見出し画像

田山花袋『蒲団』面白いのはラストシーンだけじゃない!!!(個人的主観で暴走してます)



はじめに

 田山花袋『蒲団』を1年ぶりに読んだ。

 1年前はラストの語り手(時雄)の行動に「気持ち悪っ…」と思い、すべてもっていかれた。ラストの行動が気持ち悪くて、「いい年したおっちゃんが何言ってるの!!!勘弁してよ」と思っていた。
 今回、再び『蒲団』を読む機会があり、上記のようなイメージから気乗りしなかった。
 しかし、実際に読んでみると「気持ち悪い」よりも「感銘を受けた」が勝った。(自分自身が1年前よりも、いろいろな視点から読めたのも嬉しかった。)
 ※以下、考察を書きますが、個人的主観がかなり反映されており、個人の意見であることをご理解ください。
 

 田山花袋の女性観

『蒲団』はラストシーンに目が向きがちだ。
しかし、私は時雄の「これからの女性のあるべき姿」について語っていることに感銘を受けた。具体例として、引用する。

「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手にうつるような意気地なしでは為方がない。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん。
「昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立っていかれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。」
一度肉を男子に許せば女子の自由が全く破れるということ、西洋の女子はよくこの間の消息を解しているから、男女交際をして不都合がないということ、日本の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主なる教育の題目であったが、殊に新派の女子ということに就いて通説に語った。

 このように、ところどころに田山花袋の考える「女性のあるべき姿」がにじみ出ている。女性も自立しよう!!というメッセージ性を読み取ることが出来、感銘を受けた。

 田中が読めない!!!

 まず、田中はどのような目的で芳子に近づいたのだろうか?という疑問が生まれた。このような疑問が生まれた理由として、芳子の父のセリフを引用する。

「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけではありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊まらせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでいるじゃで、どうかご察し下すって、私の学費を少くしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされているんではないですかな。」

「芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京にいるなども意味がありそうですわい。」

 このような父の主張に対して、時雄は「恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することもできますが。」と言い、父の考えを真っ向から反対しないものの、肯定できない態度を示している。
 しかし、田中の行動だけを見ていると、たしかに、芳子が騙されていると考えてもなんらおかしくはないように私は感じる。
 しかも、田中と芳子は最終的には肉体的に結ばれているような…?
 田中はどんな理由で芳子に近づいたの?本当に好きなのだろうか??

 田中のどこがいいんだろう…??

 最後に私の最大の疑問を挙げる。
 田中ってそこまでイケメンじゃないんでしょ?時雄曰く「年に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度」なんでしょ?しかも時雄だけじゃなく、時雄の細君も「顔の丸い」「厭な人」って言ってたよね??田中は時雄の主観だけではなく、あまりイケメンではなかった可能性が高いのではと推察する。しかも「不愉快な態度」「厭な人」って言われてるよね~、性格面でもあまり好かれる感じではなさそう…

 ここで私の疑問はただ一つ

「え?芳子は田中のどこがいいの??」

 気になる…。この疑問を解決したいです…。

おわりに

今回は、暴走気味に自分の気になった事を自由に書いてみました。
やっぱり語り継がれる作品には語り継がれる理由があるなあと実感しました。再読すると、ラストシーンだけではない、魅力を感じることができました。

#読書 #小説 #田山花袋 #蒲団 #文豪 #近現代文学 #本棚
#読書記録 #読了

参考文献
田山花袋『蒲団・一兵卒』(岩波文庫、1930年)

いいなと思ったら応援しよう!