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「儒教のかたち こころの鑑」…から捉えた世界

最終日ギリギリセーフで、サントリー美術館の「儒教のかたち こころの鑑」展に行ってきました。

孔子が唱えた徳治主義による理想の君主像は美術品にもあらわされ、平安時代以降、紫宸殿の玉座の背後などに、善を勧め悪を戒める「勧戒画」として飾られてきたそうです。帝王学の一環ですね。

なかでも、孟子の五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)を思い起こさせる「二十四孝図」からは、現代人からすると「よくわからない」とか、場合によっては「差別的だ」と認識しそうなものもありました。

例えば、老齢の姑に歯がないので嫁が自分の乳を絞って飲ませてあげるとか、病気の母が冬に筍が食べたいと言ったので絶対に生えていないはずなのに息子が雪の竹林を掘って筍を探し続けるとか。

ただこれらは誇張が過ぎるだけで、実は合理性重視の現代人に欠けている感覚なのかもしれないですね。

面白かったのは、中国では隋などで儒教•仏教•道教の根源を同じとする三教一致思想が起こったこと。日本でも、土着の民族信仰である神道と、外来の仏教を融合しようとする神仏習合(本地垂迹説、反本地垂迹説)が起こったり、石田梅岩が儒教•仏教•神道をまとめた石門心学を説いたりしましたが、他の地域でも異質なものどうしが共存するための工夫がなされていたんですね。

また、哲学者のヤスパースは、儒教が起こった時代は、諸子百家の時代であったし、インドではウパニシャッド哲学•仏教•ジャイナ教、イランではゾロアスター教、パレスティナではユダヤ思想、ギリシャではソクラテス・プラトン・アリストテレスらの哲学があらわれた「枢軸の時代」だと言いました。

人々が都市や小国家といった集団に属し、共存や対立をしあうなかで、「人間はどう生きるべきか」を問うた「精神化」の時代。

この時代に、孔子は聖人の徳による政治を説き、ギリシャ哲学は徳倫理や哲人政治を説き、治世者は徳を持てと始まる共通性が興味深い。(その後に易姓革命の放伐とか、マキャベリズムとかが出てくるものの💧)

さらにいろいろと調べたくなる展覧会でした☺️

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市野美怜(りすみん@大人の教養大学)
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