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幸せへの道〜ヨーガ心理学で知るわたし〜③私とは何?探求の行き詰まり

自分自身を客観的に観られない私。
罪悪感や孤独感でいっぱいの私。
自分の事が嫌いな私。
そして、そんな自分自身を許せない私。

心理学のワークショップで探求していた私たちは、あと少しのところで行き詰まってしまったのです。
私を苦しめているのは、親でもない友人でもない
この「私の心」なんだということははっきりと分かったのです。

そうか、私を苦しめているのは「この心」なんだ。では、この心の中身を変えたらいんだと、あらゆる事を試みました。

なにかポジティブな言葉を唱えたり、思い出を書きかえたり、
出来事への解釈を変えてみたり、引き寄せの法則とか、ヴィジョンを書いてみたり
本当にいろいろな事をやってみたのでした。
それも、本当に真剣に。端から見たら滑稽なほどに。
苦しいのだから、私たちも真剣そのものだったのです。

真剣に全部やってきても、それでも救われない。
苦しさが変わらないのです。

探求の行き詰まり、そんな時、心理学の相方がガンになり
亡くなってしまったのです。

深い深い絶望が私を襲いました。
心なんて観なければ
親友は病気にならなかったのではないか?
彼女は結局本当に救われないまま逝ってしまったじゃないか。

唯一無二のソウルメイトであった親友を失った私は、探求をやめたのです。
でもそれから数年後、ヨーガとの出会いで再び「自分の心」の向き合うことになったのです。

さて、探求に行き詰まった当時の私には一体何が欠けていたのでしょう。

まずひとつめは自己受容。
不完全で駄目な自分を受け入れるという
自分自身への「慈悲」が足らなかっただと、今になってやっと分かるのです。
そして、もうひとつは、自分というものに対する理解、自分という存在について大きな勘違いをしていたのです。

こんな私では駄目だ、という「自己否定」の状態で
自分を無理矢理変えようとしたところで、変われるわけがないのです。
自分に対する信頼もない、自分に対しての嫌悪、怒りがある状態で何が成し遂げられるのでしょう。

当時の私には心の仕組みやセラピーやメソッドには詳しくても、
肝心な人間理解、人間とは何か?私とは何か?生きるとは死ぬとは?
そんな知識が決定的に欠けていました。

もちろん通常の心理学にはそのような解説はありません。
それは宗教の分野にもなり、科学的な心理学ではタブーになっている部分でもあったりました。

ヨーガ心理学ではそこも網羅しています。
少しすつ一緒に勉強していきましょう。



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