子育ては自分の記憶を辿る旅
自分の記憶は総量はどれくらいなんだろう。
記憶容量の上限は決まっていて、歳を重ねるにつれ、古い記憶は少しずつ上書きされていくのだろうか。
何年も思い出すことがなかった記憶を不意に思い出すことがある。
思い出すには何かのフックが必要で、子育て中の我が子を通して、学生時代や幼き頃の自分の記憶が蘇ったりする。
「おもひでぽろぽろ」の主人公タエ子のように。
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我が子が幼児の頃はさほど感じることはなかった。
自分の幼児期の記憶があまりないというのもあるだろう。(この頃の記憶はきっと親の方が鮮明な気がする)
子供が小学生になり、通塾を開始し、説明会や学園祭などで学校見学をした際、塾に通っていた頃の自分、私立の中高に通っていた頃の自分の記憶がふいに顔を出す。
ここ 20 年近く、全く思い出すことのなかった記憶が。
小規模な塾で算数担当の森○先生と国語担当の吉○先生は顔や当時言われた言葉まで鮮明に覚えている。
算数が後伸びして目立つ系女子に嫉妬されたこと。それを見た塾の講師から進学校の受験を勧められたということ。(母がよく覚えていた)
A 校と B 校は合格したけど、あれ C 校は?と聞いたら、補欠だったとのこと。合格発表を見に行って補欠に名前があるのを確認し、特に泣くわけでもなく冷静に帰ってたよと父が話してくれた。(私は全く覚えていなかった)
学園祭でキラキラしている中高生を見ながら、私はこんなにリア充じゃなかったなとボンヤリ思い出す。
青春な部活に Join しそびれて(いや、入部したとて馴染めていたかは怪しいが)、夏の合宿だけ顔を出す美術部の幽霊部員というほぼ帰宅部同然だったのだ。
そのくせ、帰り道に買ったたい焼きを一口食べる前に先生に見つかって没収されたことをしつこく覚えていたり。(食べ物の怨みは根深いのだ)
忘れていた記憶が母校の学園祭を訪れた際、子供を塾に送り出す際、ぽろぽろと思い出す。
そして断片的な記憶を補完してくれるかのように、私が覚えていなかった私の姿を両親が教えてくれる。
気付いたのだ。
「あの時の私はどうだったんだっけ」と呟く私に、「こうだったよ」と教えてくれる父が母が嬉しそうなことを。
彼らも同じく記憶の轍を辿っているのかもしれない。
生きてきた軌跡。誰かの記憶に残ること。
道は前にも後ろにも続いている。