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給与遅配にあった話③

こちらの続きです

上司崇拝

さて
一時は転職失敗か?と思われましたが、会社で居場所を見つけ
仕事の沼にずぶずぶとはまっていった私と、異変の足音
そこにある『変化』が訪れました

上長の異動です
私の異動はなくなり、元の居場所で再出発し始めた矢先の出来事でした
その頃私は上司を『推し』と崇め、
心身ともに会社・仕事にのめり込んでいました
その上司について少し書かせていただきます
これが一番、後々まで私の後ろ髪を引くことになるので

そもそもとして私はこの会社に所属するまで転職を数度繰り返していましたその転職理由はすべて同じものでした
――上司が私を見捨てた
見捨てられた、と私が判定するような出来事があると、
露骨にモチベーションに影響しました
逆に言うとそこで私はいつもこの会社のいいところは
給与でも業務内容でも各種福利厚生でもなく『人』だと思い、
また会社の良さを『人』に求めていたのだと思います
あの上司が私よりあいつをかわいがった
あの上司が私のキャリアパスを考えてくれなかった
そんなことが転職理由の根っこにいつもありました

この頃の上司を私はある種崇拝していました
仕事上の尊敬に留まらず、恋愛的な意味でも好きだったと思いますし、
仕事がすべてだった私の、生活の、人生のすべてだったと思います

この上司は誰からも好かれるような上司ではなかったと思います
十人いたら八人くらいからは苦手意識を持たれるような方でした
まず怖い 顔が怖い 挙動が怖い 声や言葉遣いも怖い
皆そもそも懐くとか尊敬する前に畏怖が強くなって
距離を取ってしまうことが多かったです
業務上必要な連絡でさえ怖くて取れない若手メンバーもいて
支障をきたすこともありましたし、
怒ってない・叱ってないのに指摘や逆質問を受けただけで
泣き出してしまう人もいました

私は不思議とこの上司に対してそこまで怯えることなく、
対等に接することができていたと思います
そのようなメンバーは珍しかったため、上司自体も私を通して
チームとコミュニケーションを取ることも多くなっていきました
ダイスキ特別扱い
本当に沼の一歩でした

推しの一番いいところ

これまでの経歴からもとても理論的・冷静でついカッとなりやすい私に
上司はいつも冷静になることを促してくれましたし、
報告はけっして適当に流すことなくきちんとチェックしてくれました
面談では本人でもわかっていないような本音や内心、
ときには澱のようになった感情を巧みな言葉で引きずり出し、
解決策を一緒に考えてくれました
全ての結論をないがしろにしない方でした
いままでこんな大人に出会ったことはありませんでした
もちろん叱られることもありましたし、
すべてがうまく回っていたわけではありませんが、
上司として上司のやるべきことを、きちんと言葉を選んで
しっかり対処してくれる方でした

こんなに頼れる上司がいるのだと知れたことは
私の人生の財産だと思いますし、
一生この人についていきたいと思いました
この人に支えてもらっている分、
私はこの人のためなら何でもできると思っていました

まぁ、あと顔も良かったかもしれません
もうわからないです すべてが魅力的に見えてしまっていました

絶望

さて、その上司の異動に伴って贔屓にしているメンバーを
異動先に引き連れていくとのお達しが出ました
私は、選ばれませんでした

もちろんこれは私のみに起因することではなかったでしょうし、
上司の本音もわかりません
私たち社員が知ることができるのは異動の告示のみなのですから

異動準備に伴って他のメンバーがざわざわしている間、
私はそれを見ていることしかできませんでした
決定的な告示が降りるまで半ば信じていなかったのだと思います
告示が出てから少なく見積もって二週間、
私は毎日家で泣いていました
何が駄目だったんだろう、
どうして私は連れて行ってもらえなかったんだろう
私はあの上司にいらないと烙印を押されたのだろう
異動先は得意としていた技術を使用することが決まっていました
だったら一番有用なのは他でもない私だったはず
何もサボっていなかった
一番だという自負があった
でも、選ばれなかった

失恋の痛みと言いますが限りなくそれに近いものだったと思います
仕事の出来が問題でないのなら、人間性
私という人間が必要とされない原因がある
私自身も人間力に対して自信がなかったので、
この突き尽きられた
「仕事ができてもお前はいらない」
現実に胸をぐっさりと抉られました

この一件から私はかなりヒステリックになり、
新しく赴任した上司との折り合いもうまくいきませんでした
特に新しく上司として配属された方は仕事の出来如何より
人間性やチームワークを重要視する方でしたので、
どれだけ結果が右肩下がりになろうとも私を評価しない姿勢を貫きました
私に足りなかったものが、足りないと突き付けられる日々
半年も経つ頃にはすっかり病んでしまい、
転職の二文字もちらつき始めました
しかし年齢的にも転職を繰り返せるようなタイミングを
越えてしまっていた私はどうしたらいいかわからないまま
怒りと悲しみの扱いもままらなず毎日不安定な日々を過ごしていました
仕事の質は落ち、どうして、なぜと答えのない――いえ、
答えは出きっているが認めたくない問いを会社と自分に投げかけ続けました

あまりにも自分の感情を処理しきれなくて、
年末年始休暇を利用し一人で湖を見に行きました
冬の湖は誰もいないのだろうと思ったけれど、
案外観光客がいて私はままならない気持ちで白鳥の群れを見つめていました
これだけやってもだめだった ならば
途方に暮れて、絶望し尽くして
それでも上司や会社から離れる勇気が出なくて
楽しい思い出という名の古くなったガムを、
味がしなくなっても噛み続けていたのでした

当時は必死でしたが今の私であれば
この頃の私が選ばれなかったことがよくわかります
自身の幼さや自分勝手さはもちろん、
仕事ができればという姿勢もそうでしたし、
そもそも社内を見渡して、私ができる、やるべき仕事は
そこになかったということもわかりました
もちろんその割合はわかりませんが、
とにかく沼に落ちると泥で視界が汚れて何も見えなくなってしまうのだと
実感しました

仕事ってなんのためにするんでしょうか
私は人生電何度も繰り返した失敗から、
この問いを自分に投げかけるようになりました

給与遅配という「会社都合」の出来事に対峙した時
ここで私が一度自分の中の感情にめちゃくちゃにされていたことがのちに自分を整理するきっかけになります

もう少し続きます

「レポ 給与遅配」
5/19 文学フリマ東京 M-07で頒布します!
5/26 COMITIA 東2 す23aでも頒布します~!

なおnote版として給与遅配にあった話④⑤を公開予定です!

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