見出し画像

『水晶』アーダルベルト・シュティフター 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

短篇集〝石さまざま〟中の1篇。クリスマスの前日、兄と妹はアルプスを越えて祖父母の許へ行き贈物をもらって帰途についた。妹ザンナは黒衣に落ちる一ひらの雪を捉えて大喜び、それが遭難の前触れとも知らずに。


フランス革命より展開したナポレオン・ボナパルトによるヨーロッパ侵略は、ワーテルローの戦いにより終結し、オーストリア外相メッテルニヒが主導となってヨーロッパ諸国は「絶対王政」の姿へと戻っていきました。この1815年に確立したウィーン体制は、ナポレオンによって排除された君主たちを元の地位に据えることが目的でしたが、再び革命が起こらないようにと、フランスではより一層に国民へ強い締め付けを与える政策を打ち出していきます。「選挙権が欲しければ資産を持て」という強硬な抑圧を与え続けられた国民は、生活苦が重なり、絶対王政に対して不満を募らせていきます。その後、国民の不満は王政に対する反対運動へと変化して、1848年の2月に市民が蜂起して王政を否定すべく革命を起こしました。この王政の否定はヨーロッパ諸国へと波及し、翌月にドイツのベルリン三月革命、オーストリアのウィーン三月革命、ハンガリーでの民族運動、イタリアでのミラノ蜂起など、次々と変革が波及しました。これらのウィーン体制を終わらせた1848年革命は「諸国民の春」と呼ばれ、各国の真の意味での自立へと繋がっていきます。


ドイツ(プロイセン)とオーストリアにおける三月革命では、メッテルニヒの退陣や王政の否定といったものだけでなく、ドイツの統一を目指すという民族主義的な意味合いが含まれていました。メッテルニヒの退陣によって国政における規制は緩和し、思想や哲学は自由主義的な方向へ傾き、集会や出版などは検閲が緩くなっていきます。しかし、ドイツの統一へ向けては、全統一を望む「大ドイツ主義」とオーストリアの合併を望まない「小ドイツ主義」による意見対立が起こり、一年の期間を経て、結果的に統一は失敗に終わりました。これに乗じた保守貴族たちによる反動時代(絶対王政への回帰を望む運動)がすぐさま始まり、大多数の市民は失望し、政治への関心は「諦めの心」によって離れていきます。市民は再び苦しい環境へと追い込まれることを恐れ、少しでも財を築こうと経済へ関心を強め、産業革命を推し進めながら世界的にも認められる技術革新の先端を進むことになりました。


再び抑圧された立場を与えられた市民の間では、文芸の思潮も徐々に変化していきました。革命によって高まった理想主義は影を潜め、目の前の技術革新によって潤った経済のなかで、想像力から科学力を重んじるようになり、その認識によるリアリズムの風潮が強まっていきます。しかし、人間の内面にある抑圧された「感情」はおさまることなく、ある種の懐古的な思想が見え隠れする思潮も併存していました。このような蟠りのある感情による文芸思潮は、技術革新の恩恵である輪転機の普及によって書籍の流通量が増したことで加速し、市民の識字率は向上し、文学というものが貴族層から市民層へと読者を拡大させていきます。


ドイツロマン派が中心となっていた思潮は、リアリズムへの移行と市民層への拡大によって、身近な現実を題材とした「客観的な視点」での作品を生むように変化していきます。日常の出来事や風景、そして口語的な会話で進められるリアリズム文学は、「既成の作り上げられた価値観を見直す」という行為として認められ、新たな読者層である市民たちへ強い共感と新たな目線を与えました。そして作家は次代へと希望を繋ぐように未来ある青年へ「教養的要素」を踏まえて読みやすい作品を生み出します。読者の内面へと訴えかける強い思想は、身近で現実的な物語のなかで信条や信仰を併せて説き、その精神を次代で開花させようとする作家の意思が窺えます。本作の著者アーダルベルト・シュティフター(1805-1868)も、この時代に苦悩し、次代へと思いを馳せた作家の一人です。


彼はボヘミア王国の山村の織物商を営む父親のもとに生まれ、自然の豊かな地で育ち、詩性溢れる感性に導かれるように画家を目指しました。彼は十二歳にして父親を事故で亡くし、苦しい経済状況での生活を与えられますが、その後成長し、経済状況を改善させるために法律を学びながら家庭教師として生計を立てるため、ウィーンへと乗り出します。そこで彼は、田園的な独自の世界を描いた作家ジャン・パウルに心酔し、持ち前の詩性を発揮して短篇『コンドル』を執筆しました。幸いにもこれが文壇に受け入れられ、画家の道から作家の道へと歩みを変化させていきます。本作『水晶』は、その後に発表した「石さまざま」という短篇集に収められている作品で、厳かで美しい大自然を背景として、与えられる試練と忍耐を、強靭で純粋な人間愛が精神を高め、そこに信仰と神的な力が働きかけるという、とても輝かしい理想的な世界が描かれています。彼が込めた思想は、「石さまざま」の序文に書かれています。


内的な自然、すなわち人間の心についても事情󠄁はおなじである。ある人の全生涯が、公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆賞にみちており、明るい落ちついた生き死にと結びついているとき、わたしはそれを偉大だと思う。心情󠄁の激動、すさまじい怒り、復讐慾、行動をもとめ、くつがえし、變革し、破壊し、熱狂のあまり時としておのが生命を投げだす火のような精神を、わたしはより偉大だとは思わない。むしろ、より小さいものと思う。なぜなら、それらは、嵐や、火山や、地震などとおなじく、それぞれの一面的な力の所產にすぎないからである。われわれは人類のみちびきとなるおだやかな法則をみつけることにつとめたい。

