とある小説を→短歌に翻訳して→小説に逆翻訳したら、こうなる。(#ハヤブサの群れ やりました。)
はじまり
ハヤブサの遊び方 #ハヤブサの群れ ver
さっそくハヤブサで遊んでみる
① あつまったものずき: みやり と 立夏 と ゆきんこ(New!)
②一人が青空文庫にある小説を短歌に翻訳し残る二人に伝える
ゆきんこが原作小説を短歌にしたもの
短歌をもらった時点の立夏の分析
立夏:
上の句が息→ささやき→言の束と、言葉それも音声発話系と思われる表現が続くことが特徴下の句にも叫びというものがあるので、これを上の句と同一人物の心情変化ととるか、上の句の人物の言葉を聞いて別人物が叫んだのかと取るかで物語はだいぶ変わりそう。
また、白・震え・風・溶けるなど、降雪地域を連想させる単語が多いと感じ、冬の話にしようかなぁどうしよっかなぁと考え中。
個人的には「〜叫びに」までで57577で成立している中に最後付与された「溶けるまで」という思い切った字余りを、翻訳として意味のある5文字であると捉え、真正面から受け止めたい所存。
字余りは余韻を残すための技法なので、この余韻を逆翻訳小説にどう活かしきるか、みたいなチャレンジをしたい、したいぞ!
それでは逆翻訳を見てみましょう。
③残る二人は元の小説が何かを知らずに短歌を読んで、小説を逆翻訳
※今回は原作小説を最後に記載します。皆様も是非何が原作か予想してみてください。
立夏版逆翻訳小説
前章迄、私達はエエ゙ヴィンゥヤイにまつわる伝承の妥当性を検討してきた。その上でこの最終章では、エエ゙ヴィンゥヤイの具体的な観察記録「鵢原紀行」に当たっていきたい。
民俗学の第一人者である柏葉長福氏によって書かれた「鵢原紀行」は北閉衣郡文織村が発足される前年、氏が実際に鵢原地方を訪れ数々の民間伝承を集めた記録であり、現在では民俗学徒を志す者のフィールドワーク入門書としての地位を確立する名著である。しかし──現在の私達には俄に信じ難いが──発行当時本書は出来の良いオカルト本程度の取扱を受けていた。その不遇な偏見の所以こそ、第五章「エエ゙ヴィンゥヤイ」の章(以下、第五章)である。その裏付けは「鵢原紀行」に対する学術誌の劣悪な批評からも容易に読取ることができるし、第五章が二版以降取除かれて程なく、氏が民俗学の権威として認められた事実も見逃すことはできない。識者諸君には説明する迄もないが「鵢原紀行」の真髄は第五章にこそある。
改めて宣言する。エエ゙ヴィンゥヤイは想像上の生物ではない。語り継がれる伝承に頻繁に顕れる為に、或いは浅薄なカルト雑誌で変死未解決事件の原因として誠しやかに推察される為に、心霊現象と誤認する者も少なくない。嘆かわしい限りである。無知を恥じよ。その無知は氏の功績への侮辱に等しい。しかしここまで私と共に本論を追い駆けた賢明な読者達は分かってくれよう。エエ゙ヴィンゥヤイは連続的意識を持った非連続的「実在」であると。
私は以下に第五章を全文引用する。氏と「鵢原紀行」への最大の敬意を込めて。過去の民族学会の最たる愚行を、学徒の端くれとして僅かでも償う為に。エエ゙ヴィンゥヤイと、その傍らとなったであろう全ての魂の為に。
*
雪山の麓、鵢原と呼ばるる村あり。村人曰く、麓より二里ほど山奥進みたるにエエ゙ヴィンゥヤイが住めり。
エエ゙ヴィンゥヤイは女人の姿なり。長き髪と着物は雪より透き通りて、生類の血を吸いて、より若き男の血を好むなり。
近くまで村人に案内をさす。村人は残るが畏しと言いて足早に立ち去りぬ。三日帰らねば迎えに来ると言う。我を助けるにあらず。亡骸を山に三日晒せば、エエ゙ヴィンゥヤイは気が狂いて村に災いありと伝えたり。
村人の持たせし糧を食い、エエ゙ヴィンゥヤイを待てり。
黄昏時より雪となる。日没となりいよいよ吹雪となる。
エエ゙ヴィンゥヤイあり。
エエ゙ヴィンゥヤイは、昨晩の黄昏より現在にのめり込みて同一なり、すなわち夢と現の境目なり。
