑依性は、この文章からも感じられます。家元の御曹司としての役を標準語で演じ、自己を曝け出す内面の役を関西弁によって演じるという、意識して自己を切り替えていることが窺えます。そして美しい別れのために役を作って訪れ、山田の強襲にあった被虐の表情はイエス・キリストの如き殉教的なものでした。千変万化する菊雄の表情は、精神の髄から演者的なものであり、生きる行為そのものが劇的なものであると染み付いているように思えます。だからこそ、最終的に服毒して清姫のように怨霊となって恨みを晴らそうとする行動は、菊雄にしてみればごく自然であり、不可思議な説得性を持たせています。
団鬼六の世界は、表面的に見える激しい性描写よりも、隠された演劇性と、込められた心理性に重点が置かれています。清姫の煩悩と怨念のような菊雄の劇性、鬼六自身の実体験に基づく心理の揺らぎ、これらを一貫した世界で官能的に描いた本作『美少年』は、鬼六の持つ文芸性を存分に発揮した作品であると言えます。
直接的で激しい性描写や陵辱の場面が苦手な方もいるかもしれませんが、私小説の枠を超えた深みのある文学作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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