論破王・ひろゆきのゆたぼん論を論破してみる
前書き
ゆたぼんについてはもはや説明不要であろう。
今回私が急遽、筆を執ったのはゆたぼん、正確にはそのパパが、かのひろゆき(本名・西村博之)に論を吹っかけられたのを見たのがきっかけであった。私も何かもの言わずにはおれなかったので、この場を借りて私が論破してみよう。
論破王・ひろゆきよ、覚悟したまえ(笑)
「子どもに教育を受けさせる義務」の放棄?
ツッコミどころ満載なのだが、学校の放棄=教育の放棄ではないということだ。
ちなみにひろゆきは解決策の一つとして、通信制の学校を勧めている。
余談だが私も、中学までは一応通ったものの、高校時代から不登校になり、結局2回もやめて通信制の高校でどうにか卒業した経緯がある。
詳しいいきさつは長くなるので割愛するが、やはり高卒取らねば就職で不利になる、と言った不安からどうにか行っただけに過ぎない。
通信制は確かに負担が少ないかもしれないので、日本の教育になじまない人には悪くない選択肢かもしれない。
ただ、やはり根本的な解決ではなく、あくまで非常手段といった意味合いが強かった。やっぱ私は、日本の学校にはなじまなかった。
そんな人に無理に行かせるのはたとえ通信制でも虐待に近い。
人にはそれぞれ適正がある、個々の体質の違いがある。
ひろゆきはそのことを全くわかっていない。
ゆたぼんパパは別に教育自体を放棄してんじゃない。
資格はないと教育できない?
これまたツッコミどころ満載なのだが、資格がないと教育ができないと思ってるらしい。
確かに、学校の教師は、専門的な教職の訓練は受けているので、その部分だけ見れば登校した方が良い、という論理になるかもしれない。
ただ、問題は日本の学校の体質である。
いわゆるブラック校則とか、批判的思考じゃなくて暗記に偏り過ぎた教育等々、そういったものになじまない人まで無理に登校させるのか。
前項でも述べたが、日本の学校になじまない人にとっては登校は虐待に近い。
学校の学習は親がカバーするしかないだろう。
そういった人たちのせめてもの尽力を、ひろゆきは高みの見物で馬鹿にしているとしか思えない。
社会性を学ぶ?
YouTubeでも、ひろゆきのゆたぼんについての発言のまとめ動画を見つけたので紹介しよう。
0:31あたりから、コミュニケーションなどの社会性云々のことについて言っているが、別にそれは学校という場所以外でもできるし、無かったらそういう場を新しく作っていけばいいだけのお話。今はインターネットという便利なものもあるし、幸いそういう場を作りやすい環境がある。
少なくともゆたぼんとそのパパは有名人だし、そのための人脈も作りやすい。現に多くの人と交流して社会性を養ってるではないか。
そもそも学校って、ほとんど同世代の人たちしか交流しないではないか。それが必ずしもダメではないが、それだけに偏ってしまってるのは「社会性」の一部しか経験してないのではなかろうか。
その点さっきに述べたインターネットは、子供から高齢者まで、多くの年齢層の人がいる。おまけに日本人のみならず、海外の人だっているのだ。
学校に「行けない」と「行かない」
前項の動画の2:30あたりから、学校に行くことができない人はしょうがないが、行くことができるのに行かないのは後々後悔する、という趣旨のことを述べている。
この手の論調は彼に限らずよく聞く。
大学はともかく、小中高は「一生モノ」なので本人が嫌がってたとしても無理してでも行かせるべき、という論である。
しかし無理に登校してまで皆と同じ経験を共有したりする必要があるのだろうか。どうも日本の横並び主義は深刻のようだ。
少なくともゆたぼんはそれを望むようなタイプではないと思う。
恐らく後悔すらしないだろう。
ちなみに3:20あたりで、小中高行った方がいいというのは行った人しかわからない、ということを述べているが、個人的な経験からも言わせてもらう。
私自身、前述したように一応小中高は出ている。しかし、むしろ私は無理して行ったことに対する後悔の念の方が大きい。結局は学生生活で疲弊し、今もなお、慢性疲労症候群という足枷を抱えなければならなくなった。(不登校を伴う慢性疲労症候群についてはこちらの記事でも文献をいくつか紹介しているのでぜひご拝読を)
少なくとも、学校に行かないリスクばかり喧伝し、行くリスクを考慮に入れないのは公平な見方ではないだろう。
努力も放棄していない
前々項の動画の4:38から、「学校でコミュニケーションや知識を得ることは必要だから、学校に行かなくてもいい、勉強しなくてもいいというのは間違った情報」であり、「世界中で成功している人はある程度勉強はしてるし努力もしている」ので、「ちゃんと努力する環境を整えるべきと」説く。
もういちいち反論するのもうんざりだが、私はお節介なのでかまってあげよう(笑)。
別に努力は放棄してるわけじゃないし、ゆたぼんパパも努力する環境は整えているだろう。ただ、努力のベクトルや方法が他の人とは違うだけの話。「孟母三遷の教え」ではないが、その人にとって一番努力しやすい環境は一人一人違って当たり前である。ゆたぼんが人一倍個性が強かったのでたまたまこのスタイルになっただけにすぎない。
どうもこのひろゆきって奴は一人一人の適性の違いというものを全く分かってない。
メンタリストDaiGoも乱入
あの有名人のメンタリストDaiGoもひろゆきの援護射撃をしてきた。
一応、上記のツイートに関連する彼の動画も見つけたので貼っておこう。
つーか、ずいぶん早口だなこいつ。聞き手に考える暇を与えず思考停止にさせる策略、というのはさすがに穿った見方か(笑)。
まあ、私はところどころ動画止めていろいろ思考しながら見たけど。
彼の持論には問題点がある。
まず、学校が行った方がIQが高くなるというデータだが、そもそも不登校クラスタのデータが提示されておらず、比較の対象がない。これでは公平な判断ができない。
まあ、こう見えても私は優しいから(笑)、一応、不登校クラスタのIQの方が低かったと仮定しておこう。
仮にそうであったとしても、自分の体質に合わない環境で学んだためにモチベーションが上がらなかったり、心身に何かしら支障をきたして脳のパフォーマンスが下がったりしたとかも当然考慮に入れなければならない。
いわゆる生存者バイアスというもので、既存の学校に適応しやすい人だけを取り上げ、適応に難儀するタイプのことは全く考慮に入れていないのである。
他にもIQが高いメリットとかをグダグダ言ってるが、前提条件である先ほどのIQのデータの取り上げ方がツッコミどころ満載なので、あまり聞く気にもなれなかった。
こやつも一人一人の適正を全く考えてない。ひろゆきと同じだな。
後書き
人は一人一人違う。
例えば、成長曲線だって当然一人一人違うはずなのに、日本には飛び級がない。欧米先進国のみならず、お隣の韓国ですら飛び級がある。
まあ、これも「横並び主義」という病に侵された日本の教育のほんの一端であろう。
ひろゆきもDaiGoも、一人一人の適性の違いを何も分かってない。
いや、彼らだけでなく他の多くの日本人も、「横並び主義」に毒されているから、彼らに賛同してしまうのだろう。
私は、こんな日本社会をホントに憂いている。
私はこの流れに逆らわなきゃいけない。
別にただ逆張りしたいのではない。
ある意味、日本の教育の最大の被害者として、私は何かしらの形で抵抗するつもりだ。このnote記事はその一環である。
彼らのような有名人とは異なり、私は影響力はない。
それでも言うべきことは言わねばなるまい。たとえ微力であっても。
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