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抽象画を描いたことで救われた話

まだ小説を書き始める前のこと。

コロナ禍のある日、部屋に絵を飾りたいと思った。
けれど、絵を買えるほどのお金がない。
だから、マスクをして電車に乗り、絵具とキャンバスを買ってきて自分で描いた。

デッサンは苦手だ。写実的な表現をするには技量が不足している。
とりあえず、自分のために、自分が見たい絵を描く事にした。

当初は完全に節約目的で始めたのだけれど、描くたびにこの抽象画めいたものにどんどんはまっていった。

絵の具をメディウムで溶かし、混ぜ、ぶちまける。
指でなぞって、一期一会の線を作る。
絵の具に洗剤を入れ、ぶくぶくとストローで泡を立てる。

楽しかった。

私にとって、抽象画を描く事は、セラピーの一種であったのだと思う。
当時、とてもとても難しい日々を過ごしていた。
人ってこんなに残酷になれるんだ、と毎日思っていた。

相手を傷つけるためだけに放たれる言葉が存在するなんて。

辛い。けれどお金を稼がないと生活していけない。
さて、明日からどうやって生きていこう。
週末はこの繰り返し。

たとえ、人物画が得意だったとしても、あの頃は、絶対に人物は描けなかっただろう。

とにかく描いた。
キャンバスを塗りつぶし、またその上から描いた。
ごく初期は、灰色がかった赤や、紫、緑。
グロテスクな色合いが多かった。

自分が限界を迎えているとわかった。

何度も描いた。

ぐるぐると様々な悪いものを巻き込んで、壊れながら回転する頭の中身を、全てキャンバスにぶつけた。

衝動、闇、叫び。

絵にしてしまえば、悪いものたちを閉じ込められると思っていた。
泣きながら描いた。

繊細過ぎるんだよ。
優しすぎるんだよ。
弱すぎるんだよ。

都合の良い理由で、故意に傷つけられるのは、本当にもうお終いにしたかった。

十回くらい描いたころだろうか。
徐々に、自分を受け入れることができるようになってきた。

だけど、部屋に飾りたいのは、こんな絵じゃなかった。

一番つらかったその時期は、冬だ。

早く、春が来てほしかった。

だから春の絵を描く事にした。
緑を、空を、花を、光を、その時持ち合わせていた技量で描いた。

上手い下手はどうでもよかった。

ただ、自分が見たいと思える春の絵が仕上がった時は、とても嬉しかった。

その絵は今でも私の宝物だ。


そして、今。
また絵を描いている。

あれからずいぶんと逞しく育ったものだと、道のりを振り返って思う。

あの頃は絵の具を使ってアナログで描いていた。
今は、デジタルで描いている。
この記事の見出し画像も、デジタルで描いた。

上手い下手、いい絵悪い絵、わからない。
自分がその絵を好きかどうかしか、わからない。

ちょっと今大きな曲がり角に差し掛かっていて、自分を見つめる作業が必要になっているのかもしれない。そのための絵なのかもしれない。

やっぱり春が来てほしい。
だから今日も春の絵を描いている。


title:陽光


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みんなのフォトギャラリーにも追加するので、使っていただけるととても嬉しいです。不定期ペースとなりますが、小説と並行して絵も進めていくつもりです。
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樹 立夏





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