カッコよかった
コロナ禍になってすでに2年。
仕事はことごとくオンラインに代わり、対面で人と話すことはグンと減りました。
そんな中、先週は2年ぶりにイベントの対面通訳がありました。世間話や雑談というものを初対面の仕事関係の人とすることが妙に新鮮で、コロナ前は普通だったことがいかに普通でなくなっていたかを改めて感じました。
ヒトとの距離
そして、この2年間、ヒトとの距離をこれほど考えたこともなかったように思います。
コロナ禍の中での感染対策への考え方もヒトそれぞれなので、お茶や食事を一緒にするというお誘いも、「誘ってよいのか、よくないのか」というラインを相手ごとに常に考えていた(そして今も考えている)気がします。
これまで自分と同じ考え方だと思っていた人と、コロナに関して予想以上に考えに開きがあって驚いたり、スーパーで落とし物をした人に拾って手渡してあげようと思っても、「他人に触られたくないかも」と思って躊躇したり。
こんな小さなひっかかりのせいで、私は必要以上にヒトとの距離を作ってしまっているのではないか、そんな風に思う出来事がありました。
週末の出来事
週末、夫と少し遠くまで散歩に出かけたときのこと。
散歩の途中、そこそこ車や人の往来がある道端で、地面にしゃがみ込んでいる男性と女性の姿が見えました。二人のそばには横倒しになった自転車があり、俯いて動転した風の女性に男性が何か話しかけています。
女性は50歳前後、男性は30代ぐらいでしょうか。
私は二人の姿に多少の違和感を感じたものの、知り合い同士だろうとあまり気にせずそのまま前を通り過ぎようとしました。
一方、夫は私より強く違和感を感じたらしく、二人に「どうされました?大丈夫ですか?」と話しかけました。
「実は…」と男性の方が話すのを聞くと、
自転車に乗っていた女性が横転して動けなくなっていたのを、車で通りかかった男性が見つけ、起き上がって地面に座れるように手を貸していたとのこと。
「何かできることはありますか?」と聞くと、「では…」とまた男性が答えます。
「このかたがここから動けないとおっしゃっているので、救急車を呼んでもらえませんか?」
続けて男性からはこんな説明がありました。
自分は今ちょうど介護施設の送迎の途中で、利用者さんを送って行くために運転しているワゴン車を向こうに停めている。
車の中の様子を見てくるけれど、利用者さんたちをこれ以上待たせるわけには行かない。
もしも時間があるなら、大変申し訳ないけれど、救急車が来るまで僕の代わりに女性に付き添ってあげてほしい、と。
私たちに異存はなく、救急車を呼び、付き添いを交代することにしたのですが、「このまま地面に座っているのは辛いから、立ち上がりたい」と女性に言われ、身体を支えようとしたものの、どこをどう支えてよいのかわからずアタフタするばかり。
おまけに、コロナの今、私たちが身体に触れることで女性が気にされるのではないのかと考えたりもしたので、ますます中途半端な状態に。
ちょうどそこへ車を見に行っていた男性が小走りで戻ってきました。私たちの様子を見てとると、迷わずグッと女性の腕と腰を支えて引き上げました。すると、痛さに顔を歪めたまま、とても立ち上がれそうになかった女性がスッと立ち上がれたのです。
そして、男性は女性の腕を支えて、落ち着かせるように背中を優しくさすってあげていました。
なすすべもなく見ているだけだった私たちは、思わず「うわ〜、すごい!」と拍手喝采。
それに対して男性は「僕は、しがない介護職員なんで、こういうのは慣れてます」と照れ笑い。
続けて「では、本当に申し訳ありませんが、付き添いよろしくお願いします」と私たちに頭を下げると、立ち去って行きました。
その後、救急車が来て、無事に付き添い役は終了。
カッコよかった
ほんの短い時間のことで、今では男性の顔も姿も覚えていませんが、とにかく全てがとびきりカッコよかった、それだけは強く印象に残っています。
小さな違和感を無視して二人の前を通り過ぎようとした自分が後ろめたく、生身の人を前にどう手を貸せばよいのかわからずオタオタした自分が情けなく、いろいろと考えさせられた午後でした。
自分の「人間の格」が問われたようで、今もチクチクと棘が刺さっているようです。
コロナであってもなくても、助けを必要とする人にスッと寄り添える人になりたい、そう思いました。
あのときの介護職員さん、本当にカッコよかったですよ。