少なくも人の業にはあることなし。されどエエ゙ヴィンゥヤイは同一なり。
エエ゙ヴィンゥヤイが小さく言葉を発したり。
エエ゙ヴィ、ウナイ、クグク、ヴ、ェエ
たちまち言葉は冷却す。たちまち結晶になるなり。
結晶は、鵢原の古い言葉とエエ゙ヴィンゥヤイの言葉と吹雪の混声音素なり。
エエ゙ヴィ、ウナイ、クグク、ヴ、ェエ、ェリィ
言葉集まりて、吹雪はいよいよ烈しくなるばかりなり。
そればかりが音素はたちまち結露し、我の肌を絶え間なく撃てり。
ンナヤイ、ンナヤイ、イ、イ、ヴ
エエ゙ヴィンゥヤイが言いて、長く鋭き歯を見せにこと笑いたり。
笑いたりて、三本の腕で我が首を絞めたり。何処かから村人の声あり。意識の混濁にあらず。朝から夜に滴り落ちたる音素なり。境目とは接点なり、今朝の因果と聴覚が和音たる淵になりき。
我が身は形代になりつつありて、歯はとうとう我が首元に突き刺さりき。
冷たく温かし。
エエ゙ヴィンゥヤイの唇が雪の如く冷たく、歯が炎の如く熱ければなり。
首筋より足元まで、血潮生温く流るるや。
流るる血を、エエ゙ヴィンゥヤイが、ごくりごくりと喉を鳴らしつつ流し込みて、更に一層欲したり。
悦びの声あり。
ンナヤイ、ンナヤイ、イ、イ、ヴ
ンナヤイ、ンナヤイ、イ、イ、ヴ、ェリィ
笑いし歯より、言葉が階調となりて次々と流れ凍りたり。
雪の結晶なれば目にも見るべきなり。きわめて恐ろし。
首元よりエエ゙ヴィンゥヤイに飲まれし血の流れは僅かながら、転調す。転調は、エエ゙ヴィンゥヤイの音素と我が血潮の不協和音が耐え難ければこそ、この世の理、必然なり。
脳髄で、今際の際にエエ゙ヴィンゥヤイに通ずる我が転調を、霊感したりと言えり、ヒトの印は走り去らんや。
我はがたがた凍えながら、是非もなしと、縋る思いで、あらぬ限りの声にて幾度も唱えたり。
エエ゙ゔィ、ウルない、ウ、クグくゥルぱ
えエ゙ヴィ、ウるナイ、う、くぐクぅルパ、ぇリぐェ
吹雪の絶唱となり、一切に響きたり。麓の村まで聞こえしと、村人ものちへ伝えき。
エエ゙ヴィンゥヤイは、ギャ、と呻きたり。
歯をずるりと我が首元より引き抜きて、苦し紛れに櫛振り乱したりて、とうとうエエ゙ヴィンゥヤイの顔を見たり。
雪の肌には目玉がなく黒き眼底のふたつの他なし。
ナんジなラざラんナ
これのみ人の言葉で言うを残して、エエ゙ヴィンゥヤイはどろりとその姿を崩したる。
やがて、死したり。
みやりさんのバージョンの逆翻訳小説も掲載されています。原作小説発表の前にそちらもよろしければ併せてご覧ください。
原作小説発表&三人で感想戦
まずはゆきんこの感想
ゆきんこ「初読は意表をつかれて、何を読んでるのかわからなかった笑。ただ、原作の後日譚ではないかと思わずにいられない類似の要素が多い内容でした。慣れない文体に、不気味な雰囲気があいまって、ゾワッとした怖さがあった。これ原作わかってて書いたのかな?と思いました。」
原作小説発表
ゆきんこ「原作タイトルは、『雪女』 小泉八雲/著 です!」
みやり「うわーまじかー!」
短歌について
ゆきんこ「(この短歌は)雪女と巳之吉の出会いと別れを雪女の視点で詠んだ短歌です。原作は型が決まっている昔話。雪子(雪女)はいつか約束が破られ、人の生が終わるかもしれないと思いながら巳之吉と子供達と過ごす。そして約束が破られ、来るべくして来た終わりのときを、彼女の絶望の叫びで表現したかった。そして、雪女のラストシーンのような、読んだ後も長い時間、読んだ人の中に在り続けるような喪失の余韻を表現したつもりです。」
立夏「原作の選択、一本取られたぁ! 雪女はめちゃくちゃ知ってるし、読んだこともあるのに、まったく思いも寄らなかった!」
ゆきんこ「最初は名詞縛りのルールを考えずに短歌を詠んだら、勝手気ままな短歌というか、感想短歌になってしまって、翻訳になってなかった。そのあと、名詞縛りで作ってみたんですが、まったく違う短歌になった。骨格がしっかりした短歌になった気がします。原作の名詞縛りのルールを加えてから、原作の内容に自分の解釈をどれぐらい入れてどう構成するかという考え方に変わったかな。」
