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当たり前の幸せはその当たり前が崩れたときに感じるもの
こんばんは。
前回の記事では、日常の中にある”当たり前”に目を向けて幸せを感じることの重要性について書きました。
読んでない方はぜひこちらからどうぞ。
でも、毎日を何気なく過ごしていると、
当たり前に気づくことってすごく難しいなと感じます。
私たちは、当たり前が当たり前になりすぎると
その幸せにわざわざ気を留めることをしません。
当たり前が崩れることがあると知っているから、
感謝できるのです。
たとえばよくあるのは、
病気を経験することによって健康の有難みを感じる
というもの。
私たちは、不調のときがあるからこそ
健康でいたいと強く願うようになります。
子どもの健康だってそうですよね。
今週実は、我が子が数日間高熱でダウンしていたのですが、
回復の兆しが見えたとき、
普段はうんざりする姉弟喧嘩にすら感動を覚えていました。
毎日元気に幼稚園や保育園に通えることの幸せ。
休みの日に一緒にお出かけできる幸せ。
ごはんを食べながら他愛もない会話ができる幸せ。
すべて、当たり前でない経験を通してこそ
感じらる幸せです。
先日、こんなことがありました。
我が家では、夫が家で夕飯を食べるときは、
基本的に私が子どもたちの寝かしつけ担当
(というかママとじゃないと寝てくれない)、
夫が食器類の洗い物担当
という役割分担になっています。
夫は夕飯で使った食器を食洗機に入れ洗剤を投入して電源を入れ、
食洗機にかけられないフライパンなどを別に洗うのが仕事。
私の朝は、夜中に食洗機で洗い上げられた食器たちを
片付ける作業から始まるのですが、
ある朝起きてみると、
あれ、食器が汚れたまま……
そう、食洗機の電源を入れ忘れたのです。
おいーーー!!
朝使う茶碗やお箸は手洗いせんとあかんやん!
と、まだ寝てる夫に怒りをぶつけそうになったのも束の間、
いやいや待てよ?
と思考を改めました。
普段、やってもらうことが当たり前になってたけど、
私が子どもたちと寝落ちすることがあっても、
起きて洗い物が残るキッチンに絶望しなくて済んでるのは
紛れもなく夫のおかげ。
むしろ、毎日疲れているのに洗い物してくれてありがとう♡
と感謝の気持ちが湧き上がりました。
みなさんは、こういう経験ありませんか?
夫や子どもに対して逆パターンも多々ありますよね。
なんでもやってもらうのが当たり前だと思うなよ?みたいな。笑
東洋医学の世界では、
この世のあらゆるものは「陰」と「陽」に分けられる
とされています。
太陽や昼は陽で、月や夜は陰
春夏は陽で、秋冬は陰
男性は陽で、女性は陰
背中は陽で、お腹は陰
どちらが良い悪いではなく、
陰と陽はお互いに対立していて切り離すことができません。
そして、昼から夜へ、冬から春へと移ろっていくように、
陰と陽はつねに変化しながらバランスを保っています。
人生、良いときもあれば悪いときもある。
山あり谷ありです。
だからこそ、悪い状態にあるときや触れたときに
良い状態でいることの有難みを存分に噛み締める。
良い状態でいるときは、それが尊いことだという気持ちを忘れない。
それが大事なのかな〜と思っています。
自分にとって都合の悪いことが起きたときは、
普段の当たり前に気づくきっかけをもらえた!と
ポジティブに捉えていきたいですね。
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