アーダルベルト・シュティフター「石さまざま」序


都市部から遠く離れた山間部の盆地にあるクシャイトという村で、道楽者であった靴職人が隣村ミルスドルフに住む愛しい女性との結婚を認められるため、心を入れ替えて熱心に職に取り組み、名実ともに素晴らしい職人となって結婚が叶いました。数年が経ち、生まれた男子コンラートと妹のスザンナは恵まれた環境で育ち、心清らかに愛し合いながら成長しました。靴職人と舅の関係はどこかよそよそしいものがありましたが、二人の兄妹は双方を愛し、祖父母の待つ隣村まで数時間を掛けて何度も訪問していました。山間部の二つの村は、その距離や文化による違いによって深く関わり合うような様子は無く、「別の地の人々」という他族意識を持っていました。靴職人とその妻は、いわゆる異例の婚姻を成したわけで、この家族そのものが双方の村人から「どこかしら他族的」に感じられており、会話や関わりにおいてもどこか距離を保ったような関係性の状態にありました。

ある年のクリスマス・イヴに、兄妹は普段の如く祖父母のもとへ向かおうとします。晴れ渡る冬の空を見上げて両親は許可を出し、慣れた道のりを二人で歩いていきます。聖夜を前にした訪問は祖母に大きな幸福を与え、歓待したのちに食糧や贈物を持たせて早い時間に帰らせました。時間が早いことを理解していた兄妹は山道を遊びながら歩きます。すると、あれだけ晴れ渡っていた空はすっかり雲で覆われて、しんしんと雪が降り始めます。その美しさに兄妹は喜び、舞う雪と戯れるように歩いていきました。しかし、美しい雪は大自然の脅威へと変化して、少しずつ舞っていた雪は視界を遮るほどの強さで降りだし、やがて山道を全て白で覆ってしまいます。兄妹はあたり一面の白い景色を眺めながら、方角も高低差も分からず、勘のみを頼りに歩き進みます。当然のように道に迷った二人はそれでも歩みを止めず進み続けると、やがて万年雪の地帯へと辿り着き、教会の如く聳え立つ氷の世界へ足を踏み入れます。雪から身を守るため、氷の狭間にできた洞窟へと身を宿し、夜深くなった時間を眠気と闘いながら避難します。妹を襲う睡魔を追い払うように、兄は必死に優しく語り掛け、その注意を会話や景色や希望へと移していきます。そして雪が止み、見上げた満天の星空には、リボン状の幻想的な緑の帯が現れ、兄妹はそこに「イエス・キリスト」を認めました。


舞い降りる雪から豪雪へと変化する自然の脅威は、幼い兄妹の対照となり、より強大な印象を与えるとともに、人間の弱さや脆さを象徴的に表現しています。そして辿り着く堅固な氷の城は、自然が保っている絶対的な強靭さを見せ、恐ろしさを感じさせながらもその強さで兄妹を守るという寛大さをも併せ持っています。これは自然による「絶対的な強さ」とも言えるもので、地球上のひとつの法則であり、これに対して「反抗ではなく順応」しようとする兄の行動に、「自然」の或いは「神」の加護が与えられています。そして、その兄に健気に寄り添って全てを肯定する妹の姿には、人間の弱さと善の心が「信仰的」な行いに映り、自然が呼応するように緑の帯という「オーロラ」を神的に映し出しています。シュティフターは、自然の絶対性と人間の理性を「信仰」というオーロラで繋ぎ、描写こそ幻想的であるものの全てをリアリズムで描き、その理性には緻密さを埋め込んでいます。そして根底に潜ませる理想主義が、自然と人間の「信頼性」という繋がりと、「信仰」という救いを美しく描きだしています。


それは綠にかがやき、しずかに、しかも生き生きと、星のあいだを縫って流れた。と見ると、弓形の頂點に、種々の度合でひかっている光の束の群が、王冠の上べりの波形のように立ちのぼって、燃えた。その光は、あたりの空を照らして、あかあかと流れた。また、音もなく火花を散らし、靜かにきらめきながら、ひろい空間をつらぬいた。空中の電光の總量が、前󠄁代未聞の降雪󠄁のために緊張して、このような無言の荘麗な光の大河となって、ほとばしったのであろうか。それとも、それは別のきわめがたい自然界の法則によるのであろうか。


三月革命から失望までを過ごしたシュティフターは、その後に産業革命による経済成長へと舵を切った「社会や民衆」に対して警句を発しています。人口の都市集中化や工業の拡大と発展は、謂わば「自然から離れようとする行為」であり、自然と人間の信頼関係の放棄とも言える行いでした。自然からの恩恵やその強大な存在は、共存により信頼を得て「信仰」として繋がることこそ「人間の幸福」へと繋がるという表現で、当時の産業発展に熱を入れた民衆へ批判を与えています。


シュティフターが思い描いた理想郷は、実際としては実現は困難かもしれませんが、そこに見られる自然と信仰への姿勢は、現代にも通ずる精神的な教養を含んでいるように感じられます。聖夜の奇跡を映し出す本作『水晶』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集