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愛でも、知でも、ない。

古代ギリシャでは、知を愛し求めることを「愛知(philosophia)」といい、これが「哲学(philosophy)」の語源になっているわけですが、あれ、じゃあ日本の「愛知県」は何か哲学と関係するのかな、と思って調べたら全然関係なかった…。

「知を愛する」だけでなく、「愛を知る」とも関係がなかった…。

「年魚市(あゆち)」という「湧き水が豊富な土地」が転化して「あいち」になったそうなので、意味的に「愛」でも「知」でもない。

まあ、そうだよね、明治維新で廃藩置県(明治4年)する前から呼ばれていた地名だから、明治期の西洋哲学普及以前の当時、哲学と関係するわけないか。

西周センセが「philosophy」を「哲学」と訳したのは、明治6年。ほらやっぱり関係ないね。

「あいち」の語源としての最古の記録が万葉集の歌↓に残されています。
「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」
(意味:桜田へ鶴が鳴き渡ってゆくよ。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴き渡ってゆくよ)
に出てくる「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が転化して「あいち」になった様です。
約1300年も前に言い方の原型が有ったことには驚かされましたネ!
因みに桜田は今の名古屋市東部の南区の辺りを、そして年魚市潟は名古屋市熱田区辺りの当時海岸であった一帯を現す言葉です。
「あゆち」の「あゆ」は「湧き出る」と言う意味で、湧き水が豊富な土地と言うのが「あいち」の由来する説が最も有力とされている様です。
一方、東国へ向かう旅支度をする場所と言う意味で「足結(あゆ)道(ち)」とする説も有ります。
※「足結」とは古墳時代の男性の服装の一部で動き易い様にはかまの膝の下の辺りを結ぶ紐のことです。


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市野美怜(りすみん@大人の教養大学)
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