『タイタス・アンドロニカス』ウィリアム・シェイクスピア 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、劇作家として活躍する初期の1588年から1593年の間にこの劇を書いたと考えられています。『タイタス・アンドロニカス』は、彼の作品のなかで最も暴力的で血生臭い作品の一つであり、名誉の力と暴力の破壊的な性質を題材として描かれています。
執筆当時のエリザベス朝時代では、ラテン文学と称されるオウィディウス、セネカなどによる古典的な悲劇が非常に人気がありました。復讐、惨殺、残虐行為、幽霊、そして大言壮語な弁舌など、明確な特徴を持った作風は「流血悲劇」(血の悲劇とも)と呼ばれ、現在の劇作家へも影響を与え続けています。当時の作家も当然ながらに影響を受け、多くの凄惨な悲劇を生み出しました。シェイクスピアも同様に影響を受け、この作風で人気を高めていたトマス・キッドの戯曲『スペインの悲劇』は、『ハムレット』の原作として用いられています。これに留まらず、クリストファー・マーロウ『マルタ島のユダヤ人』、フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーの合作『処女の悲劇』など、多くの作品が演じられました。始めから終わりまで、これでもか、という惨劇が続くという凄まじい内容の数々ですが、このような残酷悲劇を受け入れて楽しむという雰囲気が、当時の英国にはあったと言えます。
シェイクスピアが描いた惨劇『タイタス・アンドロニカス』も、エリザベス朝時代の舞台で最も人気のある演劇の一つとなりました。本作は極めて凄惨で残虐な内容のため、本当にシェイクスピアが執筆したのかと疑われたほどです。描く時代は、恐らく五賢帝が治めたのちに訪れた三世紀の危機や東西ローマの分裂などで衰退を見せていた頃のローマ帝国と思われます。
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利を齎してローマに凱旋します。民衆は喝采をもってタイタスを迎え、空位のローマ皇帝に即位するように要望しますがタイタスは相応しくないとして断り、代わりに先帝の長男サターナイナスを指名しました。捕虜としてゴート族女王タモラとその息子たちを捕えて連れてきたタイタスは、ローマ帝国の慣例に従って、戦いの犠牲となった彼の息子たちの弔いのため、タモラの必死の嘆願にも関わらず彼女の長男を儀式的に恨みを晴らす生贄に捧げました。一方で、新皇帝サターナイナスは、捕虜である女王タモラに惚れてしまい、即座に皇后に迎えました。タモラは、息子の恨みを晴らすため、情夫エアロンや生き残った息子たちと共謀し、皇后という立場を最大限に活かして、タイタス一家を次々と罠にかけ、その名誉と幸福と生命を次々に奪っていきます。悲嘆に暮れて平常心を失ったタイタスは、それでもタモラ一味への復讐を誓い、凄惨を突き返すように謀をめぐらして対抗します。互いの憎悪は復讐の連鎖となって、絶望的な地獄絵図を描き出します。
タイタスの娘であるラヴィニアが凌辱される場面は、オウィディウスの『変身物語』におけるプロクネーとピロメーラーの描写が踏襲されており、無惨で強烈な印象を与えます。彼女はタモラの策中によって行われる狩りの最中に、森の中でタモラの息子二人によって残酷に強姦され、両の手首を切り落とされ、言葉を発することができないように舌を切り取られました。この場面より、彼女は常にステージ上で無言の象徴的な恐ろしい存在となり、父親タイタスがより多弁となって苦しみの表現を助長させ、血塗られた復讐の共犯者となります。あらゆる伝達手段を奪われ、最も重要な貞操を奪われた彼女は、シェイクスピア作品の中で最も無力な被害者の一人に見えますが、彼女が肉体的に欠損することによって、本作の物語と主題の重要性は高まり、舞台上での無言の演技は観客の注意を強く引き付けます。
また、タイタスによる終盤の復讐では、弟のアトレウスによって虐殺され、自分の子供で作られた人肉のパイを知らぬ間に食べさせられた、セネカによる『テュエステス』が踏襲されています。タモラに息子二人の血と骨を用いたパイを食べさせるという憎悪の極みの描写は、タイタスの心情が狂気的なほどに攪拌されたことが伝わってきます。そして、タイタスが登りつめた民衆の英雄としての人生的絶頂から、全ての幸福を剥ぎ取られて奈落へと転落していくさまは、名誉の失墜と憎悪の激しい暴力が両極的に描かれており、観客(読者)へ激しい恐怖を与えます。
また、義があれば殺しも正当化されるという考えのもとで行動するタイタスは、気付かぬうちに自己矛盾に陥っています。タイタスは自分に逆らう息子を自ら一太刀で死に沈めますが、サターナイナスに処刑されると泣いてもがき苦しむという行動を見せます。誰がどのような経緯で死ぬかということで、人の命の価値が変わるという矛盾の引き金は、やはり名誉と愛が関わっており、結果的には伝統を重んじる名誉の尊重が彼に悲劇を与えたという見方もできます。
本作を蹂躙するエアロンの狂気的な残忍性は、タモラの冷酷で打算的な毒婦性と絡み合い、凄惨な描写を数多く生み出すことになっています。登場人物すべてに憎悪を生み出させる彼らの存在は、絶対的な自己尊重をもとに構築しています。しかし、互いの名誉が一人の赤子によって道を違えたために、双方に破滅の隙を与え、タイタスの復讐に呑み込まれていきました。復讐合戦によって地獄絵図と化した最終幕では、唯一とも言える民衆の強い指示を得ていたタイタスの子ルーシアスが光を僅かに見せてくれます。直情的な戦士であった彼は、目の前に広がる凄惨を前にして、それでも皇位を立て直そうと試みます。彼に芽生えた責任と誇りは、残酷な悲劇の末に生まれた僅かな希望として描かれています。
シェイクスピアが後期に執筆する偉大な悲劇の核となる登場人物の性質が、既にこの段階で芽を出していました。本作は、流行に流されただけでなく、彼独自の天才性の芽生えを随所に滲ませた作品であると言えます。確かに残酷な描写の多い作品ですので読者を選ぶかもしれませんが、興味を持たれた方はせひ、読んでみてください。
では。