どっちも悪くない、でいい。親子関係と自己肯定感。
久しぶりの投稿だ。もう2ヶ月ぶりくらいになるだろうか。
その間に、かなりの出来事があった。
このブログではウツ克服とか、精神のこと
心のこと、心理学のことについて取り上げている。
今回は一度まとめておいた方がいいだろうという
「自己肯定感」
について書いていく。
因果関係はここでは書かないけれど、
ウツと自己肯定感はかなーり
密接に関係していると思うのだ。
簡単に書くと、
自己肯定感が低い→自分を責めがち
→苦しい→我慢しすぎるとウツなどになる
みたいな流れがあるのではないか。
ウツになった25歳当時は
相当に、自己肯定感が低かった。
ただ、今は治った。
いまは自己肯定感はある。
むしろ根拠のない自信はある方だ。
で、いつだったか忘れたけれど
自己肯定感と親子関係は
大いに関係があることを書いた。
簡単に言ってしまうと親から
どんな言葉をかけられて育ってきたかが
めちゃくちゃ関係があるのだ。
もっといえば、
肯定されながら育ったのか、それとも
否定されながら育ったのか、だ。
ここでいう「否定」とは、
・積極的な否定
・消極的な否定
がある。
僕は後者のほうだった。
別に親は積極的に「お前はダメだ」
とは言っていない。
それでも、なぜか僕は親から
否定されてきたような気持ちのまま
大人になってしまった。。。
(別に、いまは自己肯定感はあるのだけれど)
そしてこの何だかわからないけれど
親から否定されてきたような気分、の原因
みたいなものがようやく分かった。
いや、それが本当に正解なのか分からない
けど、心はかなりすっきりしたのだ。
仲間で鑑定士(占い師)をしている人がいる。
その人からさらっと言われたことが、
かなーりふに落ちて涙が出そうになった。
ーーー
せっきーのタイプはね、
自由な魂みたいな感じなの。
だから、自由すぎて
幼い頃は両親から理解されなくて
傷つきながら育つことが多いの。
ーーー
そう、それだ。
オレは自由だったんだな、小さい頃からさ。
自己肯定感の低さの原因。
それは親のせいだと、
両親をこれでもかと恨んだ期間は長かった。
自己肯定感が低いせいで
いつも自信がない。
自分らしく生きることができない。
それがどれだけ苦しかったことかーー。
別に親からは否定的な言葉を
かけられながら育ったという
感覚はない。
ただ、そう、理解されたという
心の安心感や安らぎ
みたいなものは圧倒的になかった。
では、この自己肯定感の低さは
自分のせいなのか、
それとも親のせいなのか?
もう、どっちでもいいやと
思っていた矢先に、さっきの言葉。
”せっきーのタイプはね、
自由な魂みたいな感じなの。
だから、自由すぎて
幼い頃は両親から理解されなくて
傷つきながら育つことが多いの。”
この言葉に、どれだけ
慰められることになるとは!
そう、どっちも悪くないんだ。
オレも、お母さんも、お父さんも。
オレがあまりに自由だったから、きっと
親からしたら何を考えているのだろうかと
理解しづらかっただけ、なんだろうな。
自己肯定感が低かったのは、別に誰のせいでもない。
両親は両親なりに一生懸命
オレたち兄弟を育ててくれた
ただ、もうそれだけでいい。十分だ。
結果、
今までは、さんざん自分のことや両親のことを責めてきた。
けれど、許すことができた。
そしてその先に感謝できるようになるとは。
原因究明も大切。
原因があって結果がある。
けど、分からないこともたくさんある。
それよりも先に許してしまうこと。
その先に見えてきた景色が
とても心穏やかにさせることがあるのだ。
誰も悪くない、でいい。