みやり「過去作との比較という意味だと、(原作小説と逆翻訳小説の差分の少なさが)第一回『白痴』に近いかも知れませんね。雪女という選択がすばらしいなと思いました。」
ゆきんこ「あと、どこかで原作がバレちゃいけないと思い込んで作ってました」
立夏「分かる。何処となくバレちゃいけない気はするんだよね」
ゆきんこ「作り終えた後に、翻訳短歌なんだから、バレてもいいことに気がつきました。どうしてバレちゃいけないって思ってたのか謎です。」
立夏「純粋な共同翻訳をしたいとみんな思ってるからかも。」
みやり「書かれた短歌が昔の絵画の一片でそれを修復する作業みたいな。元の絵は風景画とか考えながら修復して欲しく無いような。」
ゆきんこ「三人とも読んだことがあるだろう作品で、原作がバレないように、原作内容を切ったり離したり、貼り合わせり入れ替えてみたりとパズルみたいな作業をしてました。最後の決め手は、自分と名前がかぶってるところ。短歌を詠み慣れてない上に、それをもとに小説書いてもらうということで、親しみのある作品でハヤブサに参加する勇気を持ちたかった。」
立夏「私達はゆきんこの文章が大好きで、だからこそ今回の翻訳短歌も熱烈オファーしたのですが、普段の文章と同じまたはそれ以上の原作と実直さを感じ入りました。」
原作バレには手を出すな
立夏「今回はハヤブサやって初めて、原作が何の予想も立てられなかったんです。いつもは安吾かな、老人と海かなと途中でアタリが付いて、でもどちらも内容はよく把握していなくて。前回はよく知る外科室で、プロット組んだ後に気付いたからギリギリインサイダー回避したんだけど。」
みやり「一人船旅感ありますよね。手漕ぎの。」
立夏「まっさらな地平で、短歌だけひとつが拠り所だったことが個人的には初の経験。でも、みやりさんは今のところそれがデフォルトだよね? 改めてみやりさんは毎度、大変なことをしていますね……。」
みやり「初めてパターンどうでしたか。何を足がかりにしたか、とか。攻略ルートと言うか。」
立夏「この短歌、多分、ファンタジーか超常現象だな、と思ったことが足掛かり!」
みやり「えーっ!すごい!それは全然読めんかったんですよほんと。」
立夏「白い息でささやいて微笑んだら、言の束になって、震えが溢れて、風の叫びが溶けちゃうってもうファンタジーか超常現象のどっちかじゃね?!素直に読んだら、SASUKE極寒ステージよ。」
みやり「いろんな寒さ来ましたよね。はよ暖かいところ入り。わたしは上記の寒いところにずっといるんかなってイメージの処理がすごい悩みました。原作読んでああ!ってなりました。」
短歌から考えたこと
ゆきんこ「立夏さんの作品、短歌では書いていない原作の要素がかなり入っていて驚いたのですが、短歌からどう読み取ったんでしょうか?」
立夏「微笑はささやかない。言も束にはならない。下の句もそうかも。震えが溢れるってあまり言わない、風も叫ばない、風が何かを溶かす? ない気がする。でも、これはすべて実際に物語で起きたことを書いている気がする。それは信じられた。」
みやり「比喩じゃなく具現化された世界ってのまで踏み込むのがすごいよい読みですよね。」
立夏「とにかく短歌に書かれていることが比喩じゃなく具現された世界を書きたいと決めました。そしたら、ああなるしかなかった、という次第です。」
みやり「あとはやっぱり怖いですよね。蔵とかから出てきたらお父さん呼びますよこれ。したらお父さんがばあちゃん呼べ!とか叫ぶ系のね。noteでハヤブサやってますけど、手書きハヤブサだったら古紙とかで書いてきそう。怖い。」
立夏「そうね、今までで一番頭がおかしくなりそうだった。自分で書いておいてあれだけど、変な話だなあ」
みやり「原作小説おしえていただいた時はびっくりしました。。違う地方での同じ怪談みたいな構図で。原作への差分という意味では今までの中でもかなり少ない方なのかなとも思いました。」
ものがたりのかたち
立夏「原作小説とゆきんこさんの解説を読んでから改めて読むとね、過去ハヤブサの短歌と圧倒的に異なる点を見つけたの。この短歌には、起承転結がないんです。それは、善いでも悪いでもなく、この短歌の特徴だというだけなのだけど、物語の起承転結というのはあくまで『動作』だと、今日時点の私は思ってるのね。この短歌はすごく『人間の動作』だと断定できる動作が少ない。」
みやり「なるほど確かに、人の立ち振る舞いのようなものは浮かび上がってこないですね。
立夏「それで思ったの。もしかしたらこれは人間のしている動作ではないかもしれない、と。でも、この起承転結ではない何かを、どうしても小説の起承転結に採用したかった。そしたらいつのまにか怪異になってたよねー! 最初はアンナ・カヴァン『氷』みたいなお洒落な世界を描こうとしてたのになー!!」
みやり「そこから読むこともできるのか。」
立夏「蓋開けて見たらみやりさんの小説がすごいおしゃれで、あああああこれ! こんなお洒落なやつを書こうとしてたのにどうしてこうなった! と思いました。でも、いろいろこれまで書いてない感じをチャレンジできて、楽しかった!」
ゆきんこ「(上の句では)雪女を表現しようと考えてただけで、人間の動作を少なくしようと意図したわけではないですが、そこから怪異と判断したのはすごい。動作が少ない分、名詞が多くなったので、原作の名詞縛りが効いていたのかなと思いました。」
仕掛け×(I'm not)脱稿
みやり「ピンポイントなご質問で恐縮ですが(翻訳短歌の)字余りのあたりなど、どうでしょうか。小説にするにあたりどう捉えていったか」
立夏「実は、私それ一つ仕掛けを入れています。」
みやり「えっ! ……エエ゙ヴィンゥヤイ!」
立夏「あはははは。それではないです」
みやり「しばらくわたしのエの予測変換にいそうです。エエ゙ヴィンゥヤイ。勘ですが、連続的意識というくだりとラストから、次のエエ゙ヴィンゥヤイが産まれるとかですかね。」
立夏「私もみやりさんも大注目した翻訳短歌『溶けるまで』の5文字の字余り(短歌で規定の文字数より多く詠むこと。逆は字足らず)。これをどう翻訳するかが私は裏テーマだったんです。ゆきんこさんは、短歌の規定する57577の音数を数え間違っている訳ではなさそう、と思いました。数え間違いにしては多過ぎたので。翻訳者が明確な意図をもって行った字余り。私はこれを逆翻訳するにあたってここには向き合いたいと思ったんです。」
みやり・ゆきんこ「……。」
立夏「なのでー、答えはー。」
みやり・ゆきんこ「……。」
立夏「2,005文字にしました。」
みやり「仕掛けだー!」
立夏「そして『溶けるまで』の部分は『死にけり。』の5文字でぴったり逆翻訳しました。他の部分では溶けるを表現しないようにしてます!」
みやり「小説のオチと字余りリンクってことですね」
立夏「そうやでー!!」
みやり「あーでも確かに、きれいですねこれは。お見事です。」
立夏「だから(逆翻訳小説が)書けた!と宣言してから規定文字を2,500文字だと勘違いしたまま書き切ったと気づき、焦りました。2,505文字で書いてたから。」
みやり「立夏さんが最初に書き上げて、その報せを受けたわたしが焦ってたんですが、いつのまにか二人とも焦ってましたね。2,505から2,005は大変だ。」
立夏「ピッタリであることに価値を見出してたので。あと、2,505文字の時点で相当切り詰めてたので正直終わったと思いました。論文の方をかなり削りました。でも、結果これで良かったかも!」
みやり「ネットミームぽい構図でいいですね。」
選ばれる名詞
みやり「原作小説は短い方が、なんかギュッとしますね。物語が。当たり前なのかもしれませんが。場転の数が原作に近いというか。」
ゆきんこ「原作と翻訳小説の長さが近いと、原作との比較がわかりやすいし、読んでいて楽しいですね。立夏さんの作品と原作の近視感がすごい出てます。」
みやり「やっぱり名詞縛りルールは良いですね。原作→短歌の時は31文字以外の情報である余白は削られて渡ってきて、短歌→小説 の時は短歌で使用された名詞がさらに削られるので、より何が起きているのかということに集中されていくような感覚です。結果的に短歌の余白と、再現小説の余白は近くなるようにも感じました。」
みやり「なんかわたしばかりすみません。ゆきんこさんのお話もお伺いしたいです。」
ゆきんこ「こちらこそすみません。お二人のやり取りを見ていたら、聞いて楽しむモードになっておりました」
みやり「あいえご無理をなさらず……。立夏さんはいつも編集上手くやってくださるので五月雨でも大丈夫とおもわれます。もしなにかあればぜひ。」
ゆきんこ「ありがとうございます!では、五月雨に……。」
みやり「はい、ごゆるりと。」
ゆきんこ「皆さんも私のことは気にせずやりとりしてください。」
立夏 「今日暑かったねー」(気にしなさすぎ)
みやり「だいたい年末にやってたので、夏にこれやるとは思いませんでした。」
立夏「31文字という制約の中だと、詠み手が仮に何気なく選択したことも、重大なこととして小説で取り扱われるからなんかすごいことになるよね〜。」
みやり「短歌の文字の一つ一つが灯台のあかり的な。とりあえずこっちに行っとけば陸はあるだろうという。」
立夏「自分が短歌書いたときみやりさんの読みを後から聞いて、そ、そんな丁重にお取り扱いくださいまして……ってドギマギすることあります。」
ゆきんこ「これはまさにそうですね!感想戦に入ってからドギマギしっぱなしです。」
みやり「わたし自信ないから多弁ですがそんな大したことやってないので恐縮です。短歌のとおりに読んでるだけですし!」
エエ゙ヴィンゥヤイ
みやり「ゆきんこさんはこの遊びに参加してみていかがでしたか。立夏さんは3羽ハヤブサ版の感触などぜひ。」
立夏「またやりたいです。」
ゆきんこ「わたしもやりたいです!」
みやり「毎回言ってますがわたしはまた来年ぐらいで……笑」
ゆきんこ「あ、もし教えてもらえたら、エエ゙ヴィンゥヤイの意味知りたいです。」
立夏「読めるけど、発音できない文字列を目指しました。発音できたら死ぬくらいのオーラを放ちたくて。ベースの音感はアイヌ語をかなり参考にしていて、他の国の言葉のニュアンスも加えています。そんなわけで、造語なので正確な意味とかはないのですが、参考にした単語たちを組み合わせると『呪いの美しい子ども』になります。」
ゆきんこ「ありがとうございます。『呪いの美しい子ども』で読むとまた違った物語に感じますね。」
おはようまだやろう
ゆきんこ「3羽ハヤブサに参加して、お二人の小説と感想戦をとおして、歌い手でも知らなかったこの短歌の世界の広さと深さを感じれました。どんな歌にも、読み手の分だけ物語が生まれて、存在することを実感できました。そして、背中をおしてもらえた気持ちです。始めたばかりですが、これからも短歌を作っていきたいです!お二人には感謝でいっぱいです。ありがとうございました!」
みやり「参加をご快諾いただきありがとうございます。楽しかったです。いっぱい短歌作ってぜひ読ませてください。」
ゆきんこ「わたしも楽しかったです!また機会がありましたら、ハヤブサに参加させてください。本当にありがとうございました。」
立夏「はいーっ!ゆきんこさんの短歌はサイコウ!みやりさんの小説もサイコウ!」
ゆきんこ「立夏さんの小説もサイコウ!」
立夏「ワイワイワイワイ!」
ありがとうございました。
みやりさんが執筆したバージョンもありますので、ぜひご覧ください。
逆翻訳元の短歌は、同じゆきんこさん作のもの。いつもよりはっきりと違いを楽しめると思います。