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雷に打たれたことはありますか【#シロクマ文芸部】
海砂糖がいいと、言ってみた。
「次の三連休、沖縄に行くんだ」と、蒼井君は笑った。
「え? でも今、沖縄って梅雨真っ盛りじゃない?」
「一緒に行く人が、梅雨だろうと、今行きたいって言うから。花川さん、お土産、何がいい?」
一緒に行く人がいるのか。落胆した自分がいた。落胆した自分に、自分自身が落胆した。
「海砂糖がいい」
蒼井くんは、了解、と頷いた。
「青い海、見られるといいね」
「大丈夫。俺、晴れ男なんで」
蒼井君は同期で、掴みどころのない人だ。オフィスの隣の席で、よく独り言を言う。時々、ものすごく深い闇を見つめるような目をして、他人を寄せ付けないような雰囲気を纏っていることもある。その度私は、「お疲れ様」と心の中で呟く。
蒼井君の毎日に何があるのかは、さっぱり分からない。しかし、蒼井君の笑う目尻を見たとき、自分の気持が変化したことには、はっきりと気づいてしまった。久しぶりの、春雷のような感情だった。
かつて、雷に打たれたように好きになった人には、家庭があった。毎日、顔を合わせる度、必死で想いを嚙み殺した。けれど、想いは消えてなくなることはなく、日を追うごとに膨れ上がり、やがて狂気となった。私がもし先に彼に出会っていたら。彼の子供なら、どんな困難に見舞われても、何があっても産んで、守って育てるのに、なんて本気で考えて、自分自身にぞっとすることもあった。
蒼井君と一緒に沖縄に行く人は、どんな人なのだろう。背が小さくて、笑顔が可愛くて、メンタルが強くて、料理が上手い人なんだろうな、などと、思考回路がバグり始める。私とは正反対の、きっとそんな人だろうと。
三連休の最終日、沖縄で大きな地震があった。蒼井君に何かあったらと、本気で心配して、SNSの地震速報から目が離せなくなった。蒼井君と、LINEのアカウントすら交換していない自分が、蒼井君にとって特別な存在であるはずがないと気づき、すべての画面を閉じた。自分の気持ちが「その域」まで達していることに、気づかないままに。
月曜日、蒼井君は、何にもなかったように職場に来て、私の隣に座った。
ああ、無事で本当に良かった。
「おお、蒼井! 少し焼けたんじゃないかあ?」
黒崎部長が、蒼井君の肩をぽんっと叩いた。
「俺、晴れ男なんで。梅雨真っ盛りでも、快晴でしたよ!」
やっぱり蒼井君は何か持ってる人なんだ。
「で、どうだった、男二人旅は?」
え……? 男二人旅……?
「はい、大学の吹奏楽部の、卒業演奏会以来だったんですけど、とても楽しかったです」
体から変な力が抜けていくのを感じた。
気づいたら、呆然としていて、黒崎部長が去っていったことにも気づかなかった。さて、仕事だ。まずは、メールを確認して……。
ちょんちょん、と腕をつつかれた。
「花川さん」
「へ……?」
思わず情けない声が出る。
「これ」
差し出されたのは、海砂糖。
沖縄のきれいな海からしか取れない、幻のお砂糖だ。
「う……わあ! これ、現地でしか売ってない本物のやつ! ありがとう!」
蒼井君が、嬉しそうに微笑んだ。
「これ、花川さんにあげるから、一個もらっていい?」
私は、袋を開け、海砂糖をひとかけら、蒼井君の掌にころんと乗せた。もう一欠片を、自分の口に放り込む。
潮の香が広がる。しょっぱいけど、甘い。私の大好物の味。隣に蒼井君がいることも忘れ、目を閉じて口いっぱいに味わった。
目をあけると、蒼井君が優しく私を見つめていた。
雷鳴が、夜の終わりを告げた。
<終>
今週も、小牧幸助様の下記企画に参加させていただきます。
小牧幸助様、週末に皆さまの作品が読める、かけがえのない機会を与えてくださって、本当にありがとうございます。
「海砂糖」という不思議な言葉に夏の始まりを感じました。
小説を書き終えた後の憑き物が落ちた感覚は、一体何なのでしょうか。
今週も無事に書けました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。