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セカンドオピニオンは必要なかった。彼に必要だったのは...

陸上に青春の全てをかけ、暑い日も凍える寒さの日も、練習に明け暮れた。
一緒に海に行った時も、砂浜を汗だくでスタートダッシュしていたのは、紛れもない私のかわいい甥っ子。

彼の中3最後の一年は、コロナにはじまり、コロナで終わった。中学最後の大会、最後の行事、全てがコロナ禍の開催もしくは中止を余儀なくされ、気がついたらなんの区切りもないまま、流れるように高校受験モード。
夏が過ぎ、秋に差し掛かったある日のことだ。

甥っ子の足が突然、動きを止めた。
朝、起きようとしても起きることができないどころか、足がびくともしない、力も入らない。必死で両親を呼び、病院へと急いだ。

大きな病院で、ありとあらゆる検査を受けた。しかしどこにも異常がない。脳のCT、MRIにも何も写っていない。

青春の全てを陸上にかけた彼の足はそれまでの努力が詰まっているかのようにすらりと長く、丈夫で筋肉質。
これまで大きな病気一つしたことなかった。
なんでこんなことに。

病院で祈るように結果を待つ両親に告げられたのは、原因不明、との診断。

落ち着いた表情の甥っ子をよそに、ざわつくのは周囲である。
学校にも行けない。塾にも行けない。なんとかできない?
なんとかしてあげなきゃ。なんとか早く治してあげなきゃ。

そうだ
セカンドオピニオンだ、都内のもっと専門の大きな病院に行くべきだ!

それとも鍼治療?食事療法?リハビリ?

ざわつく家族をよそに、終始穏やかだった甥っ子。介助されなければトイレにも行けない状況だが、周りに助けてもらう時、いつも笑顔と感謝を欠かさなかった。

冬が過ぎ、お正月。

まだ足はびくともしない。力も入らない。

電車を乗り継ぎ片道1時間の私立高校に進学が決まった。

中学からも高校からも本当に通えるんですかと言われ、家族の心配はピークに達していた。
相変わらず、担当医からは具体的な治療のないまま、時だけが過ぎた。

どんなにこちらから持ちかけても
「その治療を◯◯くん本人が望み、そうしたいと言うのならどうぞ」
という姿勢だったそうだ。


そして2月を過ぎたある時。


そろりそろりと、つかまりながら歩き出した。
とてもゆっくりだが、確実に。

その日を境に、ゆっくりと前へ歩き始めた甥っ子。
以前のように走ったりすることはできないが、ほぼ日常生活では支障のないほどに回復した。
卒業式も、仲間とともに出席することができた。

制服のボタンが全部無くなっている写真を見せてもらい、

人気者だった甥っ子の様子が手にとるようにわかった。


その時やっと気がついた。


治療をしない治療があるのだと。

担当医の先生は、甥っ子の気持ちにいつも寄り添ってくれた。
本人の意思を尊重し、積極的な原因解明や治療を押し付けることもなかった。

家族にとっては1日も早く治して元通りに歩いたり走ったりして欲しいと思い、必死になってしまうけど、

そこには動じず、ただ彼の気持ちだけに最後まで寄り添い続けた担当医の先生の姿に、周囲も変わっていった。
そして甥っ子は救われたのだ。


医療は、施すことだけが治療ではないのだと、このことを通して気付かされた。

心と体は繋がっている、そんなことをアロマのレッスン等でよく私も口にするけれど、まさにそうなんだと思った。


甥っ子の抱えていた目に見えないストレス、受験への重圧、目標を失った無力感、彼の穏やかな笑顔の中に隠されていたのを、先生は気がついていたのだろうか。
素晴らしい先生に恵まれたのだと思った。



コロナ禍の思春期、思い出がないのが思い出、なんて子どもたちに言わせたくない。
彼らの心の声に、これからも耳を傾けていきたいと思った。

新しい日常が、キラキラした青春の1ページとして、最高の思い出が作れますように